白昼夢09
お久しぶりです。最新話です。けっこう前に百合の沼に沈みました。
性癖に際限がないと生きるのって忙しいですね。
「はっくしょーい」
「うるさっ」
見せかけの太陽が頭上を過っている。
別の場所へ移動している最中、理多がおもむろに馬鹿でかいくしゃみをした。単車を押しながら、中年のような渋い声も漏らす。
隣を歩いていたまとが、耳を押さえながらひどく苦痛そうに顔を歪めた。
「あぁー。そういえばさ、犬童さんはナニに追われてたの? 昨日はなんやかんやあって聞けてなかったけど」
「ナニって、あれは……誰でしょうね」
理多の問いかけに、勝美がぽつりとつぶやく。
その言葉を聞き逃さなかった理多は、途端に怪訝しい表情へ変わった。
「誰ぇ? なに、それって人なの? ここ化け物以外に危険人物も彷徨いてるってこと?」
「まぁ、そうなりますね。長いこと、刀を持った白髪の若い男に追われてたんです」
あはは、と勝美が控えめに苦笑する。
しかし、それとは相対して理多とまとは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「それってどういうことですか!?」
「もっと早くに言うべきだろそれは!」
ふたりのもの凄い剣幕に気圧され、勝美はほんの少し後ずさる。
それはそうだろう。
化け物にだけ警戒していたふたりにとって、人間も警戒しなければならないのは負担もより大きくなる。
よりによってその白髪の男は刀を持っているという。出くわせば最後、なのは言うまでもないだろう。
理多は溜め息混じりに、ぶつぶつ呟いていた。
「白髪の若い男……刀を持ってるって、俺らより先に気づかれたらそれこそお終いだ」
「私、視力いいから遠くを見てるよ」
「それで次に行けるまで回避できる保証はないよ」
嫌な汗が皮膚をつたう。ここでクヨクヨ考えていては埒も明かない。
近辺に白髪の男が潜んでいる可能性だって十分にあった。今も見られている可能性も捨てきれない。
ひとまず、三人は日が暮れる前に次の家を見つけることにした。
「ここでは未だに化け物を見かけてない。てことは、白髪の男がここに潜む化け物か、頭がおかしくなってなんでもかんでも切って回ってる可能性があるのか」
「どのみち、近づかないほうが身のためよね」
「現に犬童さんは襲われてるし、出会さないことを祈るばかりだね……」
長いこと周囲を警戒し続けるが、幸いしてか勝美の言っていた人影はない。
まだ日は暮れていない。早めに潜伏する家を見つけたいところだが、やたらと長い田んぼが続くばかりだった。
田んぼには綺麗な水が満遍なく行き渡り、植えられたばかりの稲が綺麗に並んでいる。
ふと、友だちと駄弁りながら帰っていた時のことを思い出す。ここにきてどのくらい経ったのだろうか? 一日? 数時間? 一週間?
時間の感覚は気づけばなくなっていた。家族は、友だちはまとを心配してくれているだろうか。不意にそんな考えが脳裏を過ぎる。
「家、地方の住宅がない地域みたいで全然見当たんないね」
「やけに詳しいな。確かに、急に田んぼだらけになったよね。ここを突っ切ればまた住宅街っぽいけど」
理多が指を差した先、確かに密集した建物があった。今日はそこの、どこかの家で夜を凌ぐことになりそうだ。
田んぼを抜け、住宅街に差し掛かる。緩やかな坂を上がった先、石階段があるのを見つけた。
階段の先を見上げると、神社らしき鳥居が見えた。
「神社だ。あとで行ってみる?」
「神社? そんなものもあるのか……。でもこんなとこでの神社って怖くない? 刀を持った男もいるんだよ」
「それもそうね。けどなにかありそうな気も……」
理多の保守寄りで否定的な姿勢も、まとにはわかった。ここでは一歩間違えれば、死あるのみだ。いや、ずっとそうだった。
これまで見てきた異形の存在を前に、まとは運よく生き残ってきただけに過ぎない。理多も必死こいて生きてきたのだろう。
「……近場で家を見つけて、余裕があれば来てみるのもいいけど。せいぜい明日になるだろうね」
「じゃあ、そうしよっか!」
「……おふたりは、知り合ってから長いんですか? 仲が良さそうに見えます」
不意に、勝美がそう語りかける。理多とまとは互いに見つめあうと、ほぼ同時に「ないない」と即座に否定した。
「俺らが知り合ったのは一昨日? 時間にしてもほんの数時間前とかそこらだよ」
「そうそう! 初対面の時なんか私のおでこをぺちぺち叩いてね! 本当に失礼しちゃうよね!」
「それを言うなら俺の頬を大胆にビンタしてきたのはどこのじゃじゃ馬だろうなー」
これまでの静けさから一変して、今度は互いを罵り始める。その様子を勝美は微笑ましそうに見ていた。
傍から見れば、親し気に見えるのは無理もないだろう。
この瞬間が、こんなおかしな場所でなければどれだけ良かったことか。
それでも現実の世界だったら、理多とまとが知り合うことは絶対になかったろう。と、勝美は人知れず想像を膨らませた。
世界は残酷なんだ。と心の奥が締め付けられるような、息の詰まるような感覚がした。
「あ~ぁ! 女心をわかってない男ってこれだから! ほら! さっさと次の家を見つけましょ!」
「……ぇ、須賀さんっ!」
理多が慌てたようにまとを呼び止める。
ふたりより数歩、先を行っていたまとは曲がり角に差し掛かっていた。後に続くふたりを見ていたばかりに、結果的に前方不注意となっていた。
理多の慌てた声に気を取られていると、まとは前方に立ち塞がるなにかとぶつかる。
「あでっ」
思いの外ぶつかった衝撃が強く、若干よろめく。途端に鼻腔をついた悪臭に顔をしかめた。
「あ……」
前方を確認すると、そこには白髪の男が立ち尽くしていた。
見た目は二十代そこそこの、暗い瞳をした在り来たりな青年。髪の色を除いてだが。
顔に生気はなく、どこかやつれているように見えた。
髪色と同じ白い服は変色した血や泥で汚れ、右手にはボロボロの刀が握られている。瞬時にこの男が、勝美に襲い掛かった男だと悟る。
「須賀さっ」
勝美がまとに手を伸ばそうとする。
しかしそれも束の間。男は勝美の姿を見た瞬間、鬼の形相に変わり果てた。
暗く淀んだ瞳は怒りで血走り、噛み締められた口は歯茎が見えている。
「み、見つけたっ……やっと、見つけた……! ころす」
刀を両手に、今にも斬りかかりそうな勢いがあった。
その様を前に、まとはすぐに自分は視界に入っていないことに気づく。
「こ、こないで!」
男の視線先がわかってか、まとは咄嗟に声を張り上げた。その瞬間、体にひんやりした感触が走る。
次の瞬間には熱を帯びたような、生きてきた中で一度も感じたことのない激痛が体を切り裂いた。
「須賀さん!」
激痛に声をあげることもできない中、理多が動揺した声をあげる。それで自分になにが起きたのか、なんとなくわかったような気がした。
痛みに耐えきれず、その場に倒れ込む。地面に突っ伏し、地面に赤黒い液体が広がっていくのを見つめることしかできなかった。
男がまとの上を通り過ぎていく。その刀は新鮮な液体で汚れていた。
「須賀さん! 助けないと」
「馬鹿! 逃げるんだよ!」
「でもっ」
理多と勝美の慌ただしい声が遠くに聞こえる。
ふたりの声は足音と共にすぐに聞こえなくなり、最後は風の音だけが耳を掠めた。
「ごふっ……」
口の中から出てくるそれを、まとは知りたくないと思った。
激痛に体が悶える中、浅くなる呼吸だけが気を紛らわせる唯一の方法になっていた。
体中が段々と寒気に覆われていく、少しずつ体温が奪われていくのを感じる。それは地面がコンクリートのせいなのか、はたまた痛みによるものなのか。
ここで終わり、なんだと。気づきたくもないのに嫌でも頭が悟った。
光を宿さなくなった目に、一滴の涙がこぼれる。
しかしそれは外界の空気によってすぐ消え去り、その涙を知る者は終ぞ現れることはなかった。