白昼夢08 ※挿絵とおまけ
ご無沙汰しております。久々の投稿になります。
※2024年7月15日、05話に挿入した挿絵を訂正版と入れ替えました。
2024年10月15日、鹿児島の方言がわからないので別の県に変えました。
「え……だって、しゃべ……」
初めて化け物と出会った時のことを思い出す。
砂嵐のような音に混じりながら、あの悍ましい口から確かに声を聞いた。
あの状況の中で、化け物以外が喋ったようには思えない。しかし、理多の反応も否定できない真剣味があった。
「私……ほんとに……」
「まぁいい、わかった。その話は後にしよう」
まとが混乱し始める前に、強制的に話を終わらせる。彼女の肩に手を置き、「落ち着いて」と真っ直ぐ双眸を見つめた。
「この音で他の連中が近づいてくるかも。本当に人なら早いとこやめさせよう」
「わ、わかった」
ふたりは慎重に玄関へ近づく。玄関を叩く音は未だ続いているが、先ほどより威力は落ちていた。
その音に混じって、微かに荒い息づかいが聞こえる。
ぜぇはぁぜぇはぁ、と余裕のなさそうな様相が玄関越しに伝わってきた。
「あ、あけて……ください。追われて……いるんです」
それは若い男の声だった。
理多がまとの顔を見る。玄関に近づいてようやく、理多にもその声がはっきり聞こえた。
叩くのをやめさせる為、まとはコンコンと扉をノックする。すると、叩く音はぴたりと止まった。
「お願いです、あけてください。助けてほしい……怪我をしてるんです」
「あの、どなたですか」
「僕は……ただの、うぅっ……哀れな男です。ここに迷い込んで、危うく殺されかけた」
余程傷が痛むのか、時折り呻き声が聞こえる。
「信用して、いいんですか?」
「してほしい……けど、保証はできない。この家に誰かが入っていくのが、見えて……きたんです……僕にはもう、ここ以外ない」
まとが施錠を解こうと手を伸ばす。しかし理多に手を掴まれ、阻止された。
「危険すぎるよ。どこにも化け物はいなかったのに追われてるってなに」
「私たちがまだ見てない化け物に追われてるんでしょ? それに、怪我してるって」
「これが化け物の罠かもしれないんだよ。家の周りに潜んでる可能性だってある」
理多が扉を開けたがらない理由は痛いほど伝わってくる。化け物が近くに潜んでいる可能性だって十分にある。
おまけに磨りガラス越しで人影は見えど、向こうにいるのは人間とも限らない。
しかし、まとには不思議と強い確信があった。
今ここで開けなければ、きっと後悔する。
「はぁー、はぁ……助けてください。でないと、今度こそ殺される」
男の声は段々と弱っていっているように聞こえた。
「開けてあげよう。お願い、仲間も多いほうがいいよ」
理多が不服そうな、ムッとした顔をする。しかし諦観したように「わかったよ」と、まとから手を離した。
「ありがと。罠だったら、私が囮になるから」
「それじゃ、俺は一目散に逃げようかな」
施錠を解き、ドアノブに手をかける。
長いこと扉を叩き続けていたのは、身体中が傷だらけになった青年だった。
その青年を前に、まとは息を呑む。人間だった、罠ではなかった。しかし、彼の傷は何にやられたのか。
青年はふたりを交互に見ると、少しだけ安心したような表情を見せる。そして唇を震わせ、懇願した。
「入れてください、お願いです。追われてるんです」
「どうぞ、入ってください。手当しないと」
「……。」
男を家に招き入れ、鍵を閉める。これ以上の厄介事を招かないためにも、リビングの照明は消した。
男は余力も使い切ったのか、立っているだけでもかなり辛そうだ。
「須賀さん、どうする?」
「手当しないとね。傷が悪化したらまずいし」
青年を風呂場へ通し、傷口を水で洗う。そしてこれ以上出血しないようにタオルを押し当てた。
「須賀さん、救急箱あったよ。これ使えるでしょ」
救急箱には必要最低限の物が入っていた。幸い、深刻そうな深い傷はない。
比較的大きい傷にはガーゼを押し当て、テープで止めた。簡素だが無いよりはマシだろう。
青年は犬童勝美と名乗った。
元々住んでいた場所は辺鄙な田舎で、両親と一緒に米や家畜を育てながら暮らしていたらしい。
勝美曰く、ある晩に家の外で異様に吠える飼い犬を宥めていたほんの一瞬で、ここに迷い込んでしまったそうだ。
飼い犬と一緒に迷い込んだが、妙な化け物と遭遇したときにはぐれてしまったという。
ソファーに腰を下ろし、勝美は遠い過去を懐かしむように話した。どこか訛りの残った口調で。
その話を聞き、理多はなにやら考え込んでいた。そして不意に、まとにここへきた瞬間のことを訊ねる。
「……須賀さんは、ここにきた時のことを覚えてる?」
「あたしの場合、すごく変な話……飼い猫の小鉄が喋ってね。そっちに行くなって、怒鳴られちゃった」
「不思議な事もあるもんだね。……そういえば長く生きた猫は猫又になるって言うよね。その子は何歳くらいだったの?」
「猫、又……そっか」
なるほど、と納得する。確かに、小鉄とはもう長いこと家族と一緒にいる。何歳かなど気にしたこともなかった。
「元々地域のボス猫みたいな野良だったから、結構なお爺ちゃん猫だと思う」
思い返せばいつ家に来たのか、物心つき始めた頃だったことしか覚えていなかった。帰ったら、紫音に聞いてみようと呑気に考える。
「……俺の場合、チンチラだったんだけど」
「ちん、ちら!?」
まとの大袈裟な反応に理多が怪訝な顔をする。
その顔で!? と言わんばかりの眼差しに「なに?」と不機嫌そうに返した。
「なん、でもない」
「……俺の時もさ、ペットのチンチラが騒がしかったんだ。その直後にもがき苦しんで死んでしまってさ」
「病気、とかじゃなくて?」
「まだ一歳にもなってなかった。毎日飛び回るくらい元気だったよ」
これは俺の仮説だけど、と理多が前置きする。
「ここに来てしまう前、近くにいたペットが騒がしくなるってことはさ」
「うん」
「この場所が俺らに迫ってきてたってことじゃない?」
「迫って?」
「動物は人間には感じ取れないものがわかるって言うだろ。カラスも人間より色を認識できるっていうし」
「そうなの。それじゃ小鉄もわかってたってこと、この場所が……あ」
ふと、ここにきた瞬間のことを思い出した。電話でアユムが言っていた台詞が脳裏を過ぎる。
確かに彼は言っていた。『妙な場所に招かれてしまった』と。
理多が「どうかした?」と問いかける。
「いや、ちょっとね」
この情報は共有しておくべきだろう。
しかしアユムの存在について話そうか、一瞬だけ迷いが生じる。だが、まとは意を決して「あのね」とアユムの存在について話すことにした。
「……ふーん。そんな事がね、絶対怪しいに決まってんじゃん」
「うっ……」
話を聞いた直後、理多の指摘にぐうの音も出なくなる。ここから理多の猛攻が始まる。
「須賀さんはちょっと、人を信じすぎると思うよ。ここは電波が通じてないのに電話がかかってくるって、明らかに人じゃないでしょ」
トドメを刺すように「しかも非通知」とつけ加える。
「はい。はい……ご尤もです」
「はぁ……どうして約束するかなぁ」
理多が悩ましそうに呟く。見たことのない表情にまとも不安な気持ちが過ぎった。
「まずかった?」
「いや……妖怪、とか人以外と交わす約束って必ず果たさないとまずかったよなって思ってさ」
「そ、そうなの……?」
不安をさらに煽るような内容を告げられ、まとの表情はみるみると青くなっていく。その様子を尻目に、勝美も口を開いた。
「神社では『叶ったら必ずお礼に参ります』って言い方をしたらいけないっていいますよね」
「そう、なんですか?」
「たしか……神様がもたらした成就を取り返しにきたような」
まとが「やばいじゃん」と呟く。理多もまとの話を振り返り、なにやら考え込んでいた。
「まずいのは人間じゃなかったらの話だし、今のとこ案内したり友好的なんでしょ? なら使わない手はないと思う」
「う、うん。そうだね」
「でも、ただでさえこんなイカれた場所で閉じ込められてるって……単純に解放したらまずい気もするな」
理多の呟きに、勝美が「それはどうでしょう」と食い下がる。思いもよらぬ返事に、理多は少し驚いた顔をしていた。
「かの人物は話を聞く限り、ここから逃げ出したいはず。解放する際に取って食わないように約束を取り付けたらいいのでは?」
「……どうだかね」
どこか不服そうに、頭をポリポリ掻いた。
「わかったことと言えば、この場所はたぶん僕や須賀さん、犬童さんのとこへやってきた。その時動物も感じ取るくらいの何かがある、てことは移動してる?」
「私たち、動物を飼ってる共通点があるけど……それも関係があるのかな?」
「わからない。でも可能性はあるね」
三人は動物を飼育していた共通点こそあれど、猫(猫又)、犬、チンチラにどんな共通点があるのか。
かつ、それは無差別的に動いているのか、または何かしらの共通点を持っているのか。現時点ではそれもまだわからない。
「俺らはたぶん神隠しってやつに遭ってる。神隠しは昔話だと禁足地とか、山に入って天狗に攫われたとか変な場所に迷い込んだ話もある」
「あたし、家のリビングに家族といたよ」
「俺も家でチンチラの飼育籠を掃除してたよ」
「僕はさっき話した通りです」
うーん、と首を傾げる。三人は運悪く、無差別的なモノに遭遇しただけなのだろうか。
「須賀さんはどこに住んでるの? 俺は関東だけど」
「私? 九州だよ」
「僕も九州です」
「九州……そういえば俺の親父も九州の出身だったな」
三人の顔色が変わる。互いに目を合わせ、これが共通点では? と胸中を過ぎる。
「どこの県在住?」
「あたしは熊本」
「僕は、長崎です」
「……俺の親父はたしか、北九州だったかな。それ以前はわからないけど」
九州といえど、掠りもしていない互いの居住地に頭を悩ませる。せっかく見つけた共通点も、ここまでかと諦めかけた。
「ま、今考えたところでわかるわけないか。また明日にでも考えよう。帰れるわけじゃないし」
理多がおもむろに立ち上がる。欠伸しながら部屋を後にすると、先ほどの続きを開始した。
「勝美さんもゆっくり休んで。なにかあったら言ってくださいね」
「どうもありがとうございます。僕は大丈夫です」
勝美が平気そうなのを見届けると、まとは自分に合った靴を探すため部屋を後にした。