白昼夢07
トンネルは無限に思える程長く続いた。
長い暗闇を抜けた先、前方に一点の光が見える。
その光を目にした瞬間、無意識に理多の肩を掴む手に力が入った。
「ちょっと、痛いんだけど」
「わっ、ごめん」
「不安なの? 俺も一緒だよ」
風の音が入り混じってよく聞こえなかったが、安心させようとした台詞なのはわかった。
恐怖と不安、それでも僅かな望みにかけて。外の光が目前にまで迫った。
トンネルを抜けると、強い光に視界を奪われる。事故を起こさないよう、単車も少しずつ減速した。
目の奥が痛い。視界が明るさに慣れたとき、ようやく目を開くことができた。
ふたりがいる場所は峠だった。道端には古びたガードレールがある。
「ねぇ、須賀さん。あれ、あれ見て!」
「なに?」
肩に置かれた手をバシバシ叩き、左側を一所懸命に指差す。怪訝に思いながらも、まとは言われた通りに左側の景色を見た。
「あっ! あれって……もしかして」
「もしかして」
互いに顔を見合わせる。ガードレールのその先、遥か遠くに町が見えた。
「帰って……これた?」
「こんな簡単に?」
胸中に不安は残るが、行って確かめてみる他ないだろう。
もし本当に帰りつけたのなら、まずは交番に行こう。そして帰ろう、家族がいる家に。
「いこう」
「う、うん」
アユムとの約束が脳裏を過ぎる。まだ約束も果たせていないのに、帰ってしまっていいのだろうか。
再度単車にまたがり、峠を下っていく。道なりに進み続け、町には案外早く着いた。
峠からだと遠くに感じていたが、そうでもなかったようだ。何気なしにふと、ポケットにしまったままの携帯を取り出す。
ホーム画面は相変わらず文字化けしたままだった。僅かにあった不安は、拭えないまま。
「この町、どこか知ってる?」
「うーん、わからない」
理多の問いかけに首を傾げながら答える。
町に着き、単車を適当な場所に停める。付近には人っ子ひとりおらず、車も通っていない。
近くの飲食店にあった看板には、見たこともない漢字やカタカナが並んでいた。
帰ってこれたという希望も、町中を進むにつれて薄れていった。
単車で町中を進んでいると、ある建物がまとの視界に入った。
それはかなり年季の入った風貌の映画館だった。
上部に掲げられた看板を見ると、おかしな文字列に時代を物語る男の絵がある。
目にしたのはほんの一瞬だったが、心の中でなにか引っ掛かるようなモヤモヤを感じる。
まとは眉をひそめ、なにやら「うーん」と思い悩み始めた。
「……一応聞くけど、どうかした?」
「今さっき通り過ぎた建物、見覚えがあるの」
「見覚え?」
「そう。昔、見たことがあるような。ないような」
「ふーん」
理多は深く触れないでおこうと思った。
単に記憶違いによるものだろうし、そのうち思い出す可能性もある。なにより運転に集中したかった。
「とりあえず、今はどこで戸締りするか考えない? 悩むのはその後にしよう」
「それもそうね。今のとこ、向こうで見かけたやつはいないっぽいけど」
「なにがいるのかわからないのがここだよ」
単車で移動していく中、変わる変わる視界に入る建物はほとんどがシャッターで閉じられていた。
コンビニと思しき建物もあったが、仕切りで遮られ中は暗い。
シャッターだらけの通りを抜けた先、ふたりはぽつりと建つ一軒家を見つけた。
一度停車し、一軒家を指差してまとに話しかける。
「今夜はあそこにしよう」
「なんか賊っぽいね」
「こんなおかしな場所じゃ、モラルを守っても自分を守れないだけだよ」
たしかに、と思っている間に一軒家にたどり着いた。家の前に単車を停め、理多が確認がてら敷地に入る。
縦型のドアノブを手前に引いてみる。背後からまとが「どう?」と話しかけた。
「んー、あかない」
「そんなことあるんだ。別のとこを探す?」
理多がはぁと溜め息を吐き、前髪を留めていたピンを外した。加えて、どこからともなく細い針金も取り出す。
そして鍵穴に挿し込み、ガチャガチャと音を立て始めた。
理多の不可解な行為にそそられ、まとも裸足のまま敷地に入る。
「どこで覚えたの? やってること泥棒と同じだよ」
「人付き合いを考えなかった結果だよ」
ひどく簡潔的な台詞だが、察するには十分すぎる言葉だった。
理多の手つきは慣れたもので、扉はすぐに開いた。まとも単純なもので「すごーい」と小さな歓声を送る。
「なにかないか探そう。ちゃんと戸締りしてね」
「なにを探すの?」
中に入り、鍵を閉める。まとは迷い込んでから日が浅いため、理多の台詞に首を傾げた。
「使えそうなものを探すんだよ。水も食べ物も、運が良ければあるから」
「食べ物もあるの?」
「あるよ。なんでか、期限も問題なかったりする」
「へー。変なの」
たしかに、今になって不思議に思う。
生きる為に必要な水や食糧は一体どこからやってくるのか。訳のわからない場所に意味を求めても、意味などないわけだが。
廊下を抜けるとリビングに入る。暗がりの部屋、生活感のある空間が広がっていた。
理多がスイッチを押すと、部屋が明るくなる。その様を見ていたまとはぼそっと「つくんだ」と呟いた。
「昼間のうちは電気をつけても問題ないよ。夜は絶対におすすめしないけど」
「どうして?」
「寄ってくるからね。いろいろと、虫みたいに」
理多は揶揄っているのか、指先をまとに向けて適当に動かした。嫌悪感を掻き立てる物言いに、まとは怪訝な顔をする。
「やめてよ」
「はいはい。足でも洗ってきなよ、自分にあったサイズの靴もあるかもしれない」
理多に言われるまま、風呂場へ向かう。この家の風呂場は玄関へ続く廊下の左側にあった。
鏡台には歯ブラシが4本ある。いらぬ想像がまとの脳裏を過ぎった。
蛇口をひねり、シャワーから出るお湯で足裏の汚れを落とす。
久々の温もりに、ささやかながら安堵すした。
ここに来てからは『死』以外の想像はつかなかったが、案外運は味方してくれるらしい。
シャワーを止め、濡れた足をタオルで軽く拭く。リビングに戻ると、理多はキッチンを物色していた。
ちくわを加え、頭上の棚や食器棚を開け閉めしては使えそうな物がないか探している。
その様はどこからどう見ても、泥棒以外の何者でもなかった。
「罪悪感とかないの?」
「今はもうないよ」
「そう……」
彼はそうやって必死に生きてきたのだろう。この状況で理多を咎める気にはなれなかった。
空気に耐えかね、まとはカーテンの隙間から外を覗いた。先ほどは明るかった空も、今は暗くなりつつある。
そろそろ電気を消すか、とカーテンを閉じる。
振り返った瞬間、玄関先からドンドンと扉を激しく叩く音がした。
心臓が飛び跳ねたような、バクバクと鼓動も激しくなる。理多も驚いた表情をしていた。
無言のまま、互いに顔を見合わせる。今なお扉は激しく叩かれている。
「なに? こわい」
「人? 今までこんな事、一度もなかった」
小声でヒソヒソ話す。リビングから玄関を覗き見る。
玄関の磨りガラス越しに人影が見えた。人間だろうか。開ける気にはなれなかった。
「人かな」
「でも、なにがいるかわからないよ」
理多とまとは互いに見つめ合い、このままやり過ごすかと話し合う。
人間だった場合申し訳なく思うが、自身の命には換えられない。見捨てる判断も時には自分を救うものだ。
理多が明かりを消そうと、スイッチに触れた。
「……く……ぃ」
「ちょっと待って」
扉を叩く音に混じり、声が聞こえた。まとはそれを聞き逃さなかった。
「声が聞こえるよ。人の声」
「声? 化け物も音は出すよ」
理多が眉間に皺を寄せる。
「化け物は変な音に混じって喋るけど、ちゃんとした声だったよ。たしかに聞こえた」
「なにを言ってるの?」
途端に理多の顔が険しくなる。
まとも「え?」と間の抜けた声を漏らした。
「化け物は喋らないよ」
理多はちょくちょく揶揄ってくるが、この時は冗談を言っているようには見えなかった。
久々にログインしたらなろうの仕様が変わりすぎていて「なんじゃこりゃぁあああ!!?」状態でした。投稿するまでにも時間がかかりました。