白日夢03
階段を降りた先は雑草が生い茂り、歪な一本道が奥まで続いていた。
その道を挟むように、古びた民家が何軒か建っている。
近くの家には犬の繋がれていないリードや、古びた井戸があった。まとは痛む足を我慢して、近くの家へと駆け込む。
「すみませーんだれかー! どこかにいませんかー! 助けてほしいんです!」
留守にしているのか、戸を叩いても応答はなかった。家の裏手にある畑へ回っても、人っ子ひとりいない。
畑は雑草もなく手入れが行き届いており、大根と思しき大葉が並んでいた。付近には放置されたカゴや、屋根の軒先には吊るされた干し柿もある。
裏手の窓は磨りガラスとなっており、中は見えなかった。仕方なく表へ戻り、庭の窓ガラスから中を覗き込んだ。
しかし家の中は薄暗く、襖に遮られてよく見えない。ぱっと見、人がいるようには思えなかった。
「……いないのかな?」
正面へ戻り、一か八かで玄関の引き戸に手をかける。田舎特有ゆえか、鍵はかかっていなかった。
恐る恐る、声掛けしながら家の中へ入る。
「すみませーん、入りますよー」
玄関に靴は一足もなかった。やはり留守にしているのだろうか。
上り框から身を乗り出し、家のどこかに住人がいないか見渡した。
「あのーどなたかー、いませんかー? 私、今すごく困ってるんです!」
返事はない。
家の中は不思議と生活感があるようには見えなかった。
外からくる光が反射し、廊下全体にわずかな埃が落ちているのを見つける。
指の腹で埃を掬いあげると、触れた部分の皮膚が黒ずんだ。長らく人がいなかったことを物語っている。
旅行にでも行っているのだろうか、農作物を放ったらかしにして? さまざまな憶測が脳内を過った。
が。いくら考えても無駄だと思い、次の家へと向かう。しかし次の家も、そのまた次の家ももぬけの殻だった。
流石のまとも、現状に違和感を感じ始める。そして同時に、あることにも気がついた。
集落に訪れてしばらく経つが、人はおろか犬や猫に一匹も遭遇していない。それだけではない、野鳥やイタチといった野生動物も見かけなかった。
自然と隣接した環境において可能なのか、単純に警戒心が強いだけなのか。
思い返せば、アユムと電話しながら辿った道中も虫の鳴き声ひとつしなかった。
その時点で気づくべきだったのだろう。
家々を抜け、田んぼが広がる道に出た。数十メートル先には一軒だけ家が見える。
気の遠くなる作業に、無意識に溜め息がこぼれた。
この地域一体は、人に捨てられたというより生き物が跡形もなく消えたように感じる。
見渡す限り行き届いた最低限の設備も、余計に気味の悪さを助長させた。
スリッパで歩くにも限界はとっくに超えている。喉もカラカラで、一休みしたところで気休めにもならなかった。
次の家まで、僅かな距離でも永遠に思えるような遠さを感じる。
さらに奥へ進むにつれて、時代めいた家が増えていった。中には立ち入るのも憚れるほどの古い小屋もある。
次に訪れた民家も、案の定誰もいなかった。
アユムは仲間を見つけろと言っていたが、ここまでくると人がいるのか怪しく思えてくる。
へとへとになりながら歩いていると、小坂をあがった先で掲示板が目に入った。普段なら見過ごすところだが、この時は不思議と張り紙に目を通す。
「うわ。字、きたなっ」
張り紙には識別が難しく、歪んだ文字で文章が綴られていた。
しかし兄を持ったおかげだろうか、かろうじて読むことはできる。この時初めて、紫音の字汚さに感謝した。
張り紙によると、書き主は掲示板から少し離れた家に潜伏しているらしい。
ここにきて、僅かばかりのチャンスが巡ってきた。
行くべきか思考を巡らせる。一筋の光が差し込んだとはいえ、危険な目に遭う可能性も否めなかった。
「……あっそうだ」
なにかを閃くと、まとは先ほど訪ねた家へ戻る。そこで切り株に刺さっていた、手頃なナタを持っていくことにした。
「よし、これで行こう」
張り紙に記された地図を撮り、確認しながらその場所へ歩を進める。もう体力はほとんど残っていないが、最後の望みにかけることにした。
写真を確認しながら、足場の悪いあぜ道を歩く。
指摘する人物がいないゆえか、まとは俗にいう『ながらスマホ』状態で移動していた。
紫音がいれば注意しただろうが、此処にはいない。
そして案の定というべきか、ある民家の角を曲がった矢先にそれは起こった。
「……いてっ」
垣根に遮られていたのもあるが、ろくに前を見ずに歩いていると障害物に当たる。
感触が柔らかかったことでまとはつい、人にぶつかったものと思い込んだ。
「うっ、すみません……大丈夫、で……す、か」
咄嗟に謝るが、顔を上げた瞬間その言葉はすぐに内側へ引っ込む。目前にいるそれを目にした時、無意識に息を止めていた。
体がガタガタと震え、護身用に持ってきたナタを落としかける。
辺りには赤黒い液体が広がっていた。血にも見えるそれは、意外にも臭いはない。
が。臭いはなくても、ショッキングな光景に変わりなかった。
「……っ」
息を殺し、顔を俯ける。偶然にもまとがぶつかったそれは、人にも似つかぬ姿をした化け物だった。
頭部と思しき先端がおもむろに近づいてくる。まとの頭上に生温かい息がかかった。
でかい唇と、その隙間からおびただしい数の並んだ歯が見える。口からポタポタと、赤黒い液体が地面へ滴り落ちていった。
「……る、の」
どこからか声が聞こえ、恐る恐る顔をあげる。
目前では化け物がなにやら蠢いていた。足はなく、ナメクジに似た下半身をしている。
昔のホラー映画で見た、砂嵐のような音が混じった声で細々と喋り続けていた。しかし、なにを喋っているかまでは聞き取れない。
まとはそれに目を向けず、そっと後ろに下がろうとした。それに視覚はないのか、幸い気付かれていない。
音を立てず、ゆっくり左足を後退させた。その瞬間、スリッパ越しに赤黒い液体を踏んづけてしまう。
途端にそれの動きはぴたりと止まった。
「そ、そそ、そこ、にぃ」
「い、いっいいい、いっるのお、おお」
今度はちゃんと聞き取ることができる。それは大口を開き、叫声にも似た声をあげた。
その変わりように驚き、つい呆気に取られる。次の瞬間には大口を開けたまま、まとの目前にまで迫った。
が。
それをスレスレで回避する。恐怖のあまり、まとは持っていたナタをそれの大口に叩きつけた。
そして倒したかどうかも確認せず、なりふり構わずにその場から逃走する。
「……っ、こんなのっ」
――聞いてないっ!
アユムは一言も化け物がいるとは言っていなかった。ゆえに想像もしなかった、ここまでやばい『場所』だったとは。
ほとんど逆恨みに近いが、騙したなとアユムを恨みながら次の角を曲がった。
あの場から全力で逃げ出し、ひと息つくと同時に空を見上げる。時間が経つのは早いもので、山の向こうでは夕方が迫っていた。
「し、死ぬっ……」
ただでさえ疲弊した体は更なる悲鳴をあげ、歩くことすらもう敵わない。
履いていたスリッパはどこかへ消えてしまった。化け物の一部に触れたものなど、消えたところで惜しくはない。
「はぁ、はぁ……やっと、着いた……」
そして幸いにも、地図に記された家の前に辿り着いた。
石垣に埋め込まれた名札の上に、汚い字でデカデカと『ここ』と書かれた紙が貼られている。
最後の力を振り絞り、家の戸を開けた。上り框から家の中を見渡したが、やはりどこにも人はいない。
今はいないのか、はたまた手の込んだイタズラに騙されたのか。
それとも、まとがくる前にいなくなってしまったか。
そんなことはもうどうでもいい、まとは気絶寸前だった。
項垂れるようにして廊下に倒れ込む。玄関は不用心にも開けっぱなしだが、気にかける余裕もなかった。
今意識を手放せば、このまま死んでしまうのだろうかと無気力な頭で考える。
「寝て起きたら、家だったらいいのに。お願い、神さま」
祈りを捧げる当てなどないが、神様にそう祈りながら瞼を閉じた。
承った依頼イラストを描いてる合間にこっちを執筆してるもので、投稿が遅くなって申し訳ないです。
あと一ヶ月くらい風邪気味と腹痛、おもに腹痛で日常に支障をきたしてました。病み上がり直後にまた風邪気味になった時はこの世を恨みました。
みなさまもどうか体調不良にはお気をつけください。