白昼夢10
「はっ、はぁ……はぁ、はぁ……はぁっ、うっう……おぇっ」
痛みは生きていることを実感する、最もな方法だと誰かが言っていた。
しかし、それも死に直結すれば元も子もないだろう。
目覚めてすぐ、錯乱した頭で周囲を見渡す。過呼吸に近い荒い息遣いで、逃げるように地べたを這いつくばった。
強烈な吐き気に襲われ、口元を抑える。年甲斐なくえずき、大声を出して泣いたのはいつ以来だろう。
あの瞬間、まとは確かに死んだ。
ボロいわりによく切れる刀によって、まとの体は無残にも切り裂かれた。まとはあの男に殺されたのだ。
激しい痛みと死の恐怖に精神は蝕まれ、体温がどんどん下がっていくのを確かに感じた。
ここはどこだ、何故ここにいるのか。混乱する頭と不快感に体を震わせる。
どんなに声を出して泣こうが、助けに来てくれる家族や友だちなんかいない。
木の根元に体をうずめ、自分で震える体を抱きしめる他なかった。
「うっ、うぅ……ひっぐ、うぇぇ……」
それからどれくらい泣き続けただろうか。すっかり泣き腫らし、流す涙も残っていなかった。
体は震えたままだが、妙に冷静さを取り戻した頭で周囲の状況を確認する。辺りは木々に囲まれ、どこか見覚えるのある光景に絶望感を味わった。
──今まで見ていたあれはなんだったのだろう。
幻だったのだろうか、パニックになった頭では理解することもままならない。
ここで目覚める前、まとは夢を見ていた。本当に夢だったのだろうか? やけに現実的で、ひどく生々しい内容だった。
混乱する頭では思い出せない箇所も多いが、どこか楽しく感じていたのを妙に覚えている。
最後は結局、突然現れた男によって切り殺されて終わったわけだが。
「夢、だったのかな……」
ポケットの中を探すが、携帯はない。確か携帯を持っていたはずだが、どこかで落としたのかそれとも……。
着衣を確認するが、血痕は一切ついていない。何故か見覚えのない靴を履いていた。
自分の名前は──、いえる。自身は『須賀まと』だとはっきり認識できる。
まとはなまじ混乱する頭と、震える体を強引に動かして移動を開始した。
木々の中を、道ともいえない道を突き進む。
この絶望的な状況で自分がなにをすべきか、混乱していてもわかっていることが酷く滑稽に思えた。
それからしばらく、歩き続けてどのくらい経っただろうか。
鬱蒼とした暗い木々の中を歩き続けていると、不意に終わりが見えた。
この木々の中から抜けたい一心で、足早に歩く。
そして木々を抜けた先、広がっていた景色を前にまとは自身の目を疑うこととなった。
まとの眼前には広場があった、野原とでもいうべきだろうか。とにかく広かった。
しかし、その広場は一面におびただしい数の彼岸花が咲き広がっていた。
「なに、これ……」
彼岸花は元来、秋の僅かな時期に咲く花だ。
しかしまとがいる場所は、夏ともいえる暑さをずっと保っている。
そう、ずっと夏を連想させるものばかりがこの空間にはある。
空を見上げれば青い空に入道雲と、今は飛行機雲も見える。飛行機など飛んでいるはずがないのに。
日差しは若干強いが、たまにそよぐ風はまだ心地よい。
田んぼを見かけたときなんかは、水の張った田んぼに植えられたばかりの稲と、隣の畑には見頃の葉タバコなんかもあった。
部活動の帰り、友だちと駄弁りながらゆったり帰ったあぜ道を思い出す。
ここにきて、この空間にそぐわない不自然な彼岸花の登場に眉が吊り上がった。
「……理多くんたちは、大丈夫かな」
眼前に広がる異質を前に、まとは呑気なことをぽつりと呟いた。あの時間は夢であれ、彼らの無事を祈る他なかった。
ふと、遠くに人影が見える。その人影は彼岸花の中で屈んでおり、まとの存在に気が付いていないようだ。
よく目を凝らしてみると、女性ということが遠目にわかる。長い黒髪に、黒っぽい服を着ている。
彼岸花には毒があり、多くは根っこにあるという。あんなところにいて大丈夫なのか、と不意に心配になった。
「あのー! すみませーん! そんなとこにいて大丈夫ですかー!」
試しに声をかけてみる。すると、女性はおもむろに立ち上がった。
そしてゆったりした足取りで、まとがいる方へ向かってくる。近づくにつれ、女性の全容がわかってきた。
黒っぽい服だと思っていたのは、彼女がセーラー服を着ていたからだった。
まとの通っている学校はブレザーのため、絵に描いたようなセーラー服は羨ましく思える。
そして艶やかで長い黒髪は姫カットで切り揃えられている。白い狐のお面を被って素顔は見えないが、可愛い顔立ちなんだろうなと勝手に想像する。
「わぁ、かわいい……。あっ、いや、なにも。あははは」
うっかり漏れ出た言葉を誤魔化すように笑う。同年代に見える少女は不思議そうに首を傾げた。
「あの、どうして……あそこにいたの? あ、ごめんなさい。敬語がいい、ですよね?」
背丈は少女のほうが少し高いくらいだが、いかんせんお面のせいでいくつかわからない。
思い出したように畏まったが、少女は気にしてなさそうに手を振った。
「敬語じゃなくてもいい? そう、わかった。えっと、もしかして……声が出ない?」
まとの問いかけに少女がこくりと頷く。どんな事情があるのかわからないが、まとは「そっか」と返した。
「私ね、須賀まとっていうの。あそこの奥から歩いてきたんだ」
先ほど出てきた木々の中、奥深くを指差す。
「たぶん、ここには初めて……きたと思う。私、家に帰りたいから……ぐす、一緒に探してくれる?」
先ほど散々泣いたのに、また涙が目から溢れた。
隠すように手の甲で拭うと、散々擦ってきた為皮膚が痛かった。おまけに、涙は次から次へと流れ始める。
頬に流れた雫を、少女が拭いとる。その手はひんやりしていて、妙な心地よさを覚えた。
「ご、ごめ……私、さっき……ひぐっ、怖い夢を見て……」
途端に、また大粒の涙があふれ始める。
目覚める前に見たあれは本当に夢だったのだろうか。この胸にぽっかり空いた喪失感はなんなのか。
不意に、少女がまとを抱きしめてくる。突然のことに驚いたが、まとが抵抗することはなかった。
家族以外で密接に触れ合ったことはないが、久々に得た人肌は妙な安心感があった。まとが泣き止むまで、少女はずっとその胸を貸し続けてくれた。
ようやく落ち着きを取り戻すと、少女はまとの手を持ち上げる。
そして手のひらに文字を書いた。
『つ い て き て』
彼女がそれ以上、詳しいことを教えることはなかった。ので、大人しくついて行くことにする。
まだ空に陽はある。見せかけの太陽が沈む前に、どこか避難できる場所はないか周囲を見渡した。
しかし、ふたりがいる場所は彼岸花が咲き広がる広場のあぜ道。と囲い込むように木々があるだけ。
どこにも人工物があるようには見えなかった。
しばらく歩き続け、坂道に差し掛かる。坂道の先、遠くに家々の影があるのを確認する。
「家だわ。暗くなる前にどうにか、あそこに行こう!」
夢で見た知識を活かし、少女にそう告げる。坂道は舗装されてからかなりの年数が経っているのか、老朽化が進んでいた。
道に転がった小石や砂利で転ばないよう、普段より慎重に歩く。坂道の側面は木々や雑草が生い茂り、目を向けるのも怖く感じるような雰囲気があった。
まとを先導するように、少女が前方を歩いている。まとより細く、華奢で幼い背中は、どこか逞しく見えた。
「きゃっ」
黙々と坂道を下っていると、付近の枝気がバサバサッと音を立てる。突然のことにまとは驚くが、すぐにカラスの仕業ということを知る。
「カラス……!?」
ここにきて初めて見る生き物の存在に目を見張る。が、少女の着けているお面が地面に落ちていることに気づいた。
少女がお面を拾い上げる前に、まとが手に取る。お面についた砂埃を払いのけ、少女に渡そうとその顔を見た。
「はいこれ……え」
まだ夢でも見ているのかと思った。なにしろ、少女に顔というものがなかったからだ。
昔見ていた、妖怪が主軸となるアニメに出てきた『のっぺらぼう』とはまた違う。
顔面には必要なパーツがない代わりに、ブラックホールを彷彿とさせる黒い空洞があった。そこから、にょろにょろと数本の黒い触手が伸び出てくる。
ひとつの触手がまとの頬に触れる。その瞬間に呼吸は完全に止まり、叫び声をあげることも叶わなかった。
「……」
少女はまとが差し出したお面を受け取ると、触手を空洞の中に収める。そしてお面を再び、装着した。
まとに「行こう」と言わんばかりに先を指差し、再び歩き始めた。しかし、今度はまとの宙ぶらりんになった手をしっかり掴んだまま。
なにが起きたのか脳内で上手く処理できず、まとは成すがまま少女に連れられて行った。
彼女はお面ちゃんです。自分が勝手にそう呼んでいるだけですが。
お面ちゃんは今から2年と少し前に、なんとなしに描いたイラストが始まりでした。先日、耳の描き方をすっかり忘れてしまい、おぎゃーーーとなって過去のイラストを見返していた時に彼女のイラストを偶然見つけました。
ちょうど今作が行き詰っていたのもあり、ほんの少しスパイスを足すつもりで出しました。今後の活躍が楽しみですね。ちなみに、まとちゃんはすっかり混乱していますが夢じゃないです。
季節の変わり目ということもあり、体調不良等にはお気をつけてお過ごしください。




