白日夢01
テーブルにあるリモコンを取り、ボタンを連打して番組をころころ変える。外は土砂降りで出かけるわけにもいかず、まとは退屈そうにソファーへ寝転んだ。
「にゃーん」
飼い猫の小鉄がまとの上に乗っかる。頭を撫で、溜め息を吐きながら「暇だねえ」と呟いた。
目をつむり、周辺の音に耳を傾ける。どれも聞き慣れた音ばかりの中、小鉄の喉を鳴らす音だけは心地よく感じた。
「小鉄、ねぇ聞いて。昨日変な人に出会ったの」
昨日の夕方ごろ、まとが下校中に遭遇した話をする。というのも、珍しい話でまとは記者に出会した。
昨日のことは誰にも話していない。記者から聞いた話も噂程度に過ぎないと思った。
ソファーでくつろいでいたところ、リビングに兄の紫音がやってくる。紫音は妹の存在に構うこともなく、ソファーにふんぞり返って座った。
そして携帯を取り出したかと思うと、スマホゲームを始める。
「お兄ちゃん、そんなにゲームばっかりしてたらまたお母さんに没収されるよ。私のはもう貸さないからね」
「母さんなら買い物中だから問題なし」
兄の近い未来を案じて声をかけるも、相変わらずな返答に溜め息をついた。他に観たい番組もないため、リモコンをテーブルに置く。
「ね〜お兄ちゃん、教えてほしい問題があるんだけど。勉強道具を持ってくるから教えてよ」
「はぁ〜? またかよ、いい加減兄ちゃんを頼らずに自分でやったらどうだ?」
「聞いてよ、それが無理だったの! はぁ〜私の部屋には最近発売したばかりのポテチがあるのにな〜、ね〜こてつ〜」
「んなぁ」
無関心な態度をとっていたが、まとが残念そうに呟いた瞬間紫音の顔色が変わった。どこかわざとらしそうに「しょうがないなぁ〜」と声色も変える。
見え透いた振る舞いを前に、まとはつい「ふふ」と小さく笑った。
紫音は好物がポテチなど、少し偏食気味な一面がある。それはまとを始め、家族全員に知れ渡っていた。
ゆえにまとや母親から、こうして利用されることがしばしばある。
「やれやれ、まったく俺の妹は」
「持ってくるから待ってよね!」
小鉄を床におろし、自室へ向かおうとリビングを出る。すると偶然にも、母親の帰宅と鉢合わせた。
母親は買い物バッグを肩に、服も若干濡れている。
「あ、お母さん。おかえりなさい」
「ただいま、あれ紫音は? また携帯ゲーム?」
「うん。でもこれから勉強を教えてもらうんだ」
「そう。その前に荷物を片付けたいからちょっと手伝って」
「はーい」
母親からトイレットペーパーを受け取り、収納棚に片付けた。そのついでに忘れ物を取りにリビングへ戻る。
リビングでは相変わらず紫音がゲームをしていた。
「勉強道具は持ってきたのかー?」
「まだ、忘れ物を取りにきたの!」
テーブルに置きっぱなしだった携帯を回収する。電源を入れ、これまでに届いた通知を確認した。
そして今度こそ、二階の自室から勉強道具を持ってこようと廊下へ向かう。
「そっちに行くな」
しかし、不意に聞いたことのない声がした。
老若どころか性別さえわからない、中性的な声にたちまち驚く。最初、紫音がからかっているのかと思った。
「お兄ちゃん、今なにか喋った?」
「んや、なんも喋ってないけど」
紫音には聞こえなかったらしく、いまだにゲームを続けている。突然のことで気味が悪いが、不思議と恐怖心はなかった。
不思議に思い、足下に視線を落とす。そこには小鉄がいた。小鉄はただじっと、まとを見上げている。
「どうしたのー? おやつ食べたいの?」
「んなぁー」
「ごめんね~。また後で遊ぼう」
混乱した頭を落ち着けようとかがみ込んだ。小鉄の顎をさすり、ご機嫌をうかがう。ごろごろと気持ちよさそうにしていた。
「それじゃ、私行くからね」
頃合いを見て、まとは再び廊下へきびすを返す。──そしてまとが廊下に出た瞬間、それは起こった。
「行くな、まと」
またあの声がした、今度ははっきりと。紫音にも聞こえていたようで、怪訝な表情でこちらを見ていた。
「今、小鉄が喋ったのか?」
「な、なに? 小鉄……?」
疑念が確かであれば、その声は小鉄が発したように思える。小鉄はただじっと、まとを見つめて微動だにしなかった。
「なんだよっ、猫って喋るのかよ」
返事はない。
「こ、小鉄……?」
状況が飲み込めず、まとは廊下側に後ずさった。紫音も訳がわからず、ソファーから身を乗り出す。
「そっちに行くな!」
まとが廊下に入った瞬間、小鉄は怒鳴り声をあげた。
それが余計にまとを怖がらせるとも知らずに。案の定、まとが廊下から戻ってくることはなかった。
――そして、それはまとが最後に聞いた家族の声になる。