ウィズコロナは、リスクと付き合っていくことだよという話。
世間では連日新型コロナについての話題が尽きない。ここなろうでもコロナについてのエッセイは多い。
ただ残念なことにコロナ禍が長引いているせいもあり、コロナに関する話題は議論というよりは煽り合いになりがちである。みんなイライラしているのだ。これだけ行動制限が続けば無理もないだろう。
みんなが不安になるのは、先の展望がないからである。
いつまで耐えればいいかわからない状態というのはつらい。副反応におびえながらワクチンを二度三度と打ってもコロナにかかる時はかかるし、決定打になる治療薬はいつできるかもわからない。
政府も感染が再拡大するたびに緊急事態宣言やら蔓延防止だのを場当たり的に発令するだけで、一見して無策である。
そうなると、じつはもう治療薬はあるのに政府や製薬会社のせいで広まらないのだ、みたいな話に飛びつく人も増えてくる。
そこで今回は、ウィズコロナについて考えてみた。感染症は基本的に根絶できないので、人類はインフルエンザと同じようにコロナとも付き合っていくことになるだろう。コロナの存在が前提の生活、それがウィズコロナである。
結論から言うと、ウィズコロナとは日常の中で一定数の人たちが新型コロナにかかり、その中の一定数がコロナで死亡することを受け入れる社会である。つまり、ゼロリスクという考えを捨て、他の感染症に対するようにワクチンなどで対抗策を講じた上で、それでも感染したときは仕方ないと受け入れようということだ。
そんなのとんでもない、恐ろしいという人もいるだろう。
例を挙げる。
じつは毎年、肺炎で10万人近くが死亡していることは知っているだろうか。
肺炎は日本の死因の上位にランクインしており、死者の95%は65歳以上の高齢者である。高齢者の肺炎は多くが誤嚥によってインフルエンザ菌や肺炎球菌が体内に侵入することが原因とされる。とくに肺炎球菌は原因の30%近くを占めており、政府や医療機関は肺炎球菌ワクチンの接種を促しているが、接種率は30%台(2014〜17年度)と低いのが現実である。
アメリカでは肺炎球菌ワクチンの接種率が60%を超えており、日本が同程度の接種率を実現できれば肺炎による死者を4万人程度まで抑えられるのではないかという試算もある。
ここまで読んだ人の中には、おや、と思った人も多いだろう。
年間10万人近くが亡くなる肺炎のワクチンは打たないのに、新型コロナだけワクチンワクチンと大騒ぎするのはいささかバランスが悪くはないだろうか。肺炎を軽視する一方、新型コロナを異常に恐れるのはやや奇妙に見える。
新型コロナが恐ろしい感染症であることに違いはない。コロナワクチンは重要であるし、一刻も早く接種を終わらせるべきであることは確かだ。だがわれわれはコロナを正しく恐れる必要がある。
正しくとは、リスクを正確に把握し、比較した上で、現実と照らし合わせて落としどころを探るということである。リスクをゼロにできない以上、われわれはある程度のリスクは許容するしかない。
ウィズコロナの社会では、インフルエンザで死者が出るように、がん患者が亡くなるように、ある程度コロナによる死者は出るのである。
では、「ある程度のリスク」を具体的に考えてみよう。
リスクがゼロ、というのは感染しない社会である。しかしこれは前述したように実現不可能である。全員が家に籠っていては社会が成り立たない。
逆にリスクを最大にとる社会とは、ワクチンを接種した上で、一切の行動制限を撤廃する社会である。残念ながらおそらくこれもすぐには難しいだろう。現状でも医療リソースが圧迫されて救急搬送が滞っているのに、これ以上患者が増えたら本格的に医療が崩壊してしまう危険がある。
そう、医療崩壊だ。
ウィズコロナでいうリスクとは、コロナにかかるかからないではなく、医療崩壊するかどうかなのである。つまり行動制限を緩和して感染者が増えても、医療が安定しているならばそれは許容されるべきリスクなのだ。
ということは、どの程度まで行動制限を緩和できるか、コロナ前までの生活に戻れるかは、医療キャパシティーに掛かっているということになる。病床や医療従事者、ワクチンや治療薬をどれだけ安定して確保・供給できるかということだ。
日本は長引く不況のせいもあり、平時には余分だが今のような緊急時には必要なものを「無駄」として排除してきた。
医療分野においても、保健所は統廃合され、病床は過剰だとして削減されてきた。このコロナ禍に至って見直そうという動きもあると聞くが、厚労省が当初再編・統合の検討対象とした公立・公的病院の多くが感染症指定医療機関であるというのは何とも皮肉な話である。
話を戻す。
日本国民が自由な生活を望むならば、必要なのは充実した医療リソースである。いざコロナにかかった時、迅速に入院もできないというのはあまりにもリスキーすぎる。まずは前線に立つ医療関係者に十分な手当てをし、無理をせずとも医療環境が維持できる状態を作らねばならない。多少の余裕ができるまでは行動制限が続くことはやむを得ないだろう。
しかし医療が安定的に供給されたとき、徐々に行動制限は緩和できるだろう。安全性や効果が改善されたワクチンや、信頼できる治療薬が開発されればそれはさらに加速するはずだ。
まずは通常の医療を確保した上で、どれだけのコロナ患者を継続的に収容し治療できるのかをはっきりと知る必要があるだろう。
東京都では先日、コロナ病床確保の補助金を受け取りながら患者受け入れに消極的な病院があると報道された。しかしながら別の報道では、感染症指定医療機関が多すぎるために必要な人材が分散していることこそが問題であると指摘されており、素人には判断が難しい。
さしあたってわれわれ国民が政府に要求すべきは、医療リソースの正確な把握と適切な割り当てである。
追記
肺炎球菌ワクチンの日本での接種率に大きな間違いがあったので修正。