乱世の時代
視界に広がる光景に、俺はただ、戦慄した。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
阿鼻叫喚だ。
エメラルド国旗のマークを胸に掲げた兵士たち、彼らが、裸にひんむかれた人々に凶器を向けている。大きな剣は深々と肉に刺さり、溢れんばかりの血がしたたり落ちる。
「やあやあ、皆の者。精進しとるかね」
「ラモス将軍……それに王子殿下!?」
俺の存在に気付いた兵士たち。見ると若者が多い。彼らは次々とひざまずく。王族である俺に忠義を示す。
その光景が、いいようにないくらい不快だった。
(……対応が、普通すぎない?)
もし出会ったのが食堂でも、彼らはこんな反応をするだろう。
ラモスについてもだ。この状況で……何故そんなに呑気な声が出るんだよ。
「これは……いったい……?」
幾ばくか時を追い、ようやくでた。絞り出せた声。
しかし、質問の意図をつかんでいないのか、ラモスは微笑して答える。
「鍛錬ですじゃ」
……鍛錬?これが……?
「殿下は当然経験がないでしょうが、人間斬られても意外と死ねないものでしてなぁ、どこをどれくらい斬れば死ぬのか、どこを刺せばどれくらい返り血を浴びるのか。それを知るための鍛錬ですじゃ。それと殺しに慣れる意味もありますかの?」
は……は、ははははは。
「……なに言ってるんですか?…………じゃあ刺されてる人はどうなるんだ?死ぬんじゃないのか?それともここにいる人達はそれを承認済みなのか!?あまりに非人道的じゃあないか!?」
「ご心配には及びません。殿下。ここにいるのは皆、戦場で捕らえてきた捕虜です」
兵士たちの間を割って出てきたのは一人の青年。この物静かな風体は何度か見たことがある。コイン中尉、だったか。
「覚えておいででしたか!」
王族に記憶されていたこと、彼はそれを無邪気に喜んだ。
時と場所次第ではとても好印象な若者に見えただろう。ただ、ここでは胸糞悪さが増すだけだ。
「もう……やめてやって……こんなのは、残忍すぎる……無慈悲だ……どうかしてる……」
必死に、なだめるように声を出す。しかし、皆要領を得ないのか間の抜けた顔をする。
「これは異なことを申しますな、殿下。戦場とは、常に一発勝負。生きて帰れる保証はござらぬ、だからこそ鍛錬を積むのです。それとも殿下はわが兵に鍛錬を怠り戦場に出ろと?」
「ち、ちがう……。そうじゃない……」
「それに、昨今物騒でしてのぉ。敵と通ずる者が城内にいるとかいないとか。そのためにも城内の者たちには皆に潔白を証明させておりますじゃ、躊躇いなく捕虜を刺すことで、身の潔白をね。踏み絵というやつですな。正に一石百丁ですじゃ。うはははは!」
ラモスの言に、その場にいる全員が肯定の意を表す。
当然のことを言っているかのように。世界の共通認識であるかのように
ここまで来るのにラモスはあくまで自然体だった。悪意も、罪悪感も何も感じなかった。
つまり、彼にとっては当然のことなのだろう。
魚をさばいて、ジビエを締めるかのように。
「おかしい……」
会話にならない、なるはずがない。常識が違いすぎる。
この場にいるのは皆、人の命を何とも思わないサイコパスばかり、そう思うと背筋が凍る。
身も心もこわばり、押しつぶされそうになる。
「せっかくですし、殿下もどうですかな?この者なぞ子供の力でも殺りやすいと思いますぞ」
ラモスが目配せをすると、ひときわ若い兵士が、奥から人を連れてくる。
俺の目の前に転がされたのは、うら若き少女だった。
一糸まとわない裸体のほとんどが、赤黒く変色した血にまとわれており、視線を下げると、腹の裂傷から腸がはみでている。
「お?」
ほのかに、肉がちぎれる嫌な音が聞こえた。
少女の口から血の飛沫が飛んだ。
ビッと俺の顔に赤い斑点がつく。
少女はびくん、と一瞬だけ体を痙攣させ、動かなくなった。
「死にましたな」
呑気なラモスとは裏腹に、少女を連れてきた若い兵士は、身体を震わせながら床に頭を擦りつける。
「も、申し訳ございません。舌を噛み切る力を残していたとは…」
殺されると思っている。
この兵士は、処刑されると思い本気で怯えている。
王子の顔に血が飛んだ、ただそれだけのことで。
この世界、現代日本とは常識が違過ぎる。
……命が軽すぎる。
「こぅらっ!バカ王子ぃ!!てめ、こんな所にいやがったな、あァんっ!?」
すぱんっ!
空気を読まず俺の頭を張り倒したのは、俺を追いかけていたアイシャだ。
相当お冠のようで、額に青筋を立てている。
だが、今の俺にはそれが救いだった。
「アイシャぁ……」
ぽろぽろと涙を流し、子供らしく足に抱き着く。普段はプライドが邪魔して絶対にできない、だが今ばかりは知ったことか。わんわんと、声を上げて泣き叫ぶ。
「は、え、ど、どした?こら泣くな、男の子でしょ、つか私は怒って………ああ、もう……。無理ないか。怖いよねこんなところ、まだ6歳だもんね、よしよし、頑張ったね」
アイシャはせがまれるままに俺を優しく抱きしめる。
母性を込めて、ゆっくりゆっくり背中をさすり続ける。俺を落ち着かせようと。しかし、
「あんなこわーい捕虜の人たちは、さっさと殺してもらいましょうねー」
反射的に俺は、アイシャを突き飛ばし、距離を開けた。
「え、どうされました?」
かわいらしく、首をかしげるアイシャ
俺が何を思っているのか。それがわからないのが、何よりも怖い。
アイシャも……そちら側だと言うのか……。
「てか、ラモス将軍でしょ、こんなところに連れてきたの。連れてくるなら一声かけてくださいよ!心配するでしょ!」
「いやいや、殿下のご命令じゃもん、悪いのあっち」
「子供のせいにするなっつの」
少女の死体を前にして、怒るアイシャに軽口を叩くラモス。
いつも通りなのが、実に不気味だ。
怖い……。いや、もうそんなレベルじゃない。
やばい、おかしい、狂ってる、ふざけ……。
「ふざけるなああああああああああっ!!」
恐怖で、苛立ちで、怒りで、悲哀で、様々な感情がごちゃ混ぜになり、吐き気がする。くらくらする。しかし、止まれない。
「お前ら、お前ら人の命を何だと思ってる!!敵の命はおもちゃか?実験ネズミか?お前ら、自分が捕まった時のこと考えてみろよ。こんな風におもちゃにされた挙句、ごみみたいに死んでくんだぜ?他人事じゃなく自分の立場で考えろよ、自分の家族や友人だと思って考えろよ、ありえないだろ、人の道から外れすぎてるだろ!命ってそんなに軽くないだろっ!!」
「でも王子、今は乱世ですよ?」
「っッ!?」
アイシャのあっけからんとしたその一言、たった一言が刺さる。
「慈悲深きお方じゃなぁ。殿下。ただ時代は弱肉強食でしてなぁ。ご高説は痛み入りますが、わしらもその覚悟を持って生きておりますじゃ。この時代をね。他所の国も同じようなことをやっておる。儂らはその覚悟を持って戦場に立ちます。殿下たち王族はそんな屍の上で生活しておりますじゃ。どうかご理解のほどを」
兵士たちは一人ひとり、似たような言葉を並べる。
そして、最後には必ず「慈悲深い」だの「お優しい」だの俺に対する賛美を上げる。まるで、駄々をこねる子供をあやすように。
気持ち悪い、吐き気がする。
めまいがする。冷たい汗が噴き出て、呼吸が荒くなる。
不快感で胸が埋め尽くされ、腹の中のもの全てをぶちまけたくなる。
常識とは、その国、その時代によって変わる。
そんなことこそ常識だ。前世で嫌と言うほど学んだ。
彼らの言うことは、この世界における何よりの正論なのだろう。
(ああ、そういえば俺、平和ボケしすぎて死んだんだっけな)
平和な日本ですら、殺人があるんだ。
乱世の世界、人の命が虫けらより軽くてもおかしくない。
それでも、それでも、
「違うんだ……違う、違う、こんなのはダメなんだ……この世界の価値観を、俺におしつけるなっ!俺に求めるなっ!!おかしいのは、絶対にお前らだっ!!」
本当の子供になったように、泣き、わめき、力いっぱい癇癪を起し、俺は外へと飛び出した。
この場にいると頭がおかしくなるような、脳がただれるような気がして、無様に逃げ出した。