恐怖
「これはこれは、ご機嫌麗しゅう殿下。かくれんぼの最中ですかな?」
「いいえ、どちらかというと鬼ごっこです」
ある日のことだ。
いつも通り親父の書斎2号に潜り込み知識をむさぼっていたところにアイシャが乱入。
「だからここには入るなっつの!」とお叱り。そうして死に物狂いの逃走劇を演じている、だって最近ぶつんだもん。
そんないつも通りの日。
簡易の隠れ家にしようとした城内端っこの屋根付きベンチに、ラモスがいた。
「ラモス将軍こそ、こんなところで何をしているんですか?」
「殿下と似たようなものですじゃ、仕事熱心な同僚の目を盗んで逃げてきましてな」
そういうラモスは台座に寝そべってぼんやりとしている。
なるほど。ここは人通りが非常に少なくさぼりスポットとしてはうってつけだ。
「将軍がそんなんでいいんですか?」
「まあまあ、あと10年足らずで退役するおいぼれですじゃ。それにここは人気が少ないでしょう?怪しき者がいないかどうかの見回りにもなって一石百丁、ですじゃ」
「嘘くさいなぁ、今度父上にあった時にちくっちゃいますよー」
「どうかご勘弁を。ささ、貢物ですじゃ」
周りに人がいない時、ラモスは王子である俺を敬う様子は一切見せない。寝そべったまま手を伸ばし、細長い葉巻を差し出してきた。
「いや、それはちょっと…」
6歳児にタバコを薦めるなよ、モラルがないなぁ。
ラモスはけたけた笑った。
「真面目ですなぁ。アイシャはしっかり教育をしているようじゃ」
「まあ、たまにぶちますけどね」
「それも愛ですじゃ、愛」
そこまで言うと、ラモスはタバコの煙でわっかを作る作業に忙しいのか、俺に一切無沈着になる。
「一雨来るかものう……」
たばこの煙で遊びながらぼんやり空を見上げている。
こうして見ると、ただの好好爺という風に見える。
(この人、本当に将軍なのかな)
年相応か、見た目ほっそりしていて、全然強そうに見えない。前世の俺のほうがずっと筋肉質であった。
しかし、だからと言って弱いとも限らない。
と言うのも、この世界の人間の身体能力は前世の世界と比べて飛びぬけている。
現に俺は6歳児だというのに大変身軽でバク転側転し放題だし、現在俺を狙う狩人であるアイシャは細身の女性ながら帰化日本人選手ばりのフィジカルがあるだろう。
前世とは重力が違うのか、それとも生物としての筋肉から違うのか。
とにもかくにもアイシャは日本代表に欲しい逸材だ。
アイシャでそうなのだからこの高齢の将軍が釈迦如来並みに強くても驚きはしない。
試してみようか?
後ろから棒で殴りつけてみたらおかまか何かで止められるのだろうか。いや、今おかまはないんだけど。
そこまで考えたところで声が聞こえた。
『ディムルくんやーい、痛いことしないから出ておいでぇー』
甘ったるい声。アイシャの可愛らしい猫なで声に背筋がぞくりとする。
やばい、これはやばい時の声。
「おや、お迎えが来たようですな」
「……来てない!まだ6歳だし!身体も健康だし!」
「いえ、そっちの意味ではなく」
このままではそっちの意味になりかねない。
享年6歳なんてまっぴらだ。自慢の切れ切れ頭脳で生き残るためのプランを模索する。
「そういや、ラモス!僕に見せたいものがあるって言ってたね!今から見せられない?」
「これはこれは、そうきますか。後ろ暗いことをしたときは早めに謝るのが長寿の秘訣ですぞ。儂もそろそろ怒られに戻ります」
「後ろ暗いこと?なんのことかな、僕はラモスと約束があっただけ。こないだ言ってたものを見せてくれるってね。アイシャさんから逃げたわけじゃない。ラモスもなんで怒られるの?王子の僕に命令されて付き合っているだけ、別にさぼってたわけじゃない。そうだよね!?」
訳、「俺を見捨てるようならマジで親父に告げ口するぞ狸じじい」
ネゴシエイション、ネゴシエイション。
少し強引だが言い訳は立つ内容だ。互いにwin-winな取引のはず。
ラモスは虚を突かれたのか一瞬間の抜けた顔をして、
「ぷっはは、よいでしょう。主家の血がここで絶やされても不本意ですじゃ。その取引飲みますぞ」
サクセスっ!
「さあ、じゃあ行きましょう!見つからないうちにほらさささあ!」
そんなこんなで俺はラモスについていく。(背中を押して)
見せたいものとは何だろうか?
Hなものとか?
気になるのは、イリーナがソレを必死に止めていたということだろう。
やはりHなものか?
「そんな急かさないで下され、逃げたりしませんぞ」
ラモスはごくごく自然な態度だ。
何を見せるつもりか知らないが、特に俺の身に害のあるものでもないだろう。
考えられるとしたら、教育上良くないもの?
R18的な何かとか。
つまりHなものか。
この時の俺は、そんな風に呑気に考えていた。
◆◇◆◇◆◇
「殿下はこちらの方には来たことがありませんかな?」
城内北棟の最奥。城の中でも一番日当たりが悪く、一番ものものしい一角。
常に重装備をした兵士が見張りをしており、見るからに近寄りがたい、そんな一角だ。
「あまり来たことありません。さすがに、ここに忍び込むのはまだ無理ですよ。警備が厳しすぎる」
「まだ、と来ましたか。将来有望ですなぁ」
ラモスは芝居がかった仕草でわざとらしく首を振る。
彼のおちゃらけた態度はいつも通りだが、じめじめとしたこの場の空気が不安感を煽る。
『近年隣国のセリア王国との対立が激化していて、王宮内も安全じゃないって噂もあります。敵に買われた内通者がいるとかいないとか、だから王子、ぜぇ~ったい一人で出歩いちゃいけませんよ!私をまいてどこかに忍び込むなんて持っての他っす!』
アイシャの忠告が頭の中で再生される。
これは俺、やっちゃったかもな。
噂の内通者とはラモスのことで、これから俺はさらわれるんじゃないか。
「……」
「はあ、何をそんなにびくついとるんです?童のように」
「僕は6歳ですよ、現役全開で童です。てか、びくついてもいないですよ。初めての景色に新鮮味を感じてるだけです。はー、もうフレッシュだなぁ!」
軽口を叩いて自分をごまかす。
落ち着け、落ち着け。ラモスはこの国に何十年も仕えている古参の大将軍だ。王からの信も厚い。
王城の守りだって任されれるくらいだ。裏切るわけがない。
それに、誘拐するとしたらここは人目に付きすぎる。警備の兵たちがわんさかいる地区だ。
大丈夫。警備の人が皆共犯でもない限りは大丈夫……。
「わっ!」
「ひうっ!?」
茶目っけにあふれたラモスの行動。
まんまと引っかかった俺を見て、ラモスは目じりに涙を浮かべながら笑った。
「くくくく、失敬。到着したことをお知らせしようと。ここですじゃ」
笑いをかみ殺しながらラモスが指さすそこは重厚なカギのついた小さな扉だ。もう先客がいるのだろう。カギは外されている。
(平気、かな?)
ラモスの態度を見てそう思った。
瞳の動きに乱れがないし、たたずまいにも浮足立った感じはしない。
悪意は何も感じ取れない。彼からは幼い王子をいかにからかうべきか、無邪気に考えている様子が見て取れる。
ま、害をなすものではないなら安心だ。
恐怖で鈍っていた頭が冷静に回りだす。
この王城は山々を背にしている自然の要塞という一面もある。
南の正門に対して奥まった北地区。
この物騒ともいえる警備の数。
重厚な鍵付きの扉。
求められる答えは一つだ。
恐らく宝物庫かそれに類する場所だろう。
ラモスは俺に王家の家宝か何かを見せる気なのかもしれない。
先祖代々これを守るためにうんたらかんたら、と年寄り特有のご高説が始まるのかもしれない。
……しかし、ラモスが扉を開けた瞬間、俺の呑気な考えは霧散していった。
扉は、開けるとすぐに階段があり地下へと続いていた。
古めかしい階段を下りながら不快感が駆け巡る。
まず反応したのは鼻だ。生臭い、むせるような鉄のにおい。一瞬で呼吸をするのが辛くなる。
次に反応したのは耳だ。何かのうめき声が聞こえる。
一段一段階段を下りることでそれは悪化し、最後の方には命乞いをする喚き声、叫び声が聞こえる。
魂が裂けるような、押しつぶされるような叫び。間違いなく人の声だ。
やばい、これはやばい。引き返せ引き返せ。
しかし、恐怖ですくむ俺の思考とは裏腹に、足は止まらず一段一段、そして、最後の一段まで下り切った。