天才児の片鱗
それから2か月経った。イリーナの講義によって医療の知識を十分に理解し、(といっても実は知っていたのだが)ようやく実技の段階に入った。
「ここまで窮屈な座学でつまらなかったでしょう。よく辛抱なされましたね」
「いえいえ、必要なことでしたから」
「うふふ、お利口様です。さて、それでは実技に移りましょうか」
今さらだが、実技とは何をするのだろうか。
町の病院などにいる怪我人で練習するのだろうか。ある意味人体実験にならないだろうか。
しかし、俺の心配は杞憂であった。
イリーナは目をつぶり、足元の地面に向かって指をさす。
指の先がぽうっと光だし、1メートルくらいの木を出現させた。
「すごい……」
俺にしては珍しく、本音の勝算が漏れた。
「うわあ、すごいですね先生。それは土魔法ですか?」
「少し違います。水魔法と土魔法の併用です。世界でも私しか使えないオリジナル魔法なんですよ♪」
イリーナ曰く、4系統と治癒魔法などの補助魔法以外にも様々なものがあるらしい。
なぜなら魔法とは人間のイメージを具現化するものであり、そこに限界はないからだ。
1人ひとりのイメージ次第でどんなことでもできる。
「いつか、殿下だけのオリジナル魔法が作れるといいですね」
イリーナは、そう言いながら柔和にほほ笑んだ。
「さあ、この植物を使って練習です、殿下」
イリーナは木の枝をポッキり折る。
そして折れてぶら下がった枝を支え、呪文を唱える。
『ヒーリング』
イリーナの手から出る緑色の暖かな光。
その光につつまれて、みるみる内に枝は折れる前へと回復した。
「……すごい」
またもや口から洩れる。
「うふふ、こんなの初級魔法ですよ」
いやいや、すごいよ。だって人の手から光が出るんだよ?それで治るんだよ?
あくまで前世の世界の感覚なのだろう。異世界人から見たら当然の事なのかもしれない。
「さあ、殿下。今度は殿下の番ですよ」
イリーナは再び枝をぽきりと折る。
枝を折る仕草まで優雅で美しい。
「えっと、呪文をもう一度言ってもらってもいいですか」
「好きな言葉で構いませんよ」
無茶苦茶を言う。
「これは私見になりますが、呪文はどんなものでも構わないと考えます。大切なのはできると信じ込むことです。そのために自分がイメージの沸きやすい言葉を唱えるのです。そうすれば、どんなこともできます。魔法に不可能はありませんから」
そう言ってイリーナはにっこりとほほ笑んだ。
「全てはイメージです。それを忘れないでください」
ふむ、そんなものなのか。
アイシャからインパクトを教わったときはやたら呪文の重要性を説かれたものだが……。
いや、イリーナは私見と言った。一般論とはズレているということだろう。
イリーナに促され、木の前に立つ。
俺はごくりと生唾を飲んだ。
自慢じゃないが、俺はここまでは規格外の天才児で通ってきた。
前世の経験があるんだから当然だ。
しかし、これは前世の経験の外の事。上手くできるかはわからない
自然に口元が緩んでくる。
いつもながら、初めての事への挑戦はわくわくするね。
折れてぶら下がった枝を支えながら、目をつぶり、思考する。
全てはイメージ。イリーナはそう言った。
イメージ……イメージ……。
と言っても俺は治癒魔法が使用されている光景をあまり見たことがない。
生まれた当初と先ほどを除けば一度もないのだ。
必然的にイメージは先ほどのイリーナの姿になる。
イリーナはどのようにしていただろうか。
何というか、こう、ブツブツと、簡単そうに呟いたのだ。「ヒーリング」と。
いや、簡単そうと言うと最初に木をはやした時の方が、あの時は声すら出さずに指だけ向けて……こう。
……こう。
俺の腕から緑色の光が流れ出る。
イリーナ程早くはないが、枝はじわじわと繋がり、元通りの姿となった。
「……まあ」
イリーナが口に手を当てて驚く。
「お見事ですよ殿下。まさかいきなり完全無詠唱ができるなんて!」
完全無詠唱?あ、そういえば詠唱するの忘れてたな。
「ごめんなさい、先生。先生がやっていたのでつい……」
「いえいえ、殿下は本当にお見事です。言葉以上の意味はございません。魔術師たちの理想系の一つである無詠唱ができたのですから」
イリーナはにこにこしながら俺の頭をなでる。
アイシャを含む、若い侍女たちはよくやるが、イリーナにしては珍しい動作だ。
彼女はプロの指導者だ。
普段から柔和な笑みを絶やさないが、あくまで教師として一線を置いている。
俺が王族だということからも、決して不敬な真似はせず、常に自分の素顔は内に秘めている。
それなのに、どうしたのだろうか。いつもより頬が緩んでいる。
「先生、いつもよりテンション高いですね?」
「それほどの出来ということですよ」
なるほど、この腑に落ちない態度は教師冥利が要因か。
「魔法に不可能はない。不可能を作っているのはヒトの先入観である、私の研究テーマです」
「先生、学者さんだったんですか?」
「ええ、ふふ、実はインテリなんです、私」
ちなみにイリーナは300歳を超えているらしい。さすがはエルフだ。
「魔法は、人に際限のない祝福を与えてくれる奇跡です。不可能はありません。しかし、残念なことにヒトのイメージには限界があります」
イリーナ曰く、魔法には想像力が必要らしい。
魔法が使えない人は、手から火が出たり水が出たりする現象を心の底から信じることができないらしい。
魔法は血筋だ、才能だ、そんな言い訳をして自らにふたをする。
詠唱やら杖やらも、先入観を錯覚させるためのプラシーボ効果でしかないらしい。
まあ確かに杖をふるって呪文を叫べばできる気がする。なんたらかんたらパトローネ!ってね。
「そういった意味では、先入観のないお子様のほうが無詠唱に向いています。理論上は」
「理論上何ですか?」
「ええ、あくまで魔法の基礎は、世の理を論理的に形作ることです。知識がなければ魔力は魔法になりえません」
ふむ、ようは原理を知らなければいけないのか。
例えば乾燥した地域で雷は起こせないし真空状態で炎は作れない。
そういったことを知らない子供に魔法は扱えないし知ってる大人は先入観に染まってしまっている。
片や先入観がなくても知識もない。
片や知識はあるが、先入観も備えてる。
「うーん、なかなか難しい問題ですね」
「ええ、難しい問題なんです、本来なら」
うぐ……。
イリーナはいぶかしげな眼で俺を見つめる。
「殿下、医学の知識がおありで?」
はい、前世で医療器具を販売しておりました!なんて言えるわけもない。
「やだな、先生が教えてくれたんじゃないですか、先生の教えのたまものですよ、ははは」
「いえ、私がお教えしたのはほんのさわりだけです。完全無詠唱が使えるほどなどでは……」
流石に苦しいか。アイシャならごまかせていたのに……。
「うーん。何故でしょう?」
さすが勉強熱心な学者さんだ。
頭に?マークを浮かせながらも俺の身体をペタペタと触って調べている。
ばれないよな、ばれないよな。
この世界に生まれてから知った範囲での常識としては、赤ん坊に転生するなんて聞いたことがないからばれないとは思うけど。
ばれたときのことを考えたらぞっとする。生まれた赤子が実は35歳のおじ様でしたー、なんて知ったら母上など卒倒するだろう。はい、母上卒倒・俺はぞっと、ちぇけらっ!
「殿下―、お茶の時間ですよー」
アホなことを考えていたら救いの女神が現れる。そう、アホのアイシャだ。
すぱんっ!
「ぎゃっふ!」
叩かれた……。
「なんか腹がたったのでつい…」
「これは紛れもなくDVだ…」
「???」
いまだに?マークを浮かべているイリーナをよそに、俺たちは自室へと向かった。