一話
「……はあ」
溜息を一つ。
つい先日の出来事にめまいを覚えながら、私、レラ・ルーカスは自室の机に片肘をつきながら椅子に腰を下ろし、走らせていた筆を置く。
『ねえ、お姉様。カルロス様を私に譲ってくださらない?』
事の発端は五日前、妹の口から告げられたその言葉。
両親からこれ以上なく甘やかされた弊害か。
何でもかんでも欲しがる妹であると知っていたけれど、まさか婚約者としての立場まで欲しがるとは思ってもみなかった。
妹は私に対抗意識でも持っているのか。
昔から何かと私のものを欲しがり、病弱であるからと両親から甘やかされている事をいい事に見事にそれを奪っていくのが常であった。
けれど、今回はものではなく立場。
流石にいつもの我儘とはいえ通る筈がないだろう、と思っていたのだが。
「……ほんと、流石にこれはあり得ないって」
何故か、その我儘がまかり通ってしまった。
それが、こうして私が溜息を吐いている理由であり、悩みの種。
婚約者であるカルロスも、流石にそんな我儘に頷くわけがないと思っていたのがそもそもの間違い。
十年来の付き合いであったが為に万が一にもと思っていた筈が、却ってそれが仇となった。
「……ルーカスと縁を結べるのであれば、妹でも問題ないからって、無茶苦茶すぎでしょ」
両親には最早期待してなかったけれど、カルロスまで懐柔されてしまってるとは露ほども疑っていなかったのがバカだった。
そのせいで結局、婚約者としての立場も妹の我儘によって奪われ、殆ど私の居場所はあってないようなものに変わってしまっている。
……本当に、愚痴でも吐かなきゃやってられない状況であった。
ただ、周囲に愚痴を吐ける人間がいない為、その愚痴を吐く相手は隣国にいるであろう親友に向かっていた。
今と何ら大差ない愚痴を文字に変えて手紙へと書き殴り、送ったのがかれこれ五日前の話。
今朝届いた相手からの手紙に対する返事を書き終えた私は何度目か分からない溜息と共に机に力なく突っ伏した。
————なら、お前は俺が貰ってもいいよな。
基本的に私の両親や、婚約者だったカルロスを責め立てる言葉が大半を占め、そして最後にふと思い立ったかのようにそんな相変わらずの冗談を添えて手紙は締めくくられていた。
一年前まで私が通っていた学び舎——『王立魔法学院』。
そこで知り合い、親友と呼べる間柄になった隣国の貴族、イグナーツの事を懐かしみながら私は呟いた。
「……ほんっと、それが出来るんなら、私だって色々と気が楽だしそうして欲しいってば」
なーんでイグナーツのやつは隣国の貴族なのやら。近くにいたらあいつの下に今頃逃げ込めてただろうに。
と、遠方にいるであろう友人の冗談に同意しながら、理不尽でしかない文句を心の中で言ってみる。
曰く、隣国のしがないとある貴族の次男坊。
曰く、親の反対を押し切って学院に入学をした為、貴族でありながら終始家名が伏せられていた変わり者。
家名を公表してしまうと親から連れ戻されてしまうからといって結局、最後まで何処の家の人間なのかは聞けなかったけれど、彼の所作からしてそれなりの家格のある御家出身である事だけは明らかであった。
「でもまあ……この冗談は兎も角、久々に会いに行って見るのもありなのかな」
私の生家であるルーカスが公爵家であるが為に、周囲からは高い家格である故に一歩距離を置いて接されるのが常だった。
ただ、そんな中でイグナーツだけが好き勝手、やりたい放題に絡んできてくれた唯一の人。
貴族らしい風習やら、元々ちょっぴり鬱陶しく感じていた私だったからか。
色々と異端児だったイグナーツとはびっくりするくらいに気が合った。
だから、気分転換がてら親友に会いに行くのもありなのかなって思った私は置いていた筆を再度手に取り、折角だからとその旨も手紙に書き加える事にした。
「うん。これで……よしっと」
両親は妹に執心してる上、カルロスの婚約者でもなくなった私に殆ど興味はないだろうし、隣国へ友人に会いに行く事くらい多分許される。
何だったら気にもされない。
そんな考えを抱きながら、私は手紙を送る事にした。
その三日後。
びっくりするぐらいの速さで手紙の返事が私の下に届き、その中身はまさかのたった一行。
『用事が出来たから俺が向かう』のみ。
そしてその更に一日後に、イグナーツ本人がそれなりの人数の護衛を引き連れながら、マジで私の下にやって来た。
何の用事だったの? って何気ない質問をすると手紙にも書いただろって呆れられた。
私、手紙には愚痴と、イグナーツの冗談に対してそうだったら良かったのにねってそれとなく同意しただけなんだけど……。
「嗚呼、そうそう、お前の両親にはもう話を通してるし、何の問題もないぞ」
もう訳がわからなかった。
両親に話を通してるって、イグナーツは私と手紙でやり取りしてただけじゃん。
なんて思いながら、何言ってんのイグナーツ。
と言わんばかりに顰めっ面を向ける。
「いやだから、婚約者の件」
……そこで漸く合点がいく。
イグナーツと私は最早親友と呼べる間柄。
親友の私を案じて両親を諌めてくれたのかもしれない。流石にそれはやり過ぎであると。
嗚呼、そういう事か。
って納得したのも束の間。
「今日からレラは、俺の婚約者になったから」
「………………はい?」
続けられた言葉のせいで盛大に頭が混乱する。
やっぱり、訳がわからなかった。
その時覚えてるのは、したり顔を浮かべるイグナーツの眩しいくらいの笑みと。
彼の護衛の呆れるような表情。
そして何故かその場に居合わせていた妹が、どうしてか顔を真っ赤にして私を睨み付けていた事くらいだった。
書き溜めが尽きるまで一日二話更新です