それはなんと呼ぶべきか
それはなんと呼ぶべきか
湿気で意識が遠くなりそうな雨上がりの暑い日。
相棒と晩飯の買い物に出掛けた。
今日は自分が作る番だと思い献立を考える。
冷やし中華はどうだろう、みずみずしい胡瓜。
黄金色の錦糸卵。程よい塩味のついたハム。
喉越しの良いちぢれ麺。
「冷やし中華がいいよ、なんか思い出したら食べたくなっちゃった」
「あーやっぱりか、今言おうとした」
先ほど通った道に中華の店があった。もしかしたら張り紙に書いてあったかもしれない。毎年ご丁寧に綴られる開始を告げる一文。
「今日ね、また言われちゃったよ」
「え、なに、いつものやつ?」
「そう、いつものやつ」
「飽きないなぁあの人も」
勤め先の上司にまた悪態をつかれたらしい。
昔自分も勤めておりその上司の様子は知っていたが、
未だに変わっていないのかとため息が出る。
「あーこらこら、ため息つかない、幸せが逃げちゃうよ」
「すまん、もう癖だなこれ」
「悪癖だねぇ治そうねぇ」
ずっと抜けない災いの種を、相方は笑って教えてくれる。いい加減怒ったりしてもいいのに。
本当に最高の仲間を見つけたと思う。
出会った当初は散々喧嘩した。そもそも考え方も性格も真反対。理性的を地でいく自分と、本能的な相棒。
考えずに動き回る姿を見て、腹が立って、やっていけないと何度も思った。
逆にそう思われたこともあったかもしれない。
それなのに相棒はこういった。
「大事な相棒だから、止めてくれるんでしょ?」と。
命令で無理矢理くっつけられて、引き剥がせないから仕方なくついて回って。こいつは仲良しこよしを演じようとしている。そう思っていたのに。
「…そもそもお前を相棒だと認めてないんだが」
「あれ、じゃあ何してもほっとくもんじゃない?大事だから止めに来てくれてるんだと思ってた」
とんでもない方向から殴られたような衝撃があった。
興味がないなら何も言わなければいい。迷惑なら離れる方法は探せばあった筈だ。ならどうして。
「楽しかったでしょ、組んでる間!こっちはめちゃくちゃ楽しかったよ」
確かに腹が立つことは何度もあった。あったが、最後はいつも笑っていた。悪い結果になっても手を差し出して、その逆もあった。それがあまりに自然で、意識するまで思い出せなくなっていた。
悪いことばかりが頭を駆け巡る。染み付いた癖。その癖に、邪魔をされていた。誰かと共にいる時間の素晴らしさを。
「お前は凄いよ、なかなか気づけないとこにすぐ気づく」
「まあね、本能で生きてるからね、フィーリングって大事なのよ相棒」
褒められて調子に乗ったのかぴょんとうさぎのように飛び跳ねる。その先には打ち水の水溜り。
話している間ずっとこちら向いていたから、その存在には気付いていなかったらしい。
綺麗にど真ん中に着地して、盛大に水が飛び散った。
「だぁー!!やっちゃった」
「たまには考えてから動くのも大事だぞ、相棒」
鞄からハンカチを出して、ついた水を拭う。
なかなかの大きさの水溜りだったからか、足回りだけでなく手や顔にまで跳ねていた。
「おぉうさっすが、用意周到だね」
「ハンカチと絆創膏は絶対持つようにしてるんだよ」
本能的に動くものだから、汚れはもちろん、怪我も多かった。絆創膏で済めば良い方。包帯、薬、果てには病院にかかることさえあった。
こちらが心配しているとわかっているのにあまりにも多いものだから、一度だけ縁を切るつもりでキレた事がある。
どれだけこっちが大事に思っても、そっちが自身を大事にしてくれないと意味がない。傷ついているのを見ることに耐えられない、と喚いてしまった。
その時の相手の顔が今でも忘れられない。
大きく見開き、いつもより水分の多い瞳。
ほんのり紅く染まった頬。
食べ物を待つ子供のように開きっぱなしの唇。
なんとなく間抜けで、どうしようもなく愛おしい。
本能で求めてしまいそうになる表情。
危うく可愛いなお前と言いそうになった。
帰ってきた言葉は、
「わかった、ごめん」
今まで何度も注意してきたのに減らなかった生傷が、これ以降めっきり減った。先程のように汚れることは度々あれど、怪我の頻度も度合いもマシになり、隠すこともなくきちんと言うようになった。謝罪の言葉をつけて。
それ以来、思ったことは素直に言うように心がけた。言えば聞いてくれるのがわかったこともあるが、なによりあの顔をもう一度見てみたいという下心もある。
「ねぇ、人に言っといてそっちは考え事しながら歩くのー?」
「え、あ、悪い」
「怪我とかしてほしくないのはこっちも一緒なんだからね」
いつのまにか歩き出していた相棒に意識を引き戻される。これは確かに咎められても仕方ないと駆け寄った。
「さっき歩いてる時ね、めっちゃすれ違い様にカップルぽい二人に見られたよ」
「あー、まぁお前目を引くし」
あまり人の見た目について話すのは好きではないのだが、こればかりは仕方ない。相棒は良い意味で目立つ。顔、スタイル、控えめに言って凄い。
「いやいやそっちも見られてたから」
「こんなの見てくるやついないよ」
「そうー?てかやっぱりめんどくさいねぇ」
「だな、それは常々思う」
二人揃って呆れ顔をしてしまい、どちらともなく吹き出す。よくある事なのだ。
「でもやめる気ないしなぁ」
左手に買い物袋。右手に相棒の手。始めたのは相棒から。特に違和感はなかった。心地良くて。幸せで。
「でも毎回上司に気持ち悪いって言われんだろ?」
「なんかね、幸せなんだからほっとけって感じ」
「この間しつこく聞かれんだって?同僚に」
「そーなの、いつも通り答えたよ」
「自分たちは、恋人でも夫婦でも彼氏彼女でもなく
人生の相棒、パートナー、仲間ですって」
『もう一人の相棒』
考え方も何もかも反対の相棒にあって、妙につっかかる様子を見て閃いた。
もしかしてこの人はめちゃくちゃ優しいのでは、と。
本当にどうでも良いなら死のうが生きようがさえどうでも良い、少なくとも自分はそうだった。
恋人でさえ、生死とまではいかないものの、自由に生きてほしい。求めたときに来てくれればいいと考えていた。
それがこの人相手だと通用しなかった。
大体の人が本能をぶつけると離れていくのに、この人からは絶対に何かが返ってくる。
やりたいようにやらせてくれて、それでもほったらかしではなく口も手も出してくる。
道から外れそうになったら引き戻してくれる。
それが堪らなく嬉しくて、楽しかった。
だんだん笑っている顔も増えて、それがみたくて調子に乗った。本人は気付いていなかったみたいだが。
無茶をして、病院に行き、その帰り。
初めて見る顔で言われた。
まっすぐに見つめ、少しどもりながらも、はっきりと。
「お前が傷ついているのを見ることに耐えられない」
初めてだったのだ。良い結果ではなく、自分そのものを見てくれた人が。
相棒の悲しそうな顔を見て嬉しいと思った自分を振り払うように、謝罪の言葉を返した。
無茶をして喜ばせる必要はなくなり、それで喜ばないこともわかったので、大暴れするのはやめた。
ただ癖は抜けないもので、失敗もよくする。
素直に謝れば優しく微笑んで許してくれるし、相手もより素直になってくれた。
考え事が好きな相棒はときたま他所に意識が飛ぶ。
ひどい時には話しながら歩いている最中でさえ、ぴたりと動きを止めて考え事をする。
見ていてもらわないと困る、止めてもらわないと困るのだ。だから考えた。手を繋げばいいと。
大切な相棒がボーッとしている間に連れていかれたり、悪意に晒されるなんて大問題だ。
少し儚げな雰囲気、硬く結んだ唇が綻び笑む瞬間、八の字に歪む眉、小さく漏れる笑い声。これを知るのは自分だけでいい。なくなると困る。
二人並ぶと自分の方が目立つから守ってあげられるしちょうど良い。
ただ一つ、厄介ごとは増えたが。
この人と自分の関係を恋だなんだとぬかすやつは心底阿呆だなと思う。そんな生半可なものじゃないのだ。
自分はこの人がいないと、この人は自分がいないと生きていけない。
恋ではない。そもそも他の人もそうだと思ってない。
同じ性別なのがそんなに問題なのだろうか。
だとしたらもう、相棒でいいか。
この世の何よりも、大切で、手放したくない相棒がいる。それだけのことだ。