第六話:出陣
「漸く、そんな顔だな。銀」
「全く以てその通りだな」
レーヴェンスの軽口に銀はにこりともせずに言って退けた。
一週間、この世界の一週間が何日かは銀の知る由では無いが、救世主お披露目のパレードが終わるまでに七日を要した。
その間、銀は退屈であること以外の不満を口にすることは無かったが、親しくなった者たちには一通り、その退屈さを愚痴り、ストックリー王城の者達の中に、銀が退屈していることを知らない者は一人もいない程になっていた。
不思議なことに、銀の態度に『けしからん奴だ!!』と憤慨する貴族や、『幻滅しました』と失望する侍女は一人もおらず、誰もが子供か愛玩動物に向けるような温かい視線と笑顔で受け入れていた。
一応、城外の平民たちの前では取り繕うくらいの配慮は見せたが、生憎と今は馬車の中だ。
乗客も銀とレーヴェンスの二人しかいない。
「だが、晴れて自由の身だ。いや、言い方が悪いか」
「いいや、その言い方で間違っていない。やっと自由を取り戻すことが出来た」
相変わらずけだるげな態度、顔付き、口調だったが明らかに解放感に安堵する気配が漂っている。
「これからの活動方針だが――」
「情報収集ついでに難民を救出しよう。特に南西。旧デルリム共和国領を跨ぐ、アラボス連邦側からの難民が増えている気がする」
暇な時間を使って既に方針を決めていたらしく、レーヴェンスの言葉に被せるように言い放った。
その態度はこの世界の感覚からしても無礼であったが、それ以上に銀の鋭い着眼点にレーヴェンスは、感心したように頷いた。
「半ば軟禁に近い状態だったのに、よく気付いたな。それに地名や位置関係を把握しているのも流石だ。退屈の甲斐はあったか?」
「知識を振る舞いたがる奴は何処の世界にもいる」
大陸南西部に位置するアラボス連邦は、この世界で一番最初に無に飲み込まれた国だ。
無の恐るべき光景に、アラボス連邦が取った選択は、デルリム共和国に対する宣戦布告であった。
デルリム共和国に遷都し、存続を図ったのである。
無の危険性を知る連邦は共和国に対し、果敢に戦った。
狂乱するかの如く戦いぶりに、戦線は連邦優位で推移していくが、それも長くは続かなかった。
王国に庇護を乞うたのは共和国の代表サンロットだけで、アラボス連邦側からの外交チャンネルは途絶えたままになっているのが、そのまま答えになる。
共和国と悪魔に挟撃され、文字通り磨り潰された。
そう言った意味では、無と悪魔の恐ろしさを共和国以上に理解しているのが連邦だ。
その難民たち――特に無や悪魔と戦った前線の兵士や上級将校は情報源に使えるのは、確かに頷ける話だった。
「自由の身になれたのだ。そう不貞腐れるな。まあ、何はともあれ銀の方針に異論は無い」
「それは何よりだ」
銀の方針に異論は無い。
強いて不満をあげるなら、救世の旅は男二人だけということだ。
女っ気が無いということでは無く、盛大なパレードとは裏腹に扱われ方があまりにもぞんざいだ。
この馬車も御者が付くのはストックリー王国とデルムリ共和国の国境線まで。
そこから先は道中で遭遇した難民の質と交渉次第だ。
場合によっては、王国の軍事の顔役ともいうべき立場にあるレーヴェンスが、御者の真似事をしなくてはならなくなる。
「あれこれと人員を集めても被害が増すばかり、妥当な判断だろう」
「顔に出ていたか?」
レーヴェンスは問いかけてから後悔した。
顔に出ていたからこその言葉あり、態々問うまでもない筈だ。
間抜けさを恥じ入るが、肝心の銀はレーヴェンスの醜態に何の感慨も無いらしく、窓の外を眺めていた。
正確には難民の一団でも見つからないかと観察している。
『……私が間違っているのか?』
聖戦士にする態度では無い。
その筈なのだが、この一件でレーヴェンスは、王からも、国からも、ぞんざいな扱いを受けている。
異界の救世主、銀からも同様にだ。
こうも立て続けにされると、不満を感じる自分が間違えているのではないかという気にすらなった。
取りあえず、その疑問は棚に上げることにした。
もうすぐ御者が去る国境線に差し掛かる。
御者という仕事を蔑ろにするわけではないが、それでも、同時に、
『何故、私が小間使いのようなことをしなくてはならんのだ』という思いもあった。
いや、出自を思えば聖戦士よりも御者をしてる方が相応しいのだが矜持がそれを簡単には許してくれない。
「レーヴェンス」
理想と現実の狭間で忸怩たるものを感じ、気もそぞろになっているところに銀が声をかけた。
相変わらず、銀の視線は窓の外の方に向いている。
「難民にしては様子が変だな」
自分と同じ物を見ていることを前提とした物言いに、レーヴェンスは慌てて難民らしき者達の姿を探す。
幸い手間取ることなく見つけることが出来た。
国境線上の、ほんの僅かだけデルムリ共和国側の方で馬車が停車していた。
団体の観光客向けの馬車だ。中の様子を見ることは出来なかったが、悪魔に包囲されているわけでもなければ、車輪が壊れたり、馬の不調で立ち往生しているようでも無さそうだ。
何かの意図があって、王国と共和国の境界線上に陣取っているように見えた。
『独自に悪魔と戦っている共和国の兵士か?』
その考えをレーヴェンスはすぐさま否定した。
戦う意思があるのなら王国に要請したり、同調するなりして、もっと戦術効果の高い戦い方をする筈だ。
「御者、あの馬車に近付いてくれ」
「はあ……」
「あそこに行くまでだ! 到着したら帰って構わん!」
気乗りし無さそうな御者を叱り飛ばして、大型馬車の元に近付くが、矢張り動く様子は無かった。
御者は一も二も無く、馬車から馬一頭を外してさっさと逃げ帰ってしまった。
薄情だと思う以上に、矢張りぞんざいに扱われている事実を突き付けられた気分になる。
銀はと言えば、レーヴェンスの様子や逃げ帰った御者のことなど『別に良い』と言わんばかりに外に出ていった。
慌てて後を追うと、意外にも銀が面食らった顔して硬直していた。
「おやおや、お客様はお二人でしたか。パラダイス商会へようこそ! 今日はどのような奴隷をお求めですかな?」