第三話:召喚
「お父様」
王の間に、純白のドレスを身に纏った年若い乙女が姿を見せた。
「ネーヴィカ」
ネーヴィカ・ストックリー。ストックリー王国の姫で、ブラクロスの一人娘だ。
王妃は病没し、初老に差し掛かるブラクロス王の身体に後胤を用意する機能も失われており、やがては彼女がストックリー王国で初めての女王となる。
それは王国に限った話では無く、大陸史上、前人未踏の試みだ。
だが、それも未来の話であって、今現在の話ではない。
だからブラクロス王の直系とは言え、王座に足を踏み入れるのは、あまり褒められた行為とは言えない。それは彼女自身も理解している。
それにも関わらず、姿を見せたのはそれだけ重大な報せを彼女が抱えているからに他ならない。
「見つけたのか?」
実父の縋るような問いにネーヴィカ姫は優美に頷いて返した。
「はい。最高峰の、これ以上に無い勇者を見つけました」
「よくやった!」
勇者さえ召喚してしまえば勝敗は決定付けられたも同然だ。
先の大敗から召喚されるまでの間に、どれ程の被害が出るのか?
場合によっては王城を放棄、無から離れた地域に遷都しなくてはならないかも知れない。
表にことそ出さないものの、今までに経験したことのない不安がブラクロス王を苛んだが、一人娘の一言で全て霧散し、重圧から解き放たれたかのように勢いよく立ち上がった。
「誰ぞおらぬか! 神官と魔導士を呼べ! 招集するのだ!」
心の奥底に抱えた恐怖が嘘であるかのような覇気のある声だった。
ネーヴィカ姫が聞いたことのない陽気すら漂っていた。
そこからの動きは早く、レーヴェンスをはじめとした主力を筆頭に、神官やが魔導士が屋上に集まっていた。
「我等が至宝、ネーヴィカ姫の働きにより、ついに救世の勇者を捉えた。これより召喚の儀に移る!」
ネーヴィカ姫には父の姿が、誕生パーティでもらったプレゼントを一刻も早く開けたくてソワソワしている子供のように見えた。
これからやろうとしていることは、全財産に加えて多額の借金を投じた博打に近い。
勝てば世界の全てを手に入れ、負ければ世界と共に消えて無くなる。そういう賭けだ。
結論から言えば彼等は賭けに勝った。予定調和であるかのように。
「よくぞ我等の声に応えてくれたな! 異界の勇者よ!」
ブラクロス王の歓喜とは裏腹に、黒髪黒目をした長身痩躯の男は何がなんだか分からず、戸惑った様子だった。
「ここは……?」
「突然のお呼び立て、恐れ入ります」
この場にいる誰よりも先駆けて、ネーヴィカ姫が傅いて頭を垂れた。
その態度を咎めたり、困惑したりする者は誰一人としておらず、それが当然であるかのような態度だった。
「わたしはストックリー王国のネーヴィカ・ストックリー。貴方を召喚した者です」
「……銀です」
召喚された勇者、銀は自らの戸惑いをひとまず仕舞い込むと、折り目正しく一礼して、ほんの僅かな間の後に名乗った。
「召喚と仰いましたが、どういうことなのでしょうか?」
その問いに、ネーヴィカ姫はこの世界の、そして王国の状況を語って聞かせた。
銀は遮ること無く、ただ黙って聞き続けた。
「そういうわけだ。やってくれるな?」
問いかけと言うよりは最終確認作業にも似た態度でブラクロス王が締めくくった。
銀の意思や感情を、まるで意に介していない。
本来なら、このような短慮を起こす王では無いのだが、これ以上に無い最高峰の勇者という愛娘の太鼓判に浮かれていたのだ。
何より、召喚魔法に選ばれた者が勇者になることを決して拒まないと知っていたからだ。
戦い、救済することを誉れとする者だけを選別し、召喚する魔法なのだと。
だからだろうか、
「ええ、選択の余地は無さそうだ」
聞き分けの無い子どもを見るような目で、困ったように笑みを浮かべる銀の姿にブラクロス王は戸惑った。
召喚魔法に残る伝承が、事実とは異なるのではないかと今更になって気付いたのだ。
『これでは強制連行した外国人を戦地に送り込んでいるようではないか』
送り込んでいるようなのではなく、正しく送り込んでいるのだ。
人道的な理由だけではない。
「ところで、元の世界には戻して頂けるのでしょうか? わたしにも、わたしの生涯がある。あまり長居をするわけにはいかないのですが」
独力で悪魔を捻じ伏せることが出来ないが故の救世の勇者だ。
ここで不興を買えば、人類にとって新たな脅威となるかも知れなかった。
「残念ですが……」
ブラクロス王が返答に迷っていると、ネーヴィカ姫が口火を切った。
「銀様を元の世界に戻す魔法は存在しません」
「存在しませんか……」
銀は神妙そうに呟いて俯いた。
腕を組み、右手に覆われた表情を窺い知ることは誰にも出来なかった。
一国の王の前でして良い態度では無い。
しかし、ブラクロス王が狼狽している手前、誰も口に出来ないまま、ネーヴィカ姫と成り行きに任すしかなかった。
「ですので……」
ネーヴィカ姫は躊躇いながらも、意を決したように言った。
「私が貴方の妻になります」