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第二十六話:変質

 二十五歩。


 ダドリックが(シロガネ)から逃げ出すことの出来た歩数である。

 味方に合流して数で圧殺することを目論んだが、両の鎖骨と胸骨を砕かれる結果に終わった。


「上から目線で喋るだけの屑が手間取らせてくれる」


 忌々しげに表情を歪ませる(シロガネ)の両手が、ダドリックの首に伸びる。

 抵抗しようにも両手は動かず、砕けた胸骨が心臓や肺に刺さっているらしく、身じろぎ一つするだけで全身に凄まじい激痛が雷の如く走る。


 首筋に迫る(シロガネ)の両手、両肩と胸部の痛み。


 ダドリックの脳裏を埋め尽くす恐怖と焦りは、彼から回復呪法を使うという思考すら奪わせていた。


 だが――、

「斉射!」


 男――、第一小隊隊長ルドウェルの凛々しい声が響き、(シロガネ)はその場から飛び退く。

 銀の視界の隅にライフルを構えた十人のバーグ族の姿が映った。


「増援十。残りは二十八はレーヴェンス達が抑えたか」


 掠める弾が七発。右肩、右前腕、左脛を残りの三発に貫かれながら、(シロガネ)は涼しい顔をして言う。

 ダドリックを殺すことよりも回避を優先した以上、効いていない筈が無いのだが、血の糸を引いて平然と飛び回る姿に誰もが不気味さを感じずにはいられなかった。


「いや、一個小隊につき兵は十人、小隊長が一人。後一人は……」


 ダドリックの姿は既に無く、ライフルを構える人垣の裏に横たわっていた。

 フィロメア達との戦いが功を奏したのだろう。(シロガネ)は納得したように「ああ、成る程」と呟く。


「姿を消す魔法か。使い物にならなくなった駒のために健気なものだ」


 百メートル以上の距離があるにも関わらず、ルドウェルは不快気に顔を歪ませる。

 (シロガネ)の呟きが聞こえているかのような振る舞いだった。


「盗み聞きには便利そうな耳をしている。屑供に似合いの陰湿な耳だ」


 聞こえていることを前提にした挑発的な呟きに、矢張りルドウェルは忌々しげに顔を歪める。


「耳を貸すな……あの異界人(いかいびと)は悪魔だ……! 思考を狂わされるぞ」


 息も絶え絶えにダドリックは言った。

 血の糸を引いて涼しい顔をしているが本当は苦しんでいるかも知れないし、一発も当たっていないかも知れない。

 もしかしたら目の前にすらいるのかも知れないのだ。


 己の眼と耳さえも疑わしい。


 あの男には、そう思わせる何かがある。

 それが単純に(シロガネ)に対する恐れが錯覚を起こしているだけなのかも知れないが、必要以上に警戒してもまだ足りないくらいだとダドリックは確信している。


「油断はしないさ。メロデリア、ダドリック小隊長の治療を頼む」


 ダドリックを救出したメロデリアが姿を現し、言葉なく頷く。

 それにしても、この世界の原住民から悪魔呼ばわりされていることは知っていたが、まさか、同胞が別の異界人(いかいびと)を悪魔呼ばわりするとはとんだ皮肉もあったものである。


投爆刃(とうばくじん)構え! あの異界人(いかいびと)に近接戦闘をさせるな! 残弾を惜しむな!」


 ルドウェルは呪法や呪力による増強が無くとも、異常なまでの聴力を持つ。

 急襲を受けた爆撃兵の増援に向かう最中、立て続けに防御結界が砕かれる音が聞こえ、急遽(きゅうきょ)転身したが、己の選択が間違いでは無かったことを確信する。

 ダドリックは決して弱い男では無い。己の方が優れているという自負があるが、それも矜持によるもので、実際には大差ない。

 それが手勢を一人残らず殺され、後一歩で彼も死んでいたところだ。


 投爆刃の飽和攻撃は流石の(シロガネ)ですら回避出来ず、ついに液状の爆炎に飲み込まれた。

 一度でも被弾すれば、立て続けに爆炎が二重三重に覆い被さり、脱出さえも困難にする。


「火と狼。そして狡知の気……! 話に聞く以上だ!」


 ルドウェルの聴力が、あの爆炎の中で(シロガネ)が生存していることを報せる。


『嘘だ!』


 叫びたくなる衝動を抑え込むのに理性を総動員しなくてはならない程だった。

 だが、間違いなく生きている。


「投擲の手を止めるな! ありったけの投爆刃を撃ち込め! 敵は……本物の悪魔だ! まだ息絶えていない!」


「あの異界人(いかいびと)に呑まれるな」


 復帰したダドリックがルドウェルの肩を叩く。


「爆撃を使う。奴の眼を眩ませられるのはほんの一時だろうが、その間に撤退信号を出す」


「何を……!」


 ダドリックの言に、ルドウェルは反射的に反発しようとしたが、最後までそれを口にすることは出来なかった。

 (シロガネ)はこの部隊を殺せる。だが、この部隊に(シロガネ)を殺傷可能な武器や兵器、呪法が無い。

 反撃が無いことから液状火炎からの脱出に手間取っているのかも知れないが、それもいつまで続くかさえも分からない。


 此処で焦ってあの男を殺そうとして返り討ちに遭ったら、同胞たちはこの恐るべき脅威に何も備えも無いまま蹂躙されることになる。

 この情報を何が何でも持ち帰らなくてはならない。


「先走り者のフィロメアの言葉では全ての者には届かんだろう。何より、大王がお許しにならない」


「我々の言葉なら、あの異界人(いかいびと)の脅威を皆に信じさせることが出来ると言うことか……!」


 ある程度戦いになったからルドウェルはまだ正しく(シロガネ)の脅威を理解出来ないのだ。

 先程までは投爆刃の飽和攻撃で殺せない程の化け物では無く、一発だけで半死半生に追い込むことが出来ていたのだ。


『化け物め、戦えば戦うほど妙な変質を起こしていく……!』


 ダドリックは投爆刃の一斉射に合わせて爆撃呪法を発動させる。

 先程のような息苦しさは感じなくなっていた。


 それは今に始まったことでは無い。

 メロデリアの治療とは関係無く、(シロガネ)から離れていくにつれて症状が急速に回復したのだ。


『まだ私の知らない能力を持っているというのか……!』


「構え……! 撃てぇぇぇぇぇぇぇッ!!」


 十一発の銃声と爆音が重なり、空に赤、黄、緑の信号弾が打ち上げられ、バーグ族の軍勢が一斉に撤退を開始する。


『ダドリックがいなければ死んでいたな。私は』


 轟々と燃え盛る火炎の中から視線を感じ、撤退する中、ルドウェルは何度も背後を振り返った。

 首筋に息がかかる程近くに(シロガネ)の気配を感じたのだ。振り返らなくては背中から刺される。そんな生々しい錯覚がどうしても拭えなかった。

 結局、自力での脱出は不可能であったらしく、追撃の手は無く、何の妨害も無く撤退に成功した。


 しかし、撤退したバーグ族が合流した時、計五十六名の攻撃隊は、その半数近くが命を落とし、バーグ族の王国侵攻作戦は一時停滞することとなった。

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