第二十話 不器用
朝が来た。
一通りの支度が済み、レジーナの準備が出来次第、出発しようという頃合いだ。
銀は胡坐をかいて背筋を伸ばして腕を組み、瞑想するように眼を閉じていた。
日課らしく、銀が眼を閉じている間は誰も話かけられない空気が漂っている。
「銀」
拒絶的な空気を切り裂くようなレーヴェンスの声に、銀が瞳を開ける。
同時に、レーヴェンスは銀の前に同じく胡坐をかいて座り込む。
彼等の間には何故か酒瓶が鎮座しており、銀の目端がギリと吊り上がる。
「これは何だ」
珍しく感情を露わにした剣呑な銀の声を、レーヴェンスは受け流すようにして口を開く。
「見ての通り、酒だ」
「貴様らしくも無い。一応、聞いてやる。何の意図で、出立前に酒を出した」
無条件に否定や拒絶をしないだけ、銀なりにレーヴェンスを信頼しているのだろう。
とは言え、正に一触即発。胸中を探るまでも無く、銀の機嫌が損なわれていくのが誰の目にも明らかだった。
準備が済んで銀たちを呼びに来たレジーナが、『マジか! この旦那!』と仰け反った。
一晩立てば多少は冷静になるだろうと思っていたが、甘い考えだった。
寧ろ彼は、明日の遠足を楽しみにするあまり眠れない子供のように興奮していた。
「あはは……もう少し後にしようか?」
普段の彼女なら、『朝から酒なんか飲んで良い御身分ですこと。ああ、そう言えば勇者サマでしたね。薄情なチンピラと勘違いしていましたわ。オホホホ』くらいの嫌味は言った筈だ。
それがこうもあからさまに動揺している。それが銀に違和感を抱かせた。
「おい、レーヴェンスに何があった」
レジーナが何かを知っていると断定した言い方だった。
これも矢張り、普段の彼女なら、『都合の良い時ばかり聞いてくんな』と拒絶するところだ。
しかし、彼女は頭を垂れて、「ごめん、後は任せた」と踵を返す。
レジーナは銀を好いていない。はっきり言ってしまえば、大嫌いだ。
以前、馬鹿と言い合って以来、まともに言葉を交わすのは、これが初めてのことだ。
昨晩のことを思い出し、『ざまぁ見ろ』『同情するよ』相反する感情を抱いた。
「え、おい、ちょっと待て。逃げるな!」
銀は逃げるように去っていくレジーナに手を伸ばそうとするが、レーヴェンスに手首を掴まれ、立ち上がることが出来なかった。
「さあ、腹を割って話すぞ」
無駄に朗らかな笑みを浮かべるレーヴェンスに、銀は深々と溜息を吐く。
「何故よりによってこの時間なんだ。いつバーグ族と鉢合わせになるか分からんと言うのに」
「それを言うなら夜、食事を摂り、酒を呑んでいる時、寝ている時も同じことだ。であれば、今呑むのも変わらん! どうしても納得がいかんなら酩酊状態での殺しの練習だと思えば良い!」
「馬鹿が……! 好きにしろ。それで何を話せと言うんだ」
「まずは呑め。腹を割って話すのに酒が無くては始まらんだろう!」
なみなみ注がれた盃を押し付けられ、銀は指を濡らしながら一息に飲み干す。
「リーザ殿の態度だ!」
「む?」
それまで眉間に皺を寄せていた銀が、一瞬だけ気の抜けた表情を浮かべる。
『何故、今その話を?』とでも言いたげな顔だ。
「とぼけるなよ、銀。優れた単独戦闘能力を持つが故に我々は彼女に同行を願った。お前は誠意を見せ、筋を通すのが道理だと言った。今のお前が彼女への態度は道理に叶うか?」
珍しく、銀は言葉に詰まった。
「お前は非情な男だが、筋を通し、道理を説く。そういう男だ」
銀が何も言い返さずにいると、レーヴェンスは盃をひったくり、手酌で酒を注いで、銀同様に一息に飲み干す。
「あの時、お前が私に言った言葉をそっくりそのまま返すぞ。お前、大人だろう」
矢張り、銀は言い返さなかった。
「色ボケ大いに結構! 彼女はまだは少女だ! 絶体絶命の危機を救われ、手厚く保護されればそうもなろう! それを受け入れ、諭し、許す器量を見せるのは大人として当然ではないのか?」
再び、注いだ酒を飲み干して、銀に盃を押し付ける。
受け取りはしたものの、何も言わずに俯いたままだった。
銀は何も言い返さない。
それは己の行いに非があると自覚をしたからだろうとレーヴェンスは考えた。
この男がネーヴィカ姫によって探し出された異界の勇者だとしても、見た目通りの年齢で、年齢通りの精神の持ち主だ。
何もかもが完璧と言うわけにはいかない。大人だが、年齢相応に間違えもする。
「私は彼女に筋を通すぞ。お前はどうだ、銀。私に道理を説いた異界の勇者よ」
銀の言葉に嘘が無ければ、これ程痛烈な皮肉は無い筈だ。
「よこせ」
銀はレーヴェンスから酒瓶をもぎ取り、喉を鳴らして直接胃に流し込む。
「話は済んだな」
奪い取った酒瓶をレーヴェンスに押し付け立ち上がる。
そして、「すまなかった」とただ一言。
顔を背けたまま、一言残して馬車に向かった。
一人残されたレーヴェンスは深々と溜息をついて項垂れる。
「緊張した……」
もしかしたら聖戦士の称号を授与した時よりも緊張していたかも知れない。
対等の口を利いているし、何なら戦友だと思っているが、それでもレーヴェンスは自らを銀の下と定めている。
王と銀、どちらが上かと言われれば、少し考え込んでしまうが、どちらもそれ程の上位者なのだ。
レジーナに自らの恥を晒した衝動と、酒の勢いが無くては、銀に、このような辣言を吐くなど到底できないことだった。
だが、その甲斐はあった。
「お前ほど確固たる我と軸を持った頑固者が一切の反論をしなかった。結局のところ、お前も自分が間違っているのが分かっていて、本当は何かの切欠が欲しかったんじゃないのか?」
酒瓶に残った酒を一気に飲み干し、レーヴェンスは立ち上がる。
レーヴェンスはリーザを好いている。
その気になれば安全な場所に逃げ込むだけの力があるにも関わらず、多くの難民を守るために傷付くことを厭わず、恐れることなく一人で悪魔と立ち向かった気高さを。
更に下衆なことを言えば、何より顔が好みだ。
今頃、銀も腹を割っている頃合いだろうから、暫く時間を置くことにした。
「愛想の無いくせに器用で要領が良い。あの狭い馬車の中だ。見たくもない物を見せ付けられるのだろうが……まあ、それもやむなしだ」
馬車に戻ると「あ、旦那。そろそろ呼びに行こうかと思ってたんだよ」とレジーナが困ったような笑みを浮かべて、レーヴェンスを不自然に歓迎した。
「すまない、待たせたな」
中の光景を想像して、弱々しい笑みを貼り付け、中に入る。
銀の頬には真っ赤な手形が付き、リーザは頬を膨らませてそっぽを向いていた。
「……な、何があった?」
馬車の中で何が起こっているか、ここに来るまで様々な光景を想像していた。
しかし、いざ扉を開くと、いずれの想像にかすりもしない光景に、レーヴェンスは顔を引きつらせる。
「別に! なんでもありません!」
「筋を通した」
銀は不貞腐れたように言う。
『筋を通そうとして、腹を割り過ぎたのだろうな……』
銀の全てを理解したわけでは無いが、この男には情が無い。冷酷だ。
そうした一方で義に篤く、一本気で、道理を説き、他者にもそれを求める、不器用な奴なのだ。




