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第一話:逃亡者

 48期ブラクロス暦22年夏季。


 後の歴史家は言う。事の始まりは、アラボス連邦が無に呑み込まれた日であったと。


 無とは何か?


 それを説明出来る者はいない。無とは文字通りの無だ。

 人も、動物も、空も、海も、大地も、何もかもを呑み込み、無はその勢力を増殖させて、世界を浸食していく。

 無の内側がどうなっているかさえも分からない。


「キング。デルリム共和国の使者は――サンロット代表です」


「共和国の長が直々にか」


 レーヴェンスの重々しい報告以上にブラクロスは更に重々しく、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべて言葉を吐き出した。


「極めて危機的な状況か」


 国のトップが使い走りの真似事をしている。


 最早、体裁を気にしていられる状況ではなくなったのだと悟った。

 対岸の火事のように思っていた無の浸食も、ここまで来ると冗談では済ませられない。


 つい数日前、王国議会で、

『無とやらの脅威が噂通りだとしたら、やがてサンロットも襤褸切れを纏い、糞小便を漏らしながらキングに恭順を誓うことになるでしょうな』

 貴族の一人が口走った冗談が現実になった。


 流石に糞小便を漏らしてはいないだろうが、共和国代表サンロットは血糊の付いた襤褸切れを身に纏い、頬は痩せこけ、眼窩は濃いくまに覆われていた。

 余程恐ろしい眼に遭ったのか、かつての尊大さは見る影もなく、天敵を恐れる気弱な小動物のように震え、取り繕う気概すら失われていた。


「お願いします!!」


 サンロットの第一声がそれだった。

 予想外の懇願にブラクロスが呆気に取られていると、サンロットは額を地べたに擦り付けた。


「命だけはどうか! 大陸の覇権も、代表の座もいらない! 庇護と慈悲を戴きたく! どうか!」


 一国の代表がする振る舞いにしてはあまりにも卑屈が過ぎる。

 完全に心が折れてしまっているのは誰の目に明らかであった。


 最早、代表という立場は、ストックリー王国に直接命乞いをする優先権でしかないのだ。


「無とはそれ程に恐ろしいかね?」


「怖ろしい!!」


 ブラクロスの問いにサンロットは即答してみせた。


「ああ、恐ろしい!! 恐ろしいとも!! 空も、海も、大地も、人も、動物も、何かもだ!! 何もかもが無に飲み込まれた!! 無に呑まれた者は誰も戻って来ない!! 何も返って来ない!! 無は増殖する!! そして無は!! 無は異形の悪魔を吐き出すのだ!!」


 その光景を思い出したのか、サンロットは狂乱気味に絶叫し、頭を掻きむしった。


「一体や二体ではない!! 少々鍛えた程度の兵など遊び半分で殺す力を持った悪魔が!! 徒党を組み、群れを成し、軍団となって襲い掛かるのだ!! 無から逃れ、悪魔から逃れ、共和国がどうなったかも分からん……いや、共和国はもう終わりだ!! 存在しない!! 滅亡したのだ!!」


「サンロット代表。以前の貴公ならば多くの難民を引き連れ、保護を受け入れなければ、一斉に暴徒化させるくらいの脅迫……いや、駆け引きはやってのけただろうに」


 無や悪魔とやらが恐ろしくしても、その程度のことは出来る筈だ。

 ほんの僅かな手勢を引き連れ――否、一人で逃げるサンロットの向かう先に安住の地があると信じて、ただ追いかけて来た者たちがいるだけ。

 そういう事になっているが、隠匿魔法で姿を消した戦闘部隊をブラクロス王城を包囲する形で配置するくらいなら容易い。

 看破魔法で見破られても良いように難民の姿までさせて。


 ブラクロス王国にとって無の浸食は対岸の火事でしか無いが、無警戒ではない。

 少なくとも、混乱に乗じて共和国の侵略を予測する程度には。


 だから自らの恐れを恥じる様子も無く、曝け出すサンロット姿にブラクロス王は違和を覚えた。


「やめてくれ!! もう戦いたくない!! 戦いたくないんだ!! お願いだ!! 護ってくれ!! 私を!! 事が済んでも尚、共和国が存在していれば王国に全面降伏し、属国となることも誓う!!」


 ブラクロス王の視線から放たれる疑念をサンロットは被りを振って払い除ける。

 それと同時に汗だけでは無く、涙までもが飛び散った。体液も口から飛び出す言葉の何もかもが冗談のようであった。

 この場に議会を招集し、今のサンロットの姿を見せてやれば、誰もが絶句するであろう光景だ。


 ブラクロス王は目の前の男が、実はサンロットでは無く、瓜二つの別人では無いのかとも疑った。

 次にサンロットが放った言葉が無ければ、拷問にかけて正体を吐かせなくてはならないほどに。


「私は知っている!! ストックリー王家に代々伝わる秘伝を!! 無とは似て異なる別世界から勇者を召喚する術式の存在をだ!! 天を貫き、空を薙ぎ落す勇者の存在をだ!! 私は決して御身に敵対しない!! だから庇護を!!」

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