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第九話:嘘

「戦いとは無縁の人生と言っていたが、疑わしい腕前と性根だな。実際見事だよ。お前は」


 レーヴェンスは複雑な思いで賞賛する。

 それまでの悍ましい表情とは裏腹に、気だるげな顔付きと態度を漂わせて銀は口を開く。


「殴り合いの喧嘩すらまともにしたことが無い。だから練習が要ると思っていた」


「練習?」


「人を殺す練習だ」


『嘘だ』


 レーヴェンスは咄嗟に思った。

 だが、(シロガネ)は何食わぬ顔で続けた。


「普通に殺すだけでは足りん。人質を無視して殺し、命乞いする者も一方的に殺し、そして一人残さず皆殺しにする。悪魔と戦うなら必要な心構えだろう?」


「必要なことだ」


 銀から目を逸らし、俯いて肯定する。

 不本意ではあるので、負け惜しみのように「そう言わざるを得んな」と続けた。

 不本意とは言え、銀の問いを否定することは出来なかった。


「悪魔には言葉が通じない。情もだ。だから、殺す側に回らなくてはならない。さもなくば殺される側だ」


 言葉が通じるなら対話の道もある筈だ。


 レーヴェンスも剣を取ったばかりの頃は、何度もそんなことを考えていた。

 だが、同じ人間同士で、同じ言葉を使っていても、王国、共和国、連邦が真に分かり合う日はついに訪れなかった。


 あるのは妥協と利益だけだ。


 事実、連邦は無から逃れるために共和国に電撃的に攻撃を仕掛け、最終的には悪魔と共和国に挟撃され消滅した。

 その共和国も半ば壊滅し、自らの意思で王国に売国条約を持ち掛け、王国もそれを是とした。


 人が人と分かり合うことは出来ない。

 それは歴史が証明している。


 他者を誤解することなく理解しても、それが手を取り合うことには決して繋がらない。

 故に、無という定かで無い物から生まれ、一方的に人間の命を刈り取る悪魔と手を取り合う未来など決して有り得ず、有り得てはならないのだ。


 その一方でレーヴェンスは、『だが』と思う。


 レーヴェンスが初めて人を殺したのは、十六歳の初陣の時だった。

 相手は三十歳に差し掛かる共和国の兵士で、王国の騎士を追い詰めているところを背後から襲い、一突きにした。

 だが、即死では無かった。


 その男は己が死にいたることを自覚し、家族の名を縋り付くように繰り返し、事切れた。

 どちらも女の名前だったから、妻と娘を呼んでいたのだろうと今でも思っている。


 追い詰められていた騎士は、安堵の表情でレーヴェンスに礼を言ったが、その騎士の名、顔、声、いずれも覚えていない。

 だが、殺した者の使命と思って見た、敵兵の死に顔は暫くの間、脳裏に張り付いて剥がれず、今でも思い出そうと思えば、すぐに思い浮かべることが出来る。


 断末魔の声も、妻と娘とおぼしき名も同じだ。

 未だ忘却できずに脳裏にこべりついている。


 真っ赤に濡れた自らの剣と、刀身を伝って流れる鮮血で汚れた両手が、酷く恐ろしい物のように見えた。

 それ以上に返り血に塗れた自らの顔にすら恐怖した。


 数日は食事がまともに喉を通らず、まともに寝付くことが出来ず、よしんば眠りに落ちても、あの男が家族の名を繰り返す夢を立て続けに見た。

 レーヴェンスが酒の味を覚えたのは、この頃だ。


 だが、罪悪感と恐怖に挟まれる日々も長くは続かなかった。

 そして繰り返していく内に慣れていく。忘却できずとも慣れてしまう。

 やがて胸も、居心地の悪さを唱えなくなる。

 多少の個人差こそあれど、新兵によくある沈痛と立ち直りだ。


 ところがだ。


 (シロガネ)には、それが無い。

 少なくともレーヴェンスの目にはそう見えた。


 確固たる自我と個。

 曲がることのない軸。

 情の無い合理性。


 他者の命を奪った。しかも、それが初めてのことだとしたら、何かしらの感慨があって然るべきなのだ。

 恐怖や罪悪感が無いなら、英雄願望から湧き出る陶酔や、闘争への興奮。それに類するものが生まれる筈だ。

 良いにせよ、悪いにせよ、何かしらの情動を得るのは至極当然である。


 銀に呼吸の乱れは無く、顔色も至って平静で、脂汗の一つも浮かばず、手足が震えているということもない。

 寧ろ、模擬戦を軽く流して来たような気楽さすら漂っている。


 心構えも、気概も無く、スポーツ感覚で人を殺せてしまう。

 これが貴族が好む決闘のような戦いなら話も変わってくるが、これは惨殺に近い。


 だから、嘘だ。(シロガネ)は人を殺すことに慣れている。

 故に分からない。嘘の意図が分からない。

 殺しに慣れていても、そうでなくても困る者は誰一人としていないのだから。


「しかし、初めてだろう? 大丈夫か?」


 レーヴェンスは(シロガネ)の虚言らしきものに乗る形で尋ねることにしてみた。


「そうだな。この分だと練習の必要は無かったかも知れないな」


 閉所での大立ち回りだったということもあり、(シロガネ)の姿は、レーヴェンスの初陣よりも遥かに凄惨な姿に変わり果てている。

 無傷ではあるものの、返り血で顔は赤く染まり、手足は肉片や臓器の残骸がこべりついている。


 それでも平然と言って退けた。


「異世界の人間の命が塵芥(ちりあくた)ほどに軽いとは知らなかった」


「……ッ!?」


「法と道徳が必要になるのも当然だ」


 命を塵芥(ちりあくた)呼ばわりする苛烈さを恐れるべきか、頼りにするべきか分からなかった。

 だが、(シロガネ)をこれ以上に無い、最上級の勇者と太鼓判を押したのは他の誰でもない、ネーヴィカ姫だ。

 世界を席巻せんとする無と悪魔に立ち向かうには、これ程の苛烈さが必要なのかも知れないと思えば、頷ける話だと納得した。


『皮肉が効き過ぎているが、法や道徳の重要性を理解し、その苛烈さを民に向ける男でも無い。それにあの奴隷商はどちらにせよ殺さねばならなかった。強烈な義憤の帰結が他者を殺す覚悟を決定付けたのかも知れん』


 無理のある理屈だと自覚しながらも、そのように折り合いを付けた。

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