幼き銀竜の誕生
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目が覚めたわしに最初に襲ってきたのはこの場から出たいと言う衝動だった。
わしは狭い場所に丸くなっていたようで身じろぎしようにも壁にあたってうまくできない。
だんだん息苦しくもなってきたわしはその壁からどうにか抜けだすことはできないかと体を動かし、頭を動かして壁を押しのけようとした。
その動きの中でひときわ大きく力をかけると目を貫くがごとくまぶしさが不意に襲ってきた。
どうやら壁にひびが入ったらしい。
わしはそこめがけてどんどんと力をかけていった。そうしてついに壁が大きく割れるとわしは外に出ることに成功したのじゃった。
息苦しかったわしは外に出ると新鮮な空気を思い切り肺の中へと吸い込み、そして吐き出した。
「ぴー」
まるで高い笛がなるかのような音がわしの喉から洩れる。
驚いたわしは辺りを見回すが周囲の景色はまだ水を通してみるようににじんで判然としない。
『あらあら、坊や。ついに生まれたのね。いらっしゃい、外の世界へ』
わしの頭の中にそんな声が響く。そして頭の上の方からはまるで大地がうごめくようなごうごうと言う音が響いた。
わしはその音がした方向に顔を向けるが、未だに何があるのか分からない。
「ぴー」
『ふふふ、あなたは銀竜なのね。こんにちは。私がお母さんよ』
そう言って頭の方から巨大な何かがこちらへと降りてくる。
わしの目にもそれが何なのか分かった時、私はついに自分の望みがかなったことを実感した。
やっとはっきりとした像を結んだわしの目の前には金色の鱗を持った竜の顔があった。
しかし、その目には深い慈しみの色が浮かび、そしてその視線は他ならぬわしに向けられていた。
『こんにちわ、母上』
私は竜としての生を得たことに感動しながら我が母に対しての言葉を送った。
口では「ぴー」としか鳴けなかったが、意志は届いたらしい。
黄金竜は驚きに目を開くとわしの事をまじまじと見た。
『まぁ、なんて大きな魂かしら。それにあなた。かつての記憶があるのね』
母はしっかりと私の事を「視た」ようだった。
『こんにちわ、母上』
わしは再び母へと意志を送る。今度は先ほどまでもうまくいったような感覚がある。
母はわしに前世の記憶があることが分かってもそれほど驚くことなくその事実を受け入れた。
後に教えられたのだが、どうやら竜の中には稀にそう言う存在が生まれるらしい。
竜になる魂は軒並み強い力を持っているから魂の封印が不十分になることがあるらしかった。
『こんにちわ。私は黄金竜 アルシエラ、貴方は…銀竜ね。銀竜 カダルよ』
母は私に新たなる名前を与えた。そしてその途端わしが人だった頃の記憶は記憶としてある物のまるで別人の物であるかのような少し距離のある記憶となった。
名づけると言うこと、新たなる名前を得ると言うことはかつての存在との決別を意味する儀式なのだとこの時わしは知ったのじゃ。
こうしてわしは銀竜 カダルとして生まれた。
なに? 先ほどわしは魔法銀の竜と名乗っただろうとな? ほほほ、よっく覚えておるの。
然り、じゃがその話をするのはもう少し先の話じゃ。
わしが新たなる生を得てしばらくが経った。偉大なる母に見守られ、わしの体はすくすくと育っていった。
竜とは食物連鎖の頂点に立つ者。
食事は潤沢で襲われる心配もない。わしは母親の優しさに抱かれながら竜として成長していった。
もっとも困ったのはこの体であった。何しろ前世は人間であるわしは固い鱗ももたないし、体の動かし方も大分違う。さらに翼なんぞときたら感覚すら捕らえきれん。元人間の意識があると言うことが障害になった形じゃな。
しかし、そんなわしを母は優しく、そして根気よく教えてくれた。
竜とは言え、まだ子供。体すら満足に動かせぬこの身では狩りをするなど夢のまた夢。ある程度年をとると魔法で自身の体を維持できるようになるそうなのだが、幼いこの身ではわしの魂から生成される魔力と竜として持つ魔力その膨大な量を制御しきれないと魔法を使うことは母から固く禁じられていた。
そんな状態であるから必然的に食料や体の動かし方など母に頼り切ることになってしまった。意識の薄い普通の竜であれば何とも思わないのであろうが、意識がはっきりしている分、わしにとっては何とも情けない時期であった。
『それにしても貴方はなぜ、銀竜なのかしら?』
ある日、母が獲ってきた巨大な牛をおいしく頂いていた所、わしを見ながら母がこぼした。
『なぜ、とは?』
わしは食事から顔を上げると母の顔を覗き込んだ。
『カダル、竜が持つ鱗の色には意味があるの。色の竜、赤、青、緑、黄の4種類。そしてそれらの上位として金属を表す銅、銀、金の鱗。この色はその竜の強さとうちに秘める魔力の証、それは必然的に魂の位階を示すものになるわ』
『では母様はすごいのですね?』
何? なぜ丁寧口調とな? わしとて母には敬意を払うさ。それに人間としてわしが生きてきた歳月の遥か以前から母は生きておる。年齢的にも目上ということじゃ。それはさておき。
わしの母は金竜。先ほどの位階で言えば最上位の竜であった。その中でも永き時を生きる竜。人間の言葉で言えば古代竜と呼ばれる竜の中でも特に希少な存在であった。
そんな母から生まれたわしが銀竜では母もさぞ嘆いているだろう。
『ありがとう。でもね? カダル。貴方の魂はわたしと同じくらい高い位階にあるの。そんな魂を持った竜が普通の銀竜なんてありえないわ。器が保たないはずだもの』
母は不思議そうな顔をしながら私の事を覗き込みます。しかし、わしは生まれてこの方、母の金の鱗と自分の銀の鱗しか知らない。銀竜を知らないわしにとっては「そんなものか」としか感じなかったのじゃ。
幼き銀竜たるわしはそれからも優しき母に見守られ健やかに育っていった。
母が与えてくれる肉をたくさん食べ、可能な限り動き、良く眠った。
まさしく子供であったな。
毎日活発に動き回った甲斐もあり、わしはすぐに己の体に慣れた。どうにも未だに飛ぶことはできないでいたが、代わりに走った。
それはもう呆れるほどにのう。
じゃがそれが楽しかった。
竜の目でみる世界には輝くばかりの魔力の奔流が世界を覆っているのが見て取れた。
魔力とはすなわち命の根源。
世界に満ちるそれらはとても美しく、穏やかに揺蕩っておった。
人の目ではせいぜい己や周囲の人や魔物の魔力を見ることがせいぜいであったからのう。その美しさを感じられただけでも竜になった甲斐があったというものよ。
さらに強靭な竜の体躯は本気で走れば風を抜き、多くの山と谷を越えて遊びに行き、母のもとへと日のあるうちに戻ることができた。
そうして疲れた体を母のもとで休め、次の日には再び世界を駆けるのじゃ。
それこそが幼き竜たるわしの遊びであった。
人の身では想像もできんだろう。広く広大な世界を己の体のみで走り、追い抜く風の鋭さ、谷川の流れる水の美しさ、大地に根差す大樹たちの息吹、陽光の暖かさと体洗う雨の清々しさ。弱き人の身では容易には味わうことのできぬものをこの体は容易く感じられるのじゃ。
読んでいただきありがとうございました。




