戦争の産声
「これは・・・?」
キースが目の前にあるものを不思議そうに見ながら言う。
人の顔を覆うマスク、丸々と膨らんだタンク、マスクからタンクへと伸びたチューブ。
これらは全て動物の皮でできていた。
「これはガスマスクです」
「がすますく?」
「はい、みなさん廃鉱の幽霊はご存知ですよね?」
「はい、知ってます」
「あれは、幽霊ではなくガスというものによって起こる現象なんです」
「ガス?」
「ほとんどの生物は酸素と言うものを吸って生きています、これが呼吸と呼ばれるものです、しかし何らかの別の気体・・・ガスが坑道に充満すると酸素は外に追いやられて中にいる生物が呼吸することが出来なくなり、結果生命活動を維持できなくなるんです」
「・・・よくわからんな」
この世界では空気は空気であり、酸素や窒素で出来ているということは知られていないらしい。
「つまりはどういうことだ?」
「つまりですね、ガスの中で生物が活動することは困難なのですが、このタンクの中に空気を入れておけば短い間ですがガスの中でも活動できるんです」
「ガスってのは怖いもんだな」
俺もちゃんとしたガスマスクの構造を知っているわけではないから、てきとうに思いついた簡単なものを作ったが、これをガスマスクと呼んでいいのか。
「そんで、それをどうするんだ?」
「はい・・・作戦通りに行っているなら、人間たちは今、ここでキャンプをしているでしょう」
俺はわかりやすく地面に絵を描く。
「・・・そりゃ、廃鉱のとこだな」
「夜、秘密裏に何人かがガスマスクを着用して、ひっそりと廃鉱内に潜入、そして、廃鉱を掘ります・・・ガスが出るとガスは地面を這うように外へと溢れ出し、人間のキャンプ地に充満」
「おお~!つまり、やつらはその酸素っつうのが吸えなくなって信じまうのか!」
「いいえ、まだです・・・ガスは下に行きます、なので山の下へと降りていってしまう可能性があるので、ここに火をつけます」
「火?」
俺はあの廃鉱で微かにした臭いを思い出す。
腐った卵のような独特のにおい。
「あの廃鉱から出るガスはおそらく硫化水素、人体にも様々な影響を与える毒ガスです・・・そして、硫化水素は可燃性のガスでもあるため火をつければ周囲を大きく巻き込んで大爆発を起こすでしょう」
俺は地面に描いた山の絵にぐるりと円を描く。
山の中にあるガスにも引火して俺たちごと吹っ飛ぶ可能性も十分にある。
「これは、かなり危険な賭けです、山も村も我々もまるごと吹っ飛ぶ可能性もありますし、さっきも言ったとおり硫化水素は人体に影響を与える毒ガスです、長くそこにいればもちろん死の危険性もあr・・・」
「じゃあ、わしら年寄りが行くかの?」
「ああ、やらねば我々は人間に殺される・・・ならば、最期に大博打を打ってみるのも悪くはないかの」
「そうだな」
「「「がっはっはっはっ」」」
村の老人達が俺の言葉を遮って豪快に笑う。
「成功すれば二千の軍隊を一気に殲滅することができます」
「ナナシ様、ようそんなことを考えなさる、わしは聞いたことすらない言葉ばかりじゃ」
「わしもじゃ」
「恐ろしい方よ、ナナシ様が敵だったらと考えたら震えが止まらんわい」
「ピィイイイイ!」
そのとき山の反対側から男達が戻ってくる。
結構な巨体を、なおかつ人一人乗せて浮かせているのだから、そこに生まれる強風というのは凄まじい。
バサッバサッと大きな音を立ててゆっくりと地面に近づいていき、翼が地面につくすれすれで羽ばたくのをやめた巨体はドサッという鈍い音とともに落下し、その鋭い爪で大地を掴む。
「ナナシ様、今帰りました」
全員の姿を確認してほっとする。
「全員怪我もないみたいだな」
「はい」
「あいつら小鳥みたいにぴーぴー悲鳴をあげてましたよ」
一人が冗談めかして言うと村人達もほっとしたように笑った。
「じゃあ、とりあえず厳重警戒で夜まで待機」
「「「はっ!」」」
村人達、それぞれが家へと帰っていく。
そして、すぐに夜が来た。
「じゃあ、行ってくる・・・なぁに爺にだって出来ることはあるさ」
案内役を先頭に俺とおじいちゃん集団が歩き出す。
獣人は夜目が利くためたいまつの光も入らず、人間の見張りにも見つかりにくい。
ガスマスクをつけた集団が闇の中を進むさまは不気味の一言に尽きるものだった。
荷物は油を染み込ませた布を木の棒に巻いて作った松明と火をつけるための火打石だけだ。
もちろん人間に気付かれないようにまだ火はついていない。
おじいちゃんと一緒ということもあり少し時間がかかったがとくに問題は起きず採石場についた。
「ほぇ・・・たくさんいるなぁ・・・」
あれは・・・。
「あのライトは火ですか?火だったらこの作戦は出来ないんですが」
「・・・ありゃ、魔法の光だな、火ではねぇです」
魔法なんてものもあるらしい。
興味深いが今はそんなことはどうでもいい。
「作戦は大丈夫ですか?」
「おうよ、廃鉱の中入って、つるはし拾ってガスマスクつけて、掘って、ガスってのが出たら急いで戻る」
「大丈夫そうですね」
「それじゃ、行ってきます」
おじいちゃんは俺に一礼するとひっそりと廃鉱の入り口まで行き廃鉱の中に入る。
さすがは獣人というべきか、見事に気配を消してすっと入り込んだ。
心臓の鼓動がバクバクと耳元で聞こえる。
まるでいたずらをしているような感覚だが、今俺がやっているのは紛れもない戦争だ。
カン・・・カン・・・。
まずい・・・掘っている音が坑道内にこだまして、微かにだが外に聞こえている。
「・・・ん?なんか音しねぇか?」
「あ、気のせいだろ?」
見張りの兵士の会話を聞いて全身に力が入る。
カン・・・カン・・・。
「いや、聞こえるんだよ」
カン・・・カン・・・。
「・・・ほんとだ」
「どっからだ?・・・こっちのほうから・・・」
兵士が廃鉱の入り口がある崖のほうへと歩いていく。
非常にまずい。
「ん?あ!おい、お前何やってんだ!」
「!?」
「おい、こいつ隠れて乾パン食ってやがるぞ」
「なに!?奇襲でほとんどの食料置いてきちまってすくねぇってのに・・・おい、俺たちにも分けろ」
「分けたら言わないだろうな?」
「「言わない言わない」」
俺は見張りの兵士二人を見て「アホでよかった」と安堵の息を漏らす。
三人はハムスターのように夢中になって乾パンを食べていた。
「おい・・・なんか臭くねぇか?」
「てめぇ、屁こきやがったな?」
「俺じゃねぇよ・・・」
「じゃあ、この臭いは・・・うっ・・・息が・・・」
「なんだっ・・・ごほっごほっ・・・かはっ!」
「くそっ・・・なんだってんだ・・・とりあえずここから・・・はなれねぇと・・・」
「だ・・・だめだ・・・体も動かん」
俺はその兵士達の反応を見てすぐにわかった。
ガスが出たのだ。
「ぁぁあああ!目がいてぇ!!・・・息がっ!」
「何事だっ!?・・・くっ息が」
ガスは地を這うようにゆっくりと充満していく。
その動きはわかりやすく、ガスが漏れ出した穴から近いテントからドンドンと異常が起こりだした。
「ナナシ様」
「!?」
急に後ろから話しかけられ驚いたが、そこにいたのは老人だった。
「成功しました」と笑うと大きく息を吐き出しながら俺の横に座る。
それを追うように残りの老人達も次々と帰ってくる。
「全員戻ったか?」
「・・・みたいだな」
数えると、確かに全員いた。
下を見下ろすと逃げ出そうとふらふらな足取りで道を登るものや地面に倒れ伏して悶え苦しむ者たちがいた。
「こりゃ恐ろしい・・・」
「不思議じゃ・・・」
「あんな呪いのようなものを防ぐことが出来るとは・・・ナナシ様はなんというお方なのじゃ」
老人達が今にも俺を崇めだしそうな勢いなので、松明を取り出す。
松明を置いて、柔らかい金属と火打石を打ち合わせると火花が散って松明に引火する。
すぐに付く予定ではあったが、慣れていないのもあって少しだけ時間がかかってしまった。
「よし、行きますよ・・・伏せててください」
俺は渾身の力で松明を斜め上に放り込む。
松明は赤い軌跡を闇夜に残し、山の窪みへと落下していく。
俺はガスに引火する前に急いでその場に伏せる。
・・・。
ドゴーーーーーーーンッ!!
「「「ひぃっ!」」」
突如、凄まじい爆音が耳を劈き、伏せる俺たちのもとへ熱風と小石の雨を降らせた。
その爆発は今までに体感したことの無いほどの衝撃で山を揺らし、天まで舞い上がった炎は闇夜を真昼のように照らした。
老人達はその場で恐怖に震えている。
もちろん俺もガクガクだ。
その爆発は、もちろん村からも見え、王都からも見ることが出来た。
後に国王が語るには「まるで怒り狂った竜の咆哮のようであった」と。
その言葉からこの戦いは「死獣の咆哮」と言われ、たった一つの村から生まれた無名の王の伝説の始まりを告げるものとして世界中にその存在を知られることとなった。
そして同時に、二千対百という圧倒的不利な状況に置いて、たった一日で敵軍を撃破したナナシは、「神の軍師」と呼ばれるようになり、恥をかかされた王国とナナシに希望の光を見た亜人とのさらなる大きな戦争の始まりを告げるものとなった。