ナナシとアニ
朝、ミーシャが沸かしてくれた風呂に入りさっぱりした俺は、キースに許可をもらい一枚の紙とペンを持って外に出た。
昨日の槍を見た限り高い鍛造技術は持っていないと思われたが、このペンは万年筆のような形で、古びてはいるが装飾が美しい。
俺が向かった先は昨日と同じ村の端っこだ。
まるで鋭い刃物でスパッと切られたかのように途切れている道から伸びた桟橋のようなものに座ると景色を描きはじめる。
俺は絵を描くのが好きで昔はよく描いていた。
カリカリ・・・カリカリ。
静かな空間に、ペンで紙を引っかくような音だけが響き、そよ風に乗って消えていく。
俺は昔から集中すると他のことが手につかなくなるタイプの人間なので、絵を描いているときはよくまわりの親や友達に注意されていた。
そんなことを思い出してつい「ふっ」と笑みがこぼれる。
カリカリ・・・カリカリ。
「お兄ちゃん何してるの~?」
「うおっ!」
「きゃっ!」
急に耳元で話しかけられたことに俺は声をあげて驚いてしまい、話しかけてきた少女も俺の声に驚いた。
「ビックリした~」
少女は、胸をさすりながら笑顔で呟く。
獣人の少女は成長するのが早いのか大人びているので、年よりも見た目が上に見える。
だから、なかなか年齢の想像はできないが、見た目で言えば十五歳くらいだ。
「ってなにこれ!すごい!」
アニは絵を俺が描いていた絵を見て大興奮している。
満面の笑みで意味もなくぶんぶんと振り回したり、太陽に透かしたりしていた。
「君は?」
「私はアニだよ、この子達の飼育係をやってるの」
アニはグリフォンのような謎生物の頭を撫でながら言う。
グリフォンのような謎生物もアニによく懐いているようで気持ちよさそうに目を細めている。
「その生き物は?」
「天駆馬だよ?知らないの?」
「知らない、はじめてみた」
「ふーん・・・ねえ、あなたは名無しの旅人さんでしょ?すごい変わり者だって」
「ああ、そうだけど、変わり者かな」
本人の前で平然とそういうことを言って見せるアニに苦笑いしながら頷く。
「村長が言ってたよ、村に来た人間の旅人は怪しいものではない、とても優しい青年じゃ、獣人であるわしの身も案じてくれておるだけでなく、他の人間が使うような嫌味の詰まった敬語ではなく、綺麗で誠実な敬語を使ってくれる・・・わしゃ・・・わしゃ涙が止まらん!・・・ってなきながら言ってたよ」
アニがおそらく村長の物真似のつもりだろう、顔を歪めてしわがれた声で言った。
「いつの間にそんなことを」
「そりゃ、ナナシが寝てるときだよ」
「ナナシ?」
「名前無いと不便でしょ、だから今日からあなたのことをナナシと呼びます」
「ああ、まあいいけど・・・というかわざわざ俺が寝てるときにやるってことは、それ俺にばらしちゃいけない話なんじゃ?」
「・・・あ」
アニの顔がみるみるうちに青ざめて行く。
「いや、あの、その・・・言わないでください、ナナシ様~!何でもしますので、どうか!どうか!」
「言わないよ」
涙目で縋りついてくるアニに苦笑いで答える。
アニはとにかく元気でテンションが高い。
「・・・本当に怒らないんだね」
アニは縋りついてきたままの体勢で顔だけあげて、不思議そうな表情で俺の顔を覗きこんだ。
かなり近い。
この村の女性は皆西洋風の綺麗な顔立ちで、たとえ見た目が十五歳の少女であってもこの距離はドキドキする。
「普通、タメ口なんか使ったらその場で切り捨てられたり犯されたりするのに、本当に怒らないんだ」
「ここら辺の人はどんだけ野蛮なんだ・・・というか、そんな危ないことしちゃだめだろ」
ここら辺の人を思い浮かべて苦笑しながら言う。
そのあとに、アニがそんなギャンブルをしていたのかと思い軽く頭をチョップする。
「試してみたかったの、本当に変わり者なのか・・・ほらあの子達、悪い人が来ると騒いじゃうんだ、でもナナシが来たときはビックリするぐらい静かだった」
「ああ、そうなんだ・・・とりあえず俺の体から降りてくれる?」
ずっと体重をかけられ続けていたからか、気付かないうちに馬乗りになられていた。
「ヤダ、決めた、私ナナシと結婚する!」
「ふぁっ!?何言ってんだ」
キスをしようとしてくるアニの頬を咄嗟に右手でむにゅっと掴んで止める。
それでも獣人の力は凄まじく、だんだんと押し返される。
「ちょっ!待てって!アニ!」
「なんでっ・・・私可愛いからっ・・・いいでしょ!!」
二人が一歩も退かず「ぐぬぬぬぬぬ・・・!」と全力で取っ組み合う様は、傍から見ればさぞシュールだっただろう。
なんとか抜け出した俺はアニの頭めがけて拳骨を入れる。
「ぜぇっぜぇっ・・・なんだってんだ・・・」
「くぅ、痛い・・・」
俺はアニが急にそんなことを言い出したのには何かしらの原因があると思った。
だから、アニに理由を聞いてみたところ、アニは俯いて一言も喋らない。
やっぱりあるみたいだ。
「・・・言ったら結婚してくれる?」
「まず言え」
「私、もうすぐ王都に行くの」
「王都?」
「毎年何人もの女が王都に連れてかれて、貴族に壊れるまで使われて、壊れたら捨てられる」
その意味は俺でもわかった。
しかし、敗戦国とはこうも人権が認められないものなのか。
「でも、人間と結婚していたらそれも免除されるの!」
「そういうことか」
おそらくは人間と獣人が結婚することなど無いだろうと言う前提のもと組まれた条件なのだろう。
胸糞が悪い。
ここの人間と言うのは腐りきっているようだ。
「・・・はぁ、じゃあ形式上は結婚してもいいけど、あくまで形式上な」
こんな話を聞いて断れるやつがいたら、そいつも心が腐ってるだろうな。
俺はかろうじてまだ、腐っていないようだ。
「ほんと!?」
「ああ、でも、大丈夫か?」
「何が?」
「人間と結婚なんかして村にいづらくなったりとか」
「どうしてナナシはそうネガティブなんだ?私と結婚して、みんなが信頼してくれるようになるかもしれないだろ?」
「そんな上手くいくかね・・・」
結果は上手くいくどころではないのだが、俺は明日になるまでそのことは知らない。