女奴隷クリスティーナ
「私もつれていってほしい、神さまの人っ!」
「断る。君は奴隷で、主人がいるはずだろう。きっと君は、ヴァンパイアに飼われいたわけでもないだろうしな。……それと神さまの人じゃない、無職の錬金術師だ。名前はジーノ、よろしく」
奴隷の女・クリスティーナは、整地で作った山を元に戻しているジーノに、そんなことを申し出た。
奴隷には必ず持ち主がいる。
地形を元にもどしたジーノは、当然断った。
「確かに私は奴隷だけど、その理由には納得していない! だからセーフ! それになにより――」
手かせをかけられたままのクリスティーナは、ジーノの前に躍り出る。
月夜に映る彼女は、奴隷とは思えない美しさだった。
金色の髪に青い瞳を持つ、華奢な少女。一〇代半ばといったところだろう。
背は世の女性より低いくらいだが、肉付きは世の女性よりもやや肉感的だ。胸の辺りは、奴隷の服がツンと張ってしまうくらいの、ほどよい大きさだった。
「あなたが気に入ったんだ、『ご主人さま』!」
透き通るような青い目をさらに輝かせて、裸足の彼女はジーノのことをそう呼ぶのだった。
「いや、主人は別にいるはずだろう。……まいったな、この女の子、すごいグイグイくるぞ」
「あっ、で、でもでも、気に入ったってのは、好きとか結婚したいとか、そういう『えっちな意味』じゃないよっ! え、えっちな勘違いはしないでね、ご主人しゃまっ!」
自分の言ったことに謎の解釈をしているクリスティーナは、顔を赤くし、ちょっと言葉尻を噛んでいた。
自分よりも二回りは離れている少女に迫られるジーノは、その表情にまいった様子は見えなかった。心の中では、ため息が漏れているのだが。
そのとき、二人の腹がまぬけな音を鳴らした。
「……まぁとりあえず、メシにしよう。なにが食べたい?」
食べにくいだろうと、かたい石でできていた手かせを錬金術――技術で外してやる。
束の間の自由に、クリスティーナは嬉しそうな表情で辺りを見回した。
「じゃああのコウモリを――食べようかな、っと!」
そして――石を拾い上げ、飛んでいるコウモリに見事命中させて撃ち落とすのだった。
「なんだ、結構たくましい女の子なんだな」
「へへーん、まぁね。ご主人さまはどうするの?」
「俺はカエルを獲った。まとめて鍋にしよう。――カエルコウモリ鍋、旨いぞ」
「自分で獲っておきながらアレなんだけど……不安しかない」
クリスティーナは薪を、ジーノは技術で鍋や取り分け皿を作るため、その素材を集める。火を起こし、たき火を囲んだ二人は、ヴァンパイアが倒した木の切り株に座って、鍋の完成を待つのだった。
「川が近くにあってよかったな。生水の処理もきちんとしているから安心していい」
「それはありがとうだけど……具材が心配だ……」
コウモリの手羽とカエルの長い後ろ足が、煮立つ鍋からグロテスクにはみ出ていた。無表情にかき混ぜるジーノの表情が、さらなる恐怖を演出していた。
「それで――奴隷の君が、どうしてこんなところに一人でいる?」
鍋の様子を見ながら、ジーノは切り出した。
どんな奴隷にも、主人は必ずいる。
奴隷で、まだ一〇代の少女が、どうしてこんな森にいるのか。
「王都の奴隷商から逃げてきたんだ。警備とかを振り切ってたら、この森に迷い込んでさ、そしたらヴァンパイアに襲われて――後は、ご主人さまの知ってのとおりだよ」
「やはり脱走したのか。他に人の気配もないから、そんなところだと思ったが……いいのか、罰は重いぞ」
「うん、かまわない」
クリスティーナは右肩に手を当てる。そこには、奴隷の証である焼き印がある。
「私はなにも間違ってはいない。だから――罰を受ける必要はない」
鍋ごしに見るクリスティーナの目は、やはり奴隷のそれとは思えないほど力強かった。
単純な興味から、ジーノは質問を続けた。
「なにか事情がありそうだな。飛んでるコウモリを叩き落とすたくましさといい、生まれながらの奴隷というわけではなさそうだ」
「おおさすがご主人さま、分かってくれるんだね!」
クリスティーナは、みすぼらしい一枚布には似合わない白い歯を見せ、笑う。
「そうだよ、私は元々は奴隷じゃなかった。けど、ちょっとしたことで、少し前に奴隷に落とされちゃってね。悪いことなんて、なにもしていないのにね。――とても不名誉だ」
「その〝血〟が原因か」
「あはは、ヴァンパイアだって最期まで気づかなかったのに……さすがは、ご主人さまだ」
「治療の時にな。俺にだって、それくらいの知識はある」
金色の髪をかきむしって、彼女は少しバツが悪そうにする。
胸の辺りまで伸ばした、とてもきれいな髪だった。
「――だいたい事情は分かった。その〝血〟のせいで、不名誉な烙印を押されたというところか」
ジーノが、ヴァンパイアに飼われいたわけではないと断定した理由も、彼女のその〝血〟から判断した結果だった。
「ちょっと待ったご主人さま! まだ言いたいことがある!」
ジーノが〝血〟の話をしようとしたとき、クリスティーナにさえぎられる。
クリスティーナは、力強く立ち上がった。
「私には夢があるんだ! 世界中の『名声』を我がものにするっていう、おっきな夢が!」
拳を握って語り出したと思うと、次に両腕を開いて、こう叫んだ。
「だから、私の夢を叶えるために、私をつれていってほしい!」
クリスティーナは、実に堂々と、自分勝手なお願いをするのだった。
「なんだその自分勝手な理由は。鍋はおごってやるが、そんなことにまで付き合うつもりはないぞ。第一、俺はただの無職だ。君の壮大な夢を叶えるほど、力があるわけじゃない」
「楽々ヴァンパイアを撃破した人がなにを言いますかっ。あれ一応、最上位冒険者が相手するような魔物だからね。それと――」
自分の力を過小評価するジーノに解説をするクリスティーナ。
そのときふと、二人はなにかに気づいて、一瞬のあいだ会話を止めた。
「これからご主人さまは、毎晩あいつらに襲われるようになる」
クリスティーナの見上げた先には、翼を羽ばたかせて空中に浮遊する魔物が――
新たなヴァンパイアが二匹も、二人に狙いを定めていた。
「だから、私が護衛する。安心してご主人さま。私、結構強い――」
「襲われる? なぜだ?」
ジーノのまぬけな言葉に、クリスティーナはガクッとリアクションした。
「な、なぜって……さっき倒したヴァンパイアが言ってたでしょ、一族が――真祖が復讐しにくるって」
「ご主人さまのめっちゃ目の前で言ってたよ?」ともつけ足す。
するとジーノは――途端にガクガクと震えだした。
かき混ぜていたお玉を離すと、尻餅までつく。
「ヴァンパイアが毎晩……!? そ、そ、そ、それも、真祖までっ!?」
「ふふん、さすがのご主人さまも真祖にはびびるんだね。でも大丈夫、ご主人さまには私が――」
ツンとした胸を張るクリスティーナ。
さすがのジーノも、ヴァンパイアの真祖に腰を抜かした――
「ヴァンパイアの灰、取り放題じゃないか!!」
「ずこーっ! ……や、ややこしいリアクションするなぁこの人」
――わけではなく。
どうにも驚くポイントがズレているジーノなのであった。
夜空からヴァンパイアが降りたつ。
同胞の仇を討たんと、ゆっくりと近付いてくる。
「気を取り直して」と、クリスティーナは一言呟くと、続けてこう言った。
「ご主人さまに採用してもらうために、アピールしますかっ!」
両陣営が睨み合う。
ヴァンパイア一族との抗争が、幕を開けた。