無職の錬金術師VS月夜のヴァンパイア ①
一話と次の二話は長めの6000字になってます。
普段は1500~3000字程度です。
「そろそろ開店ですね。移転初日かぁ、いやぁ、ワクワクするなぁ」
「バカタレ。今日かぎりでお前はクビじゃ、ジーノ」
「えっ」
ここは王都セントクロヴィスにある、一軒の鍛冶屋、その店内。
開店前、ジーノは正面に座る老人に、唐突にそう宣告された。
石造りの店内は、しんとしていた。
「急ですね。俺、なにかヘマしましたか。理由が見つかりません」
「理由が見つからんじゃと……? バカタレ! 三〇年間、お前がガキの頃から面倒を見てきたわしじゃが、もう我慢ならん。お前には不満しか――いや、憎いとすら思うておる!」
衝撃の事実を告げられ、ジーノは困惑する。
「まず一つ! 感情がなさすぎる!」
老人は座っていたイスから立ち上がり、鼻息荒くひとさし指を立てる。
「なにを言われても顔色を変えんお前は不気味なんじゃ!」
「そんな、俺は人形じゃないですよ。嬉しい時もあれば、悲しい時もあります」
「なら今は悲しむところじゃろうが! 三〇年間世話になった場所じゃぞ!」
「全然ワクワクもしとらんかったし!」と、老人は先ほどのこともつけ足した。
「なに言ってるんですか親方。ほら、俺の顔よく見てください」
ジーノが子供の頃からの三〇年間――思い入れがないわけがない。
なのに、開店前の暗がりにわずかに見えるその表情は、無表情のまま。
ジーノの感情は、一つも動いては――
「……ね? すごく悲しんでる表情してるでしょ」
「ぜんっぜん、さっきと一つも変わっとらんわバカタレ!!」
――どうやら表情が動かないだけで、彼なりに悲しんでいるようだった。
「理由はまだある。お前も知っとるじゃろうが、およそひと月前、勇者によって魔王が倒されたじゃろ」
「いえ、知りませんけど」
「な、なんで知らんのじゃバカタレ! 世界中の誰もが知っとる常識じゃぞ!」
心底驚いた老人を前に、ジーノは頬をかきながらひと月前を語り出す。
「ひと月前なら、親方の命令で採取地にこもっていたので。『人』に会ったのも、親方が久しぶりです。魔物になら、二秒おきに襲われましたけど」
「というか俺、さっき帰ってきたばかりですし」と、ジーノは補足する。
そう――この店でジーノが担当してきたことは、素材採取だけだった。
採取地におもむいては、素材を採取して持ち帰る。
帰還したその日のうちには別の採取地に派遣されて、素材を採取しては持ち帰る。
三〇年間、ただひたすらに。
ジーノは、人里離れた危険地帯で、命がけの採取活動を毎日のように送っていたのである。
「……世間知らずは派遣したわしのせいじゃと言いたいのか? ふん、話が進まんから教えてやるが、『境海』に魔王が現れたんじゃよ。それを勇者が倒したんじゃ」
老人は薄くなった頭をかきむしると、超簡単に勇者と魔王の話をした。
「その時勇者が使っていた剣。それが、このわしバルフォアが鍛え上げた剣だったのじゃ!」
目の前の老人――バルフォアにとって、勇者が魔王を倒した話などどうでもいいのだ。
バルフォアにとって大事なのは、自分の鍛えた剣だけ。
バルフォアは、目をギラつかせて続けた。
「どういうことか分かるかジーノ。――バルフォア工房製の剣は、世界一有名な剣となったのじゃ! 連日わしの剣を求めて客であふれかえっておる!」
「最近行列が出来ていたのはそのせいだったんですね。いつもはお客さん三人くらいだったのに」
「はい三つめー! お前は余計な一言が多いんじゃ!」
「すみません、でも本当のことだったので。ところで、二つ目はなんですか?」
「常識知らず世間知らずなところじゃバカタレ!」
頭ごなしに怒鳴るバルフォアは、少しだけ気が済んだのかイスに座った。
「それとじゃジーノ。客が少なかったのはわしの腕が悪かったからではない。バカタレな世間がようやくわしの『錬金鍛冶』の偉大さに気付いたからじゃ。わしの腕は、元から一流じゃ」
「錬金鍛冶。従来の鍛冶製法に、錬金術で使うような特殊素材を混ぜ合わせた、親方独自の鍛冶技術ですね」
ジーノが解説すると、バルフォアは四本目の指を立てる。
「四つ目。お前の技術はめちゃくちゃじゃ。わしがあれだけ教え込んだというのに、未だにわけのわからん技術を使いおって。そして五つ目は、方針転換じゃ!」
「いえ親方、俺はほとんど採取地に行かされてるので、親方から教わったことは一度もないですよ。俺の使う技術は、旅先でよく会う人に教えてもらった技で――んん、方針転換?」
ジーノが言い終わる前に、バルフォアは指をパチンと鳴らしていた。
すると、どこからともなく若い男と女が姿を見せる。
総勢一〇名の若者たちは、バルフォアの背後に整列した。
「そうじゃ、わしの鍛冶の腕は一流! 足りなかったのは、販売戦略だったのじゃ! 大通りの一等地に移転し、店内もピカピカ清潔! トドメにこの若くてプリプリの店員を配置すれば、客の目はわしの店に釘づけじゃ!」
新人二人が店の木窓を開け放つと、開店前で薄暗かった店内が明るくなる。
若者たちは美男美女揃いだった。身だしなみはきちんと整えられ、女性店員の制服なんかは、肌の露出が多く、端的にいうとエロかった。
「最後に六つ目! お前の見た目じゃ! なんじゃその乞食みたいな格好は!」
「まだあるのか」と、ジーノは内心ツッコみを入れた。
指が足りなかったので、両手で六の数字を表現するバルフォア。
窓を開けたことでジーノの姿もはっきりとする。
貧民が着るような簡素なシャツとズボンは、年季入りまくりのボロさだった。
「すみません、給料低くて服に回すお金がないもので」
「わしのせいにするなバカタレ! あの店は乞食が出入りしている、なんて噂が立っているんじゃ! 迷惑なんじゃよジーノ、お前はな! ――だいたいお前、本当に三五か!? 老けすぎじゃろ!」
バルフォアよりも白髪が多めで、ボサボサな長い髪。無精髭も白く、彫りの深い顔には、深いしわが刻まれている。
三五歳であるはずのジーノは、採取地での休まらぬ生活ゆえか、とても老けて見えた。
「やだなぁ親方、俺が子供だった頃から三〇年間、一緒だったじゃないですか。――あ、でも、俺はほぼ採取地に行っていたから、顔を合わせた回数的にはそうでもないのか」
「どっちでもいいわ! とにかくお前はクビじゃジーノ、二度とわしの前に顔を出すな! そして店にも絶対近づくなよ、分かったな!」
バルフォアにここまで拒絶されては、関係の修復は不可能だろう。
周りの若い店員らは、クビを宣告された古株をニヤニヤと笑う。
乞食のような見た目の男は、完全に見下されていた。
「寂しいですけど、ここまで言われたら仕方ありませんね、大人しく出て行きます」
寂しさを欠片も感じさせない表情のジーノ。
実際は寂しいし、ちょっぴり悔しい。
立ち去ろうとした時、ふと気づく。
「ああそうだ親方、引き継ぎとかはしなくていいんですか? 今日まで親方以外に俺しかいなかったし、素材の採取は全部俺がやってましたし。教えておいた方が――」
「お前が出来たことなど誰でも出来るわ! とっととわしの店から出て行け!」
人通りの激しい大通りではなく、裏口から追い出されるジーノ。
バルフォアは手にぼろぼろの靴を持って、それを捨てるようにしてジーノの足元に放り投げた。
「お前の荷物はそれだけじゃ! とっとと失せろ、このバカタレ!!」
こうしてジーノは、無職となった。
子供の頃より三〇年間、バルフォアの元で働き、尽くしてきた。
ジーノは常識知らずなので疑いを持たなかったが、奴隷同然の低賃金でこき使われていたため、手元に残った荷物も、この底が破れた靴だけだった。
「まいったな、無職だ」
持ち物は底の破れた靴と、ぼろぼろの服だけのみすぼらしい男。
頼れる人物だって一人としていない。
大通りに出れば、白い目を向けられる。
ここにいるのは、乞食以下の、今は何も持たざる男だ。
男は「世間知らず、か」と一つ呟くと、こう続ける。
「言われれば確かにそうかもな。常識を学ぶためにも、ちょっといろいろ人と関わってみるか」
ずっと採取地にこもっていた、人との関わりを極端に持たなかった男。
ちょっと常識を学ぶため。
そんな軽い始まりがやがて、人を救い、村を救い、王国を救い、世界すらも救う。
大英雄――いや、神のごとき所業を成し遂げるのは、そう遠くはない未来の話。
おっさんの気まぐれ救済紀行が、ここに始まってしまうのである。
――それまで裸足だったジーノは、汚い靴を履く。
本当にまいっているのか怪しい無表情で、あごをさすりながら今後を考える。
「とはいえ、新しい仕事は探さないとな。今の自分でも採用してもらえる仕事に就きたいが……冒険者、錬金術師の工房……うーむ、どれもピンと来ないから、親方のもとで働いていたんだよな。なにかこう、『素材』を探すだけの仕事はないものか」
大通りを歩くジーノ。破れた靴が、ぺたぺたと音を立てる。
「仕事探しは明日から本気出そう。ひとまずは今晩の寝床確保だな」
ゴソゴソとズボンのポケットをまさぐるジーノ。ひっくり返したポケットからは、価値の低い銅貨一枚しか出てこない。これでは宿など借りられない。
「よし、野宿しよう」
◇◇◇
「――待ちたまえそこの乞食! いくら魔王が倒されて平和が訪れたからと、一人で外を出歩くのは危険だぞ! それも、武器も持たずに!」
王都セントクロヴィス――海沿いに居を構える城と、そこから見下ろす城下町は、風光明媚な港町としても有名だ。
クビを宣告されたばかりのジーノは、野宿するためにその城下町から出ようとしたところで、門番に止められていた。
「危険なのは知ってます。でも、慣れてるので」
「な、慣れてるって……いいか、街道沿いはまだ安全かもしれないが、群れからはぐれた魔物に襲われる事例もあるのだぞ。寝る場がないのかもしれないが、丸腰で外を出歩くなど、そんな早まるような真似は――」
「ああ待て待て、そのおっさんは行かせていいから」
ジーノを止めた若い門番だったが、立派なヒゲをたくわえたベテラン門番がやってきて、そう命じていた。
「それじゃ。もうこの街には戻ってこないと思うけど」
ジーノは短く言ってスタスタと街を後にしてしまった。止め損ねた若い門番は、軽い罪悪感にさいなまれながら、ベテラン門番に確認を取る。
「い、いいんですか? 外には魔物が……」
「大丈夫、大丈夫。――なんだかんだ戻ってくるんだよ、あのおっさんはな」
◇◇◇
「ふぅ、落ち着く」
草木が生い茂る、鬱蒼とした森。
その一本の木の枝の上で、ジーノは猿のような器用さで寝転んでいた。
セントクロヴィスの城下町を後にしたジーノは、比較的安全な街道から早々に道を外れた。
今はこうして、道のない危険な森にわざわざ足を踏み入れて、くつろいでいる。
日は完全に落ちて、夜。
月明かりだけが森を照らし、辺りからは虫の鳴き声や、動物の鳴き声――
そして、得体のしれない魔物や、怨霊めいた声すら聞こえてきている。
「落ち着くなぁ……」
安寧とは正反対な危険地帯で、ジーノは我が家のようにくつろいでいるのである。
「腹減ったな。なにか獲って食うか」
「――化け物め、私はまだ、こんなところじゃ!」
そんなときだった。
森のさらに奥の方から、女性の叫ぶ声が聞こえてきたのは。
「うるさいな、注意してくるか」
まるで隣人の騒音感覚で言うジーノは、木の上で起き上がった。
そして地面におりる――ことはせず、木から木へと飛び移りながら、声のした方を目指した。
飛び移る木が近くにない、開けた場所に出る。ジーノが地面にジャンプして降り立つと、複数のコウモリが、ちょうどジーノの目の前を横切っていった。
「く、ぅぁあっ!」
「ぐふふ、久し振りの若い女の血――ああ、なんたる美味!!」
その先に見えたのは、二つの姿。
背後の月に照らされ映ったのは、奴隷の服装である一枚布の服の若い女と――
全身漆黒の服に身を包んだ、吸血鬼の男。
女の首筋にヴァンパイアが食らいつき、今まさに血を吸っている。
そんな場面に、出くわしてしまったのだ。
「ははぁ、女の血は旨い! しっとりとした舌触りと、甘やかな香りと、何より――耳に響き渡る悲鳴が実に心地良い!」
ヴァンパイアが、女の首筋から牙を引き抜く。
「しかも――今宵の私はついている」
赤い目が、こちらに向けられる。
「まさかまた、ごちそうの方からやってくるとは」
それはもちろん、この場に現れたジーノのことだった。
ヴァンパイアは女を突き飛ばして地面に転がした。
赤い目をした鬼が、ゆっくりとジーノに近付いてくる。
「そ、そ、そ、そんな……ヴァンパイアが、どうしてこんなところにっ!」
ジーノは、尻餅をついて驚愕していた。
「フハハハハ! そうだ、恐怖におののけ! 恐怖の味ほど最高の香り付けはないのだ! お前の血も全て私がいただくとしよう。……お前はちょっと、ばっちぃ感じもあるが」
汚らしい格好のジーノを見て、さすがのヴァンパイアもためらいを見せたものの、見逃すつもりはない。
鋭い牙と、長い爪が、月の光を鈍く返す。
「んはっ、くぅ……なんてことだ、私以外にもこの場に人が……! そこの人、今すぐ逃げて! ヴァンパイアは最上位冒険者でも手を焼く魔物、まともに相手してはいけない! 噛まれたら、あなたも――」
噛まれた女は金髪の髪を振り乱し、叫ぶ。
肩には焼き印、腕には手かせ――疑うまでもなく奴隷。
彼女は自分の身よりも、ジーノの身を案じていた。
そのジーノは尻餅をついたまま、ガタガタと震えて、言う。
「ヴァンパイア――古くから存在する強力な魔物の一種……! 朽ちたと同時にこぼれるその灰は、貴重な『素材』になるという……!!」
――突然クビを宣告されようと、危険だらけの森をさまよおうと、表情一つ変えなかったジーノという男。
目前に迫る危機は、今までとは比にならない。
だから、尻餅をついたのか?
いや――そうではない。
「ヴァンパイアの灰が、こんな森で『採れる』なんて!」
とてつもなく貴重な素材が現れたことに、腰を抜かしただけなのである。
「ラッキー!」と、ちょっと古そうな言葉を使って喜ぶ。
そんな『素材バカ』を前にしたヴァンパイアに、奴隷の女は、一瞬何を言っているのか理解ができず、かたまっていた。
「……何を言っている乞食の人間。ヴァンパイアの灰だと? それは、我ら一族が滅びた時に身から出る粉のことだぞ?」
「そうそうそれそれ。いやぁ、クビになって落ち込んでたけど、ヴァンパイアに会えるなんて、いいこともあるものだ」
不運な出来事を幸運と言ってのける小汚い男。
ヴァンパイアは、哀れみを込めて笑った。
「フ、哀れな……腰だけでなく、頭までおかしくしてしまった、というわけか」
「なにもおかしいところなんてない」
尻餅をついていたジーノは立ち上がる。
ぱんぱんと尻を叩いて、土や草を落とす。
「お前こそ、理解が足りないんじゃないか」
「なに?」
そして――何世紀も生きているとされるヴァンパイアに向け、指をさしてこう言った。
「お前を滅ぼして採る。そういう意味だと言っているんだ」
先ほどまでうるさかった森が、静かになった。
強大な魔物の怒りを、他の矮小な魔物が感じ取って、一斉に口をつぐんだのだ。
「クク……フハハハハっ! 脆弱な人間が私を滅ぼすだと? 人間が……それも、戦士でもなければ武器すら持たない、乞食のお前がか? ……常識知らずもここまで来ると、笑えてくる」
ヴァンパイアは口ではそう言いながら、ふつふつとした怒りを露骨に態度に出している。
ヴァンパイアは、とてもプライドが高い種族なのだ。
「違う。乞食じゃない、無職だ」
ジーノは自身の身分を否定する。
「無職の錬金術師だ」
無職の錬金術師は、無表情に訂正した。
すると、彼の体に変化が起きた。
「技術――作業台」
その両腕に、〝無色〟の揺らめくオーラが出現していたのである。
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その一つが、とてもモチベをあげてくれます。