ひきゅう――霧山滓美はドッジボールで伝奇する
「次の時間の体育は校庭で二組と合同のドッジボールです。よろしく!」
算数の時間の終わりに、海老原先生はわたしたちにそう告げて教室を出た。イケメン気取りでよろしく、と言いながらチョキにした右手の指先をクラスに向けるクセが鼻につく。四十路だろ、人の目を少しは気にしろよ、とわたしはいつも思う。
「あー、体操服忘れたわー。おい白川、よろしく!」
「オレは持ってきたけどよろしく!」
「今日のプリンくれよ白川、よろしく!」
「白川……はぁはぁ……ブルマ穿けよ……よ、よろしく!」
「きゃんっ! あんっ、やめてよぉっ!」
男子達が海老原先生のマネをしながら、チョキで白川君の脇腹を突っつく。白川君はそれに対して女子のような喘ぎ声を上げる。
白川君の顔は中の下。中性的でもないから超キモい。あんな反応をするから、面白がられているのだと白川君もわかっているようだけど、やめる気配がない。
女子は着替えが隣の五年二組なので、さっさと出て行く。そうしないと、着替えるためにやってくる二組の男子も白川君いじりに加わって、キモさが倍増するからだ。
教室の引き戸を開けると、ムラムラした二組の男子が待っていた。案の定、白川君に殺到していく。
あぁ、これは酷い。さっさと女の園で着替えをするに限る。
「男子ってホント馬鹿でホモよねぇ」
廊下で、クラス委員の大宗さんに同意を求められた。わたしは言葉で返事をせず、無言で何回か頷いて、早足で二組の教室に向かった。そのことと大宗さんがヘソを出した白い服を着て、スポーツブラが透けていることとはまったく、何の関係もない。天の邪鬼に誓っても良い。
着替えを済ませて、二組のマッポと一緒に校庭へ出た。
マッポは本名を飯田真穂といい、お父さんが警察官なのであだ名がマッポなのだ。何もおかしくない。すごく自然。
マッポとは、幼稚園の頃からの親友だ。今年、五年生に進級してからクラスが離れてしまい、凄く寂しい。
だから、合同体育とかで一緒に授業をする時が、わたしは楽しみで仕方ない。
校庭には、既にドッジボールのコートが出来上がっていた。
「どうしていつも私が引かないといけないんですか! あんた男のくせに着替えが長いのよ。普段からジャージで授業してるくせに、どうして体育の時に違うジャージに着替えるわけ? 死ねよ!」
海老原先生が、二組の担任の沢村先生にインネンをつけられていた。二組と合同の時は恒例なので、今更驚かない。
「沢村先生、いいですか? 僕が普段着ているのは町田で、四万円で買った、高いジャージです。あなたがいつも着ているユニグロの上下より何倍も高いんです。
それをショップ店員のように綺麗に畳んでから、着たくもない安ジャージに着替えて初めて、校庭に出ているんです。そこんとこよろしいか? よろしく!」
「じゃかーしわボケェ! ジャージはジャージやろ! そのまま出てくればええねん!」
教師二人の醜い争いをぼーっと見ていると、視界がブラックアウトした。
「だーれだ」
「マッポ」
「滓美天才じゃね!」
マッポが笑い、視界を塞いでいた手が外される。
かわいい。鈴を転がしたようなマッポの笑う声、かわいい。
「いや普通だよ。わたし、マッポしか友達いないし」
「聞き捨てならないわね!」
肉と肉がぶつかる音がして、背後からマッポの気配が消える。
「うぅ……」
「マッポ!」
振り向くと、大宗さんがいた。
「私とカスみんはマブダチでしょ!」
目を輝かせる大宗さんに、わたしは無言と無表情で答えた。腕まで組んで防御の意思も表示した。
「そうだヨ! カスみんは豊子と大親友だヨ! パスタも作るヨ!」
これはもちろんわたしの言葉ではない。大宗豊子(11)が裏声でのたまった大嘘だ。
「だよね~」
大宗さんはご機嫌な様子で、わざとらしくマッポを踏みつけて、コートの方へと去って行った。
別に大宗さんは、わたしと仲良くしたいわけではない。
大宗さんのお父さんは昔、マッポのお父さんに免停にさせられたことがある。その逆恨みで、大宗さんはマッポにつらく当たっているのだ。
いつからか大宗さんは、最大の嫌がらせはマッポから無二の親友であるわたしを奪うことだと考えたらしく、さっきのようなことをするようになった。
「マッポ、大丈夫?」
「平気」
マッポは立ち上がって、半泣きの顔で膝についた砂を払った。
あぁ、強がるマッポかわいい。テディベアにして部屋に飾りたい、かわいい。
マッポの体操服についた大宗さんの足跡をはたいている間、わたしはヨダレが大洪水だった。
チャイムが鳴り、やっと低レベルな争いをやめた海老原先生と沢村先生は、目を赤くしたマッポに気付かないまま授業を始める。
お互いにそっぽを向いたまま、準備運動という名のラジオ無しラジオ体操を始める。わたしたちもマネしてとんだりはねたり回したりした。
それが終わって、いよいよドッジボール開始だ。
わたしは正直ドッジボールとか全然好きじゃないけれど、ボールを当てられて痛そうにするマッポが見られるのは好きだ。
二の腕にヒットしたところを手で押さえるマッポ。脚を狙われて跳ぶも当てられ、着地に失敗して痛がるマッポ。顔面にボールが当たり、しゃがみ込んで声を殺して泣くマッポ……えとせとら、えとせとら。
まだまだあるけど、三つ挙げただけで息が荒くなるからこれくらいで自重しておかないと……げへへ。
そういう眼福映像を頭の中に録画するためには、外野になって安全圏から見るのが最適。
だけど、今日は外野決めのじゃんけんに負けてしまった。
おー! のー! ほーりーしっと!
まぁ、でもすぐボールに当たってしまえばいいだけの話。
大丈夫。痛みは一瞬だ!
そうやって、数々の不運を乗り越えて来たわたしだ。いつものようにやる。それがプロフェッショナルの流儀。
敵と味方の陣地を分ける、コートの境界線のすぐ前に棒立ちになる。これだけでいい。
性根が腐ってない限り、相手も弱いボールをわたしに速攻でぶつけてくれる。
相手から挑発だと思われたのも、味方から非難されたのも過去のこと。
コートに放り込まれた時にこれをいつもやっていたお蔭で、味方からの蔑みと相手からの信用をわたしは既に勝ち得ている。
この試合――いただかせてもらう!
「毎度」
ボールを持った二組の室田さんが、ハイエナを彷彿とさせる笑みを浮かべてわたしのガン前に立つ。
「いつもお世話になっております」
あいさつは大事。
室田さんが右手をふりかぶった時だった。
「霧山ーッ! お前たまにはかわせよーっ! お兄ちゃんみたいに!」
海老原先生の理不尽な喝。
兄は兄でしょ。わたしには関係ないじゃん。
「お前のお兄ちゃんは凄かったぞーっ! いつもコートに最後まで残って、ふにゃふにゃふにゃふにゃと人間離れした回避を見せてくれたんだ! お前にも同じ血が流れているんだからできる! そのゼロ距離射撃を熱くかわしてみせろ! 先生にあの奇跡をもう一度見せてくれーっ!」
知らんがな。
これだから、兄弟と同じ小学校は嫌なんだよな。
海老原先生が兄の昔の担任だって知った四月には、小学生にして絶望を知る希有な体験をしたよ。
あー、無視無視。目的の為には、教師の妄言なんか無視してPTAに報告。これ以外ありえない。
「室田さん、やっちゃってくださいよ」
「いいんですかい、霧山の姐御。先生、あんなこと言ってやすぜ」
「言いたい輩には、言わせておきゃあいいんです」
「へへっ、そうまで言うんなら遠慮無く」
室田さんがハイエナスマイルを浮かべてボールを投げた――刹那!
「アッハ~ン!」
わたしと室田さんの間に割り込む影。
「し、白川君!?」
ヒットになった白川君が、鳩尾を押さえてしゃがみ込んでいる。てめーじゃねーんだよ、ブサ男が。邪魔するなし。
「き、霧山さん、ファイトだよ」
いい笑顔を向けて白川君は外野へと向かった。横取りしやがって。あのクソ野郎。畳の上で死ねると思うなよ?
複雑な顔の室田さんに頭を下げて、今度こそ当たろうと構えていた。しかし。
「滓美、がんばってー!」
何を思ったのかマッポが声援をくれた。
がんばるって何? ボールをキャッチするなり避けるなりしろって?
戸惑っていると、マッポに続いて味方からポツポツと滓美コールが聞こえてきた。
これはもう退くに退けない。
ボールを持って戻って来た室田さんには悪いが、ここはやらせてもらう。
「室田さん」
「なんです、霧山の姐御」
「わたし、あんたにヒットをやるって、言ったっけな」
「言いましたよ。毎度、おおきに」
「あれは嘘だ」
「――――!」
室田さんが息を飲んだ。
真剣勝負を再三、冒涜してきたはずのわたしが、今日に限ってそれを翻したのだ。
裏切りに目を剥く室田さんに向かって、来いよ、と挑発する。
「姐御。そいつぁ、筋が通りませんで」
室田さんの十指が、ボールに深々と食い込んだ。室田さんの渾身の力により圧縮されたボールが、まるで悪霊でも取り憑いたかのようにぶるぶると震えた。
「小学生に、裏切りは付きものやろが」
室田さんの柳眉は逆立ち、瞳は憤怒に燃え、鼻から気炎を吐いて、怒髪は天を衝いている。
ほとばしる小学生の怒気を、わたしは平然と受け止めた上で続ける。
「撃てよ」
必殺シュートをよ。
「室田さん。あんたがそのボール、わたしに当てさえすれば……フッ。なにも問題あらへんがな」
コートのラインギリギリに立って、思い切り相手をバカにした笑みを浮かべてみせる。
「――――霧山ァ!」
室田さんが吼え、豪腕が唸る。
ゼロ距離からの投球。
普通なら外しようもないし、避けようもない。
しかし。
「なっ!?」
叩きつけられたボールは、コートの誰もいないところで猛スピンし、四方八方へと砂利を撒き散らす。
背後から、大宗さんの悲鳴が聞こえた。
摩擦によって超高温に熱された砂利を浴びたのだろう。
「取り決めを一方的に反故にする、カスな美人だから〝滓美〟ってわけじゃあないんや」
未だに推進力が衰えず、グラウンドを掘り進むボールを手で掴み上げる。
回転を殺しきれず、多少、指の皮が剥けたが、気にしない。
ボールが燃えているせいで、この右手はとっくにバーベキューだからだ。
「……霧山流避球術乙式、弐ノ型〈霞身〉!」
「知っているのか、海老原先生!」
背後で海老原先生が、霧山家に伝わる避球の奥義について解説し、マッポが興奮しながらそれを聞いている。
霧山家は名家。日本史を裏から操る、フィクサーオブシャドウ。
なればこそ、小学校を牛耳る術として、避球に通じているのは当然のこと。
「そう。乙式弐ノ型〈霞身〉は、読んで字のごとく、自らの肉体を霞へと変じさせる、回避の奥義」
わたしの名前、滓美はそこから来ている。
「くっ、霞なんて漢字まだ習ってないし! 卑怯だぞ、霧山流!」
「ふん、なんとでも言え」
不勉強は身を滅ぼす。小学校の摂理だ。
「地獄へ落ちろ、室田さん」
霧山流避球術甲式、壱ノ型〈山崩〉。
ひとりでに体が動き、今度は攻撃奥義を開陳する。
「に、二段ジャンプだと!?」
室田さんが驚くのも無理はない。霧山流は二段跳躍を修める日本有数の避球術だ。
甲式壱ノ型〈山崩〉は、虚空を蹴って勢いをつける投球術の一。
勢いそのまま、位置エネルギーを得たわたしは、ダンクシュートの要領でボールを振り下ろす。
「がああああああっ!!」
驚天動地の一撃が、室田さんを直撃、昏倒させる。
「許せ、室田さん。女の友情は地球より重い」
泡を吹く室田さんに〝よろしく〟をすると、わたしは踵を返し、コートを出た。
「ぐっ、ぐぐぅーっ! 室田流に栄光あれぇーっ!!」
室田さんが紫色の光を放って爆発四散する。
やれやれ、女はつらいぜ。
「滓美! すごかったよ、今の!」
コートを出るなり、マッポが抱き付いてきた。
そりゃすごいに決まってる。なんといっても、伝説の闇の武術、霧山流の奥義だから。
「全然そんなことないって、あんなの初歩の初歩だから」
「そうなの? じゃあ今度教えてよ!」
「ははは、今から習ってたら中学校を卒業してしまうよ?」
「もう! 滓美のいじわる!」
「そう拗ねないでマッポ。とりあえず今は、夜明けの給食としゃれこもうじゃないか」
ごく自然に授業を抜け出そうとしたが、二人とも沢村先生に首根っこ掴まれて引き戻されてしまった。
海老原先生は、久しぶりに霧山流を見られたのが嬉しかったらしく、なんか泣いてた。
やれやれ、退屈だな、ドッジボールは。
おはこんばんちは、亜倉飴麺です。
最後までお読みいただきありがとうございます。
本作は「即興小説トレーニング」様に投稿した「いつものわたしじゃいられない」http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=275614に加筆修正したものを、れうにおん発行の『co-medium ver.20171123』へと蒼田ガイ名義で掲載した「ひきゅう」に、ちょっとした修正を加えたものです。
ストーリーとしては、「ひきゅう」と変わりません。
「いつものわたしじゃいられない」は、即興小説トレーニング様にて提供していただいたお題「フニャフニャの兄」を元にジントニックを飲みながら書いたものです。
いっぺん酒飲みながら小説を書き上げてみたい、という若気の至りめいたものから生まれました。
それを後年、シラフにて加筆修正したのですが……読み返すと、加筆部分の方が酒入ってるとしか思えないのは、私だけでしょうか。
このようなふざけた小説を書く私ですが、よろしければまたお会いしましょう。