第五話「独楽さま、烏玉いじる時、マッドですー」
神雷教室についての相談が一段落したあと。
独楽と信太は若利に連れられて、見回りついでの顔見せに行く事となった。
若利の屋敷から一歩外に出れば、だんだんと強くなる日差しが眩い。じりじりとした夏の暑さに肌を焼かれながら、独楽達は村に向かって、ひび割れたアスファルトの上を歩きはじめる。
「きみはイナカマチ区画について、どれだけ知っている?」
「いえ、それほど。以前に女性が区画主を務めてらっしゃったくらいですかね」
「先代の事か。先代は俺の祖母だ。継ぎ接ぎ世界になって、区画が始まった時の初代区画主でもあるな」
話しながら若利は空を見上げた。つられて独楽と信太も顔を上げる。原色の絵の具を落としたかのような青空に、白い入道雲が浮かんでいるのが見えた。
「イナカマチ区画を守る、この神雷結界を張ってくれたのも、あの人なんだ」
そう言って、若利は懐かしむように目を細めた。
この世界が継ぎ接ぎ世界として生まれた時、同時に、神力や神雷と言った不可思議な力も生まれた。それが初めて発現した時には、当然の事ながら、人々は驚き、戸惑った。
魔法や超能力といった、不可思議な力が存在していた世界の住人達は、比較的早く馴染む事は出来たが、そういったものが身近になかった世界の住人達は、それに適応するのに時間がかかった。使い方はもちろんではあるが、まず始めに「神雷が何であるか」を理解する事が難しかったからである。
さて、そんな中、イナカマチ区画がどうであったかと言うと。
この区画があった世界には、小説や漫画、映画やアニメーションなどの創作上で、そういったものはよく描かれていた。実際に存在していたかどうかは分からないが、少なくともほとんどの者にとっては、神雷のような不可思議な力は『創作物』であったのだ。
憧れはするが、使うことはできないもの。神雷とは、そういう存在だった。
「祖母は若い頃から豪胆な人で、烏玉や神雷を前にしても『へんてこな力がなにだってんだい、こんなもんよりお天道様が荒れる方が大変だったじゃないか』なんて言いながら、ササッと信頼を使って見せてくれたんだ」
「あはは。確かに神雷に比べたら、いつ起こるか分からない自然災害の方がずっと怖いですね。よくよく考えれば、継ぎ接ぎ世界になったのも自然災害みたいなもんですし、こんな大事が怒るよりは神雷の方がまだ可愛いです」
その様子がするりと浮かんで、独楽は楽しそうに笑う。
いわば神雷とは未知の存在である。未知の存在に対して、大体の人は安全が分かるまでは恐れるか、距離を取るだろう。イナカマチ区画の住人達も、最初はそんな様子だった。
その中で未知を恐れず柔軟に対応をしたのが、先代の区画主である若利の祖母、真頼だったのだそうだ。
「だろう? 祖母がそう言ったおかげで、住人達も『そりゃそうだ』って受け入れられるようになったんだ。色々と」
色々と、と言った若利の言葉には、恐らく継ぎ接ぎ世界となった時の事も含まれているのだろう。
だって唐突に世界が変わってしまったのだ。
何の前触れもなく世界から切り離され、どこぞの異世界がお隣さん。言葉こそ通じるものの、習慣も、考え方も色々が違う。
そしてその何よりも、切り離された世界の外側に家族がいれば、二度と会う事は出来ないだろうと、誰もが思った。
もちろん「きっと会える」という希望を持っている人もいる。
だが。
だが、いくら希望を持っていても、恐怖や不安、寂しさといった感情を飲み込むには時間が掛かる。その抱えた物が軽くならなければ、立ち上がる事が出来なくなってしまう。
真頼はその立ち上がるきかっけを作ったのだ。
「さすが、やはり素敵な方ですね、真頼様は」
「ああ。俺もそう思う。……怒るとハンパないくらい怖かったがな」
「若様、怒られたです?」
「ちょう怒られた」
「あっはっは」
「笑い事ではないぞ。……ん? そう言えば、きみは祖母の事を知っているのか?」
真頼の事を普通に話す独楽に、若利は首を傾げた。
独楽は目を瞬くと、指で顔をかく。
「あー、えっと……」
どう説明したものか。
考えながら、独楽が口を動かしかけた時、
「おぉーい! 若様ぁー!」
と、遠くから、若利を呼ぶ声が聞こえた。
揃って声の方を向けば、田んぼの向こうに七十代くらいの男性が立って、ぶんぶんと手を振っているのが見えた。
「おお、ちょうど良いところに。独楽、あそこにいるのが村のまとめ役の源三だ」
若利はそう独楽に説明すると、源三の元へと向きを変え歩き出し、独楽と信太はそれに続いた。
それからまもなくして、独楽達は源三の所へと辿り着いた。
源三の近くには、他にも数人、農作業をしている住人達がいる。若利は独楽に、まとめて源三たちを紹介した。
「ほうほう、あんたがリベルタ区画の連中を追っ払ってくれた人か。昨日はありがとうよ」
若利から紹介を受けた源三達は口々に、独楽に昨日のお礼を言う。
大勢に「ありがとう」と言われたものだから、独楽はなにだか照れ臭くなった。
「顔が赤いぞ?」
「いやぁ、何だかこう、お礼を言われる事が少なかったので」
嬉しいけれどむずかゆい。
そう独楽が言うと、若利は意外そうに目を丸くした。
「そうなのか? それはずいぶんと、礼儀知らずな輩がいたものだ。助けて貰った事を有難いと思えば、礼を言うのは当然だろうに」
若利は呆れたように言った。礼を言うのは当然だと言う若利の言葉に、源三達も頷いている。
彼らの様子に、今度は独楽が目を丸くした。そんな風に言われた事が、今までなかったからだ。
独楽にとって、誰かを助けるという事は、仕事の一環である。金銭を受け取って行う事であるから、それに対して礼を言われるという事自体に、あまり縁がなかった。
「……いやぁ、何か、ええ、ちょっと、いいですね、こういうの」
源三達のお礼の言葉が、じわじわと胸に広がって来て、独楽はくすぐったそうに笑う。
そんな話をしていると、ふと、遠くに小夜の姿が見えた。
「……あれ?」
「どうした?」
「いえ、あそこを歩いているの、お小夜ちゃんでは?」
独楽が小夜の方を指差すと、若利達もそちらを向く。
小夜は若利達には気付いていないようで、真っ直ぐ前を見て、すいすいと歩いていた。
若利はそんな小夜に、
「おーい、お小夜ー! あまり遠くに行ったらいかんぞー!」
と、声を駆けると、小夜がこちらを振り向き、
「はーい!」
と、手を振り返した。
そんな小夜を見送りながら独楽が、
「お小夜ちゃん、何だか楽しそうですね。お友達の家にでも遊びに行くんですかねぇ」
と、呑気にそう言うと、若利が首を横に振る。
「いや、あの方向は違う。お小夜はバス停の方に行ったんだろうよ」
「バス停というと……あれですか。馬がいない鉄の乗合馬車」
独楽のいた世界にはバス、というものが存在しないので、持っていた知識から似たものを上げると、若利が苦笑する。
「きみのいた世界にバスはないのか。似たような世界に見えても、やはり違うのだな」
「そうですねぇ。……バス停があると言うと、バスも来るのですか?」
来るならばちょっと見てみたいな、と独楽が思っていると、
「いや、バス自体はあるが、元の区画にある乗り物の類は、燃料がないので全滅だ。神力で代わりが出来ないか、と試行錯誤してはいるんだが、なかなか上手くはいなくてな」
と若利は言った。
バスなどの乗り物だけではなく、農作業に使っていた機械も燃料がないため動かないそうだ。
その燃料代わりに神雷を上手く使えないか、と若利達はやっているそうだが、どうも上手くいっていないらしい。
「それならお手伝いしますよ。わたし、神雷も、烏玉いじるのも、結構好きですし」
独楽が手を挙げると、若利は「それは助かる!」と嬉しそうに言った。源三たちも少し期待の眼差しを向けている。
だが信太だけは尻尾を揺らし、
「独楽さま、烏玉いじる時、マッドですー」
と不穏な事を言った。
信太の言葉によって、若利達が感じていた期待に、どばっと不安が混じる。
方々から複雑な視線を向けられ始めた独楽は、大慌てで手を振った。
「ここここら信太、何を言い出すのですか。え? あの、若様、皆様? いやいやいやいや、大丈夫! 大丈夫ですよ!? 確かにちょーっと変なテンションになる時はありますけど、あくまでちょーっとですし! 仕事はちゃんとしますので、信用してください!」
弁解すればするほどに怪しく見える。
あまりに必死にアピールする独楽に、やがて若利たちは噴き出して笑った。
「ああ、大丈夫だ。昨日の一件で、きみの事は信用しているよ」
「あ、あはは……ど、どうも……」
何だか居た堪れなくなってきて、独楽が信太を見て肩をすくめた。
信太は素直で正直だが、多少空気も読む事を教えるべきか、と思いながら、独楽はちらりと信太を見る。
「えっと、それで話を戻しますが……バスはないんですよね? それならお小夜ちゃんはどうしてバス停に?」
独楽が尋ねると、若利は少し目を伏せる。
「……人を待っているのだと思う」
苦さを交えたその言葉に、独楽は何となく理解した。
恐らく小夜が待っている相手は、この世界が継ぎ接ぎ世界になる前に離ればなれになった相手なのだろう。
数多の世界に同時に起きたこの異変。それは切り取られた世界の内側と外側の完全な断絶を意味する。
こうなった理由も分からず、元の世界に戻れるという可能性も見当たらず。せめて切り取られた世界の中に大事なものや、大事な人がいればまだ良かっただろう。
異変が起きたのは十年前だ。
小夜が産まれたばかりの頃に離ればなれになった人、そして小夜が今、若利の家に住んでいる事。それを合わせて考えられるのは、小夜が待つ相手は彼女の家族なのだろう。
「イナカマチ区画には、わしらみたいなじいさんばあさんばかりで、若様やお小夜みたいな子供はほとんどおらんくてなぁ。あんたも気に掛けてやってくれると嬉しいよ」
僅かに暗くなった雰囲気を振り払うように、源三は明るい声で独楽にそう頼んだ。
独楽は胸を叩いて「お任せを!」と力強く頷く。信太もそれを真似して「おまかせをー」と言うと、それが面白かったのか、源三たちは噴き出して笑った。
源三たちと話したあと。
お茶の休憩に誘われた独楽は、源三たちと並んで土手に座り、爽やかに冷えたお茶を飲んでいた。
独楽達の目の前で、水を張った田んぼに映った雲が、ゆっくりと流れて行く。
その中に区画の住人達と一緒になって、田んぼの手伝いをする若利と信太の姿が見えた。
戦いの音はなく、都会特有の喧噪もなく、とても長閑である。
「この区画は、ゆったりとしていて良いですね」
独楽が素直な感想を口にすると、源三が少し嬉しそうに笑う。
「娯楽も何もねぇけどな。それが嫌で、若い衆のほとんどは、外に行っちまった」
いわゆる過疎化、という奴だ。
独楽もイナカマチ区画を少し見たが、他所の区画にあるような様々な店や、煌びやかな遊び場はない。この自然自体が遊び場ではあるものの、だんだんとそれだけでは満足が行かなくなったのだろう。
それにイナカマチ区画は元々は農村である。仕事を探しても、家業である農業を継ぐくらいになってしまうのだろう。
作物を育て、収穫し、届ける。それは得難い喜びだ。
だが、そこに辿り着くまでの仕事の大変さや資金繰りの不安さなどでだんだんと農業から離れ、都会で働く事が多くなったのだ、と源三は言う。
「それでも残ってくれたもんが、今、区画にいる若い衆なんだ。そして、それを引っ張ってくれているのが若様なんだよ」
源三は田んぼの方を見て言った。
視線の先にいるのは若利だ。独楽も「へぇ……」と言いながら若利を見る。ちょうど今、田んぼのはまった若利を信太が必死で引っ張り上げようとしている所だった。
「今は引っ張られてるのは、本人みたいですね」
「あっはっは。……ま! わしらもまだまだ若いもんには負けんがな!」
「この間腰痛めたっつってたろうが」
「うるせぇ」
源三たちは軽口を叩いて笑い合う。仲の良い区画だ。独楽も何だか楽しくなって笑った。
「最近は、余所の区画が魔獣を放り込む事も増えて来てねぇ。やっぱり、結界が弱くなっているんだねぇ……」
「魔獣を放り込む、ですか」
神雷結界は、基本的に結界を張った者や、結界を張った者が指定する対象に対して害意や敵意があるものを通さない。
だが理性を失った存在である魔獣は、敵意や害意ではなく『本能』で動いているので、撥ね退ける対象とはならないのだ。
しかし、それを悪用するというのは独楽は初めて聞いたので、むむ、と目を細める。
「それはまた厄介な事をなさる」
「だろう? 若様がいつも魔獣を追っ払ってくれているんだけど、心配でなぁ。あんたが来てくれて良かったよ」
そう言われて独楽はちょっと照れた。
来てくれて良かったとか、ありがとうとか。この区画に来て何度も聞いたその言葉は、独楽にとっては本当に久しぶりのものだった。
むずかゆさを感じながら、ちびちびちお茶を飲んでいると、源三たちも田んぼの仕事へと戻って行った。そこへ入れ替わりに泥だらけの若利が戻ってくる。
「若様、えらい事になってますよ」
「うむ。お小夜に叱られる前に、何とかせねばと思っている」
若利は真顔で頷いた。少し遅れてやってきた信太も、泥だらけだ。ふわふわの毛並みが泥でべったりとしており、一回り小さく見えた。
「独楽さまー信太の体が重いですー」
「でしょうね。あとで川にでも行って洗い流しましょうね」
信太が「はいー」と頷くのを見て、独楽は若利を見上げる。
「良い区画ですね」
「だろう?」
若利は誇らしげに笑って、独楽の隣に腰を下ろした。独楽は湯呑にお茶を注ぐと若利に渡す。
「……若様、前に神雷結界の烏玉に、神力を込めたのっていつですか?」
「二年前だ」
「二年……」
独楽は神雷結界を見上げる。二年前に神雷を込めて、よく今までもったものだと独楽は思う。
「俺が神雷を習い始めた頃に、先代――――祖母は過労で倒れた」
一度言葉を区切って若利は続ける。
「周囲からの嫌がらせが増えてきた頃だった。イナカマチ区画を守ろうとして、神力を込め過ぎて、そのまま」
体力的にも限界だったのだろうと若利は言う。
独楽も昨日、空腹と神力の使い過ぎで倒れたのだが、神力は身体にとっては気力や精神力のようなもので、限度を超えて使い過ぎれば体調を崩したり、昏倒したりしてしまう。
イナカマチ区画は神雷を扱える者がほとんどいなかった。
戦えるものはいただろうが、神雷で攻め込まれては太刀打ちできない。
だからこそ、先代のイナカマチ区画主である真頼は、その守りを一手に引き受けた。その代償に、命を落とす結果になってしまったと若利は言う。
「俺たちは祖母に背負わせた。二度とあんな事は起こさせぬと誓った」
だから、と若利は真っ直ぐに独楽を見る。
「きみは無理だと思ったら、すぐにイナカマチ区画を出てくれ。俺はきみに、それを背負わせるわけにはいかん」
確かにイナカマチを守る事が出来る人では欲しかったが、命を賭けさせるわけにはいかない。
若利がそう独楽に言うと、
「別に背負っちゃいないんですけどね。結構ここ好きですし」
と、独楽は指で顔をかいて言う。
「それは嬉しいが、なるべく早く神雷をまともに使えるようになるよう、頑張るよ」
「焦って急いでも上達しませんよ」
「いや、俺達の問題に、これ以上、他の区画の者に迷惑を掛けるわけにはいかないからな。せっかくうちに働きに来てくれたんんだ、仕事外の苦労を増やすわけにはいかない」
他の区画の者、と呼ばれた時に、独楽はすう、と胸が冷えるような感覚を感じた。
そして少しだけ自分がガッカリしている事にも気が付く。
どうして自分がガッカリしているのか分からず、独楽は自分の胸に手を当てて、首を傾げた。
「独楽さま?」
そんな独楽の様子に気が付いた信太が、心配そうに見上げる。独楽は取り繕うように笑った。
「何でもないですよ……って、うん?」
そう言った時、ふと視界の端で神雷結界が揺れた、ような気がした。
独楽が目を細め、錫杖を手に立ち上がる。
「どうした?」
「いえ、あちらの方の神雷結界に、何か反応がある気がしまして。ちょっと見てきますね」
そう言って独楽が走り出すと、
「あの方角は……お小夜が向かった方角だ。俺も行く」
と、若利も独楽に並んで走り出した。その後ろをぴょんと跳ねて信太もついてくる。
独楽は隣を走る若利に、
「若様、一番重要な人物じゃないですか。信太と一緒に大人しくしていて下さいな」
と言った。護衛対象を危険があるかもしれない場所に連れて行くのはどうかと思ったからだ。
だが若利はおどけたように、
「存分にモフって良いのか?」
と言って信太に視線を送る。信太は目を丸くして首を傾げた。
「信太はモフられるです?」
「双方の合意を得た上でのモフりなら構いませんよ」
お互いに軽口を叩いているだけで、どうやら若利には戻るという選択はないようだ。
今までも魔獣を追い払っていたらしいし、敵対者に対して全くの無策という訳ではないのだろう。
そう納得した独楽は、若利と信太と共に神雷結界の方へと向かった。




