第二話「これはまた、いきなりヘビィな話題が来ましたね」
水がサラサラと流れる音が聞こえる。どうやら川の傍にいるらしく、時折、ポチャン、と何かが跳ねる音も聞こえて来ていた。
独楽はその音を聞きながら、ふっと目を覚ました。
「おお、信太は魚を捕まえるのが上手いな。ほら見ろ、こちらももう一匹だ」
「わーお魚、大漁ですなー」
涼やかな音に加えて、賑やかな声も聞こえて来る。片方は信太のようだ。そんな事を考えながら、独楽は目を開けた。
「…………う、お」
目を開けた一瞬、飛び込んで来た眩い光に、チカチカと目が眩む。その眩しさに独楽は目を細めた。だんだんとはっきりとしてきた視界に、原色の青空と、濃い緑色に染まる木々の葉が映る。正に鮮やかという言葉通りの夏の風景だった。
「ここは……」
寝起きのぼんやりとした頭で独楽が呟くと、その声が聞こえたようで、
「独楽さまー」
と、信太がぴょんと跳ねて駆け寄って来た。
信太はテトテトと独楽の顔の近くまでやって来ると、頬にすり寄る。川に入っていたようで、信太の体は水に濡れていた。普段ならばふわふわとした毛並は濡れて冷たい。夏の暑さの中にいる独楽には、その冷たさが心地よく感じた。
「信太?」
「おはようございますー」
「おはようございます。……という時間では、なさそうですね」
独楽は信太に手を伸ばして触れると、頭から背にかけてゆっくりと撫でる。信太は独楽に撫でられて気持ちが良さそうに目を細めた。
そうしていると、信太に遅れてもう一人、独楽に近づいて来る者がいた。
「ああ、気が付いたか」
独楽が顔を向けると、そこにはつい先ほど魔獣に追われていた青年がいた。
青年は独楽の傍までやって来ると、ひょいとしゃがんで独楽の顔を覗きこむ。微妙に近い。何か言おうかと独楽が考えている内に、納得したように青年は離れた。
「うむ、顔色は悪くないな」
「あなたはさっきの魔獣の……って、うん? あれ? わたし、どうなっていました?」
独楽はどうにも倒れた前後の記憶があやふやになっているようだ。まだ少し寝ぼけているからだろう。ぼんやりとした顔で独楽が首を傾げて尋ねると、
「空腹と神力切れで目を回したのであろう? 信太が言っておったぞ」
と、青年は答えてくれた。
「空腹と神力切れ……ああ」
独楽は右手をペチンと顔にあてて、小さな声で「不覚」と呟く。青年に言われて、ようやく記憶が繋がってきたようだった。
「独楽さま、独楽さま。若利さまが、独楽さまをここまで運んできてくれたんです」
頭を抱えている独楽に、信太もそう教えてくれた。若利と信太に呼ばれた青年は、右手をひらひらと軽く振って、
「いやいや、俺など、引き摺って進むくらいで精いっぱいだったよ。……ところで数回程諸々にぶつけたが、大事ないか?」
と、後半は若干言い辛そうに言った。言われてみれば確かに、頭やら体やらのあちこちが痛い気がする。どうやら信太の言うように、若利が独楽をここまで運んできてくれたようだ。
「いえ、大丈夫です。こう見えて割と頑丈ですので」
独楽は笑ってそう言うと、体を起こし、若利に向かって頭を下げた。
「それよりも、大変お手数をお掛けしました。あのまま倒れていたら、他の魔獣に食われるところでした。わたしは相良独楽と申します」
「いやいや、お互い様さ。俺は上賀茂若利と言う。こちらこそ、先ほどは助かった。改めて礼を言わせてくれ」
若利と名乗った青年も頭を下げる。信太も二人を真似してちょこんと頭を下げる。
――――その途端、独楽と信太の腹の虫が鳴いた。
「ぶはっ」
腹の虫がほとんど同時に鳴いたものだから、若利はおかしくなって噴き出した。独楽は「ぐおお」と恥ずかしそうに呻いて片手で顔を覆う。
「何だ、腹ぺこか?」
「いや、その、ははは………ハイ」
「なら、飯にしよう。そろそろ良い感じに焼き上がる頃だぞ」
「飯?」
「魚です。お魚です。信太もがんばりました」
「ああ、なかなか上手だったぞ」
若利に褒められて、えへん、と信太が胸を張りながら、トテトテと歩いて行く。
独楽がその後ろ姿を目で追っていくと、その先にはパチパチと燃える焚火があった。その焚火の周りでは魚が焼かれている。念願の食べ物に独楽の目が輝いた。
食事を終えた独楽は、満足そうに手で腹を撫でながら、幸せそうに息を吐いた。
「ああ、食事って素晴らしい……」
「けぷ」
独楽の隣では満腹になったらしき信太が、ころんと転がっている。
そんな二人を見て、若利は満足そうに頷笑った。
「うむうむ、そいつは良かった」
「いや、本当に助かりました。ここ二日ほど、ほとんど何も食べていなかったので」
「それはまぁ……この暑い中、よく無事だったな」
目を丸くする若利に、独楽は顔をかいて笑う。
「まぁ、水だけで何とかギリギリで。あれ以上だと、きつかったですけれど」
幾ら神雷を使ったとは言え、半獣になったくらいで倒れるのは、相当ギリギリだったようだ。自己認識と現実のズレに独楽は苦笑した。
「それよりも、あなたこそ魔獣に追いかけられて良く無事でしたね」
「まぁ慣れているからな」
「慣れているんですか? そんなに頻繁に魔獣が現れるんですか?」
「いいや、普段ならそれ程でもないさ。イナカマチ区画は、今ちと厄介な事になっていてな」
「厄介?」
「魔獣を消し掛けてくる連中に乗っ取られかけている」
唐突に話された物騒な話に、独楽は目を丸くする。
「これはまた、いきなりヘビィな話題が来ましたね」
「信太は蛇はちょっと苦手です」
「重い方のヘビィですよ」
「一文字違いで大違いです? 言葉って難しいですなー」
「あっはっは。信太は賢いな、そう、言葉とは難しい物だ」
「変な事を教えると直ぐに覚えちゃうんですよね」
「それは面白い」
目を輝かせた若利に、独楽が「しまった」と苦い顔になる。教えてはいけない人に教えたような、そんな気がしたからだ。
「それで、話を戻すが。イナカマチ区画の隣にはリベルタという区画があってな」
「リベルタ区画? 大区画じゃないですか。でも確かリベルタ区画はもっと北の方じゃありませんか?」
「小さい区画の要石を奪って勢力を広げているんだ。ついこの間、隣の区画が奪われた」
この継ぎ接ぎ世界には、数多の世界から強制的にやって来させられた数多の世界の住人達が存在している。だがその全てが「仲良くしましょう」などと言うはずもなく。他所の区画を侵略して、自分達の支配下に置いてしまおう、とはた迷惑な事を考える区画も存在していた。
独楽は腕を組んでむう、と眉間に皺を寄せる。
「それで次はイナカマチと。何とも迷惑な話ですね」
「全くだ。自分達の区画を栄えさせる事だけで満足しておれば良いのに、欲の深い連中だ」
「ちなみにいつから攻め込まれているんですか?」
「一週間前からだな」
「はぁ、それはまた最近…………うん? 一週間前?」
一週間前、と聞いて、独楽は懐から『イナカマチ区画の守り人募集!』と書かれたチラシを取り出した。確か一週間前に、独楽はそのチラシに書かれた電話番号に電話をしたはずなのだ。一週間前から攻め込まれているならば、早々呑気に電話に出てくれるものだろうかと、ふと疑問に思った。
「どうした?」
「いえ、実は一週間前に、このチラシに書かれていた電話番号に電話をして、面接についての話をしたんですけれど」
「ふむ? そのチラシは確かにイナカマチ区画で出したものだが、そんな電話が来た覚えはないな。その頃はその電話が通じる場所は、連中に占拠されていたはずだが」
「え?それでは、面接の約束は……」
「奴らとしたのではないか?」
「コンチクショウ!」
独楽が怒り任せに、両手の拳を地面に叩きつけた。
「独楽さまー、それでは約束のお時間は過ぎても大丈夫です?」
「ええ、大丈夫です。大丈夫じゃないんですけれど、大丈夫です。ぶっ飛ばしてやる」
怒りが冷めやらぬ独楽は、卑屈な表情で物騒な事を言ってのけた。空腹や迷子になった際のやりきれない感情が、全てリベルタ区画に向かったようだ。
「あっはっは。しかし、そうか、きみはそのチラシを見てここへ来たのか。もしや、就職希望か?」
「はい、就職希望でした。就職希望でした。ぶっ飛ばしてやる」
繰り返し付け加えるあたり、相当腹に据えかねているようだ。独楽の様子に若利は苦笑する。
「ありがたいが、実に酔狂だな、きみは」
「おや、ご自分らで募集をしておいて酔狂とは、結構な言い草」
「いや、このご時世に珍しいな、と思ってな」
「まぁ、そうですねぇ。そうかもしれませんけれど、結構、死活問題だったんですよ」
「独楽さまは前のお仕事をクビになったんです」
「あっこら、信太! しー! しー!」
「ほうほう、クビか。何をやってクビになったのだ?」
「……………………ちょっと、大喧嘩を、ですね」
独楽の言葉に若利は噴き出す。
「先ほどといい、見かけによらず血の気が多い奴だ」
「う、うぐう……」
「まぁ、いいさ。何かあったのだろう。……ところで、きみはイナカマチ区画に入る時、何ともなかったのかな?」
「え? ええ、別段何も……信太は何かありましたか?」
「信太は信太になりました」
「深いな」
尋ねたら帰って来た哲学的な言葉に若利は感心し、独楽は「これもわたしのせいか」と頭を抱えた。
「まぁ、いい、それならいい」
「はあ」
「独楽さまは酔狂、信太は覚えました」
「しまった、信太の認識を上書きせねば」
「あっはっは。――――して、独楽よ。そのチラシで募集しているのは守り人だが、きみはそれが出来るか?」
「元々そういう仕事をしていたので。――――そうですね、守りの神雷なら得意です」
「そうか、それは重畳」
若利は頷く。その言葉に、独楽はもしかしたら若利はイナカマチ区画の重役なのか、とふと思った。
「俺は今、そのリベルタ区画の連中に追われている」
「……ん? あれ? 追われているなら、こんな所で呑気に焚火なんてしていて良いんですか?」
「いいや、まったく良くないな」
若利はにっこり笑って首を振る。
「え?」
「独楽さま、足音が聞こえて来ます」
「うむ、追手だな。焚火の煙を見て、ここへ向かっているのだろうよ」
「はい!? いやいやいや、お腹膨れて大変助かったんですが、何をやっているんですか!?」
「賭けだよ」
若利は目を細め、ニッと笑う。
「この状況で見つかれば、きみ達も一緒に捕まるだろう。捕まらないためにはどうするか、二択だ」
そして独楽の前にびしり、と指を二本立てて、提案する。
「そのチラシを見て奴らと話したならば、きみを味方に引き込もうとするかもしれん。そうすれば捕まらないのではないか?」
「もう一択は?」
「奴らをうちの区画から叩き出す」
若利は独楽を真っ直ぐ見る。
「見ず知らずの者を躊躇いなく助けたきみのお人好しっぷりに、俺は賭けた。――――イナカマチ区画から奴らを追い出したい。どうか助けて欲しい」
若利は独楽に向かって深々と頭を下げた。信太は独楽を見上げる。
「……あなたは真っ直ぐに“助けて”と言えるんですね」
「本当に助けが欲しいと思ったなら、ちゃんと言葉にしなければ、だれにも伝わらん」
恩人の言葉と同じそれが返って来て、独楽は何だか嬉しくなって破顔して笑った。
「懐かしい言葉を聞きました。もちろんですとも、協力しましょう。それに元々はわたし、イナカマチ区画の守り人募集のチラシを見てここへ来たわけですから。来て早々に、簡単にここがなくなっては困ります」
その言葉に若利はバッと顔を上げた。
「……! よろしく頼む」
「よろしくお願いします。――――それで、作戦などはありますか?」
「ああ。実はこのイナカマチ区画にはな、他の追随を許さぬ、守りの要があってな――――」
独楽と若利が話をした、少し後。二人と一匹を大勢のリベルタ区画の者が取り囲んだ。




