第十五話「そいつはさせませんよ。知っていますよね、ご同僚」
天津の言葉に独楽が「えっ」と目を見開いた。若利は多少は想像をしていたのか驚きは少ない。
「甘栗さん、区画主だったんですか」
「元区画主でござるよ、今となってはな。……カザミ区画を取り戻したいのならば、代わりに他の区画の要石を持ってこい。リベルタ区画から提示されたのはそういう条件でござった」
「それでうちの区画を、という事か」
「幾つかの区画を見た中で、最も狙いやすそうな区画でござった」
確かにそれはそうだろうと独楽も思った。
独楽がやって来た時のイナカマチ区画は区画を守る神雷結界は消滅していたし、その神雷結界に長年守られていた事で、ほとんどの者が神雷の扱い方を知らなかった。武器で戦う術は持っていたかもしれないが、何よりイナカマチ区画は小さな区画である。区画が小さいという事は人数も少ない。他の区画が大勢で攻め入り神雷を使われでもしたら、直ぐに制圧されてしまう。
それに天津は恐ろしく腕の立つ侍だ。その気になれば区画の者達を蹴散らして要石を奪うなど造作もない事だったろう。
「他の方法はなかったのですか?」
「他に抗う方法など、某には思いつかなかったのでな。某は神雷を使えない。区画を染める時も先代の神雷あっての事だ。幾ら腕を磨こうと、遅かれ早かれ、某一人では無理でござった」
天津は目を閉じ、首を振る。次に瞼が開いた時には、若利が現れてから和らいでいた殺気がはっきりと宿っていた。
独楽は天津に錫杖を向けながらじりじりと距離を測る。気を抜けば、やられる。独楽の額から汗が一筋その頬を伝った。
「其方らイナカマチ区画の者たちには、悪い事をしたと思っている」
「そう思うのならば引いて下さると嬉しいのですがね。その刀を納めて、話し合いで解決などと洒落込みませんか?」
「ならばその錫杖を下ろしてから物を言うでござるよ、独楽殿」
「甘栗さんがその殺気を消して下されば」
「ふむ、それは無理な注文だ」
ゆらり、と天津は若利を睨むように見て、手を差し出した。
握手の為ではない。それが何を指しているのか、独楽にも若利にも伝わった。
「若様、イナカマチ区画の要石を渡しては下さらぬか。そうすれば、某はこれ以上は何もせぬ」
「きみは、しないだろうな。だが、最初にパオロに応えた通り答えは否だ。確かにきみは何もしないだろう。だがリベルタ区画《やつら》はそうではない。イナカマチ区画が他所の区画に踏みにじられると分かっていて、要石を渡す事など出来んよ。それに――――ここで俺たちを殺したとて、きみたちにイナカマチ区画の要石を扱う事は出来ぬ」
「構わぬさ。某はイナカマチ区画の要石を扱うつもりはない。ただリベルタ区画にそれを差し出せばそれで終わりでござる。それで我がカザミ区画は解放される! ――――渡せ、上賀茂若利!」
天津は怒鳴り、若利に斬りかかった。だがその切っ先は若利の前に現れた光の壁に阻まれ、弾かれる。
独楽の神雷壁だ。
「そいつはさせませんよ。知っていますよね、ご同僚」
「ああ、知っておるとも。――――相変わらず厄介な!」
天津は独楽の方へ向き直る。先に独楽を仕留めた方が早いと考えたのだろう。
刀を構え、畳を蹴ると独楽へと斬りかかる。独楽はその攻撃を神雷壁で防いだ。
天津の刀の一撃一撃は重く、強い。夏祭りの時など比ではないようだ。押され、防戦に徹している独楽の顔が歪む。
「相変わらず馬鹿力な……!」
「防戦一方では某は倒せぬでござるよ!」
天津はそう言うと体を回転させ、独楽の脇腹を目がけて柄頭で抉るように殴りつけた。その勢いで独楽の体が飛ばされ、襖ごと倒れ込んだ。
それを横目で見ながら天津は天津は若利を振り返った。天津が畳を蹴ると同時に、若利は神雷壁を作り出す。刀と神雷壁がぶつかり、ガァン、と、鈍い音が響く。
「イナカマチ区画は、神雷結界さえなければ簡単に他の区画に制圧されるであろう小さな区画。そしてその頼みの綱は神雷結界。今回は独楽殿がいたから何とかなったとはいえ、今後もそんな運の良い事など起こる保証はない。早い段階で区画譲渡についての交渉をした上で、有利な条件を得た方が良いでござろう? 何故そうも抵抗する!?」
「それはきみの区画の経験か?」
若利が額に脂汗を浮かべながら天津に問いかける。天津の力が強いため、全力で神雷を使っているからだ。若利には神雷の才能があれど、独楽のように守りに特化してはいないため、独楽ですら苦戦する天津に対しては、全力で向かわなければ太刀打ちが出来ないのだろう。
「ああ、そうだ! 情けない話でござるがな! カザミ区画と同じく、イナカマチ区画はいつか奪われるでござろうよ! 神雷結界は張れる者がおらねば区画は消える。奪われる。これほどの規模と効力のある神雷結界を、永久に張り続けられる者など早々おらぬ!」
「今はな。だが、この先は違う。一人では無理でも、皆が揃えば出来る(、、、)。俺一人で意固地になっていては、守りきれなかっただろうよ」
「皆がだと? それはそれは気の長い話でござるな!」
「そうだとも、気の長い話だ。だが、その大事な時間を独楽が稼いでくれたのだ」
若利の目が真っ直ぐに天津を貫く。その目は恐れの一つも感じていない。ただ信念を貫こうとする者の目だ。
「有利であろうが、なかろうが、きみやリベルタ区画の提案を受け入れた時点でこの区画は失われる。この区画に生きる者達が、区画でなかった遠い昔から繋いできたものもすべて壊される」
よどまず、堂々と。若利の言葉は山のように揺らがない。
「伝統も、風習も、平穏も。そして当たり前の日々も、その全てを奪われる。――――俺にはそれが耐えられん」
「命より大事なものではなかろう!」
「俺はな、甘栗。イナカマチ区画の人々が、田植えをしたり、あぜ道に座っておにぎりを食べたり、祭りで酒を飲んだり騒いだり、そういう当たり前が当たり前としてある事を守りたいのだよ」
イナカマチ区画は穏やかで、のどかな区画だ。自然と共に生きるゆるやかな区画である。
だがそれはイナカマチ区画だからこそであり、そこに他区画が介入すれば意図も容易く失われるであろう、儚いものだ。当たり前の日常が、当たり前ではなくなる。
だから若利は頑としてリベルタ区画の提案を受け入れなかった。
「我らの暮らしや考えを尊重するという区画の申し出ならば考えた。だが少なくともリベルタ区画ではそうはならん確信がある。そして一度屈したら、俺一人では奴らに太刀打ちできん事も自覚している」
若利ははっきりと断言する。元々若利の神雷は直接的な戦いには向いていない。後方から支援するタイプの神雷なのだ。そして独楽や天津のように他者を圧倒できる程の力はない。
若利が出来るのは交渉する事だ。
交渉し、言葉を尽くし、イナカマチ区画の利を守る。それが若利の戦い方であり、武器だ。
だから若利は、最初からお互いの利の為に交渉をする気がなく、ただ押しつけるだけの相手の言葉に応じるつもりはなかった。
「甘栗、きみはどうなのだ?」
「…………某、は」
天津の動きが止まった。
「……某は……守るつもりで、明け渡したのか……?」
掠れる程に小さな声で天津は呟く。
その瞬間、天津の脳裏にぶわりと声が蘇った。
――――主様! あたし達は大丈夫ですから心配しないで下さい! なに、カザミ区画の人間は打たれ強いんです。いつか主様なら何とかしてくれるって、信じていますから!
聞こえて来たのはカザミ区画の者達の声だった。
天津は音が出るくらいに強く歯を噛みしめた。ぎり、と刀を握る手も強まる。
「其方に……其方に何が分かる! 神雷結界に守られただけの、ただ運の良い区画に生きてきた其方に、何がッ!」
天津が吼え、若利に向かって刀を振り上げる。
混乱、動揺、怒り、そして――――嘆き。その全てが混ざり合った悲痛な叫びだった。
「運ではないぞ、甘栗。この区画を守り続けたのは、祖母の神雷と――――この区画に住む者達の信頼だ!」
「戯言を!」
天津は怒鳴る。表情こそ違えど、若利には天津が泣いている様にも見えた。
天津は目を吊り上げ、神雷壁ごと若利を叩き斬ろうと、力任せに刀を振り下ろす。
正確には振り下ろし掛けたその時だ。
ヒュッ、と、風を切る音が聞こえ、天津の体が勢いよく庭へと吹き飛んだ。
「ぐ!?」
天津は庭に立つ木の幹に叩きつけられ、苦悶の声を漏らす。
その目の前に、ふわり、と白色の獣が舞い降りた。
若利を背に庇い、天津に対峙する大きな獣。
――――独楽である。
「運が良いって? 冗談じゃありませんよ。これだけ大きな結界を、何年も何年も張り続ける事がどれほどに大変な事で、どれほどに覚悟がいるか、知らないくせに」
獣の口から聞こえた少し低くなった独楽の声に、若利は驚いて目を丸くする。
だが直ぐに笑った。
「見事な毛並だな、独楽!」
「――――」
背中の向こうから聞こえてきた声に、独楽の体が強張った。そして僅かに声を震わせ、
「はい」
と、頷く。そんな主従の目の前で、天津が刀を杖代わりに、よろよろと立ち上がろうとする。
「独楽殿か……!」
「ええ、わたしですよっと」
独楽は天津が立ち上がるのを待つほど、お人良しではなかった。
地面を蹴ると、恐ろしい速度で天津に詰め寄り、その体に体当たりをする。そして地面に押し倒し四肢を抑えると、その手に持った刀を咥え、力尽くで引き剥がす。
天津も離すまいと必死ではあったが、片手であった事、四肢を押さえられている事、そして夏祭りの試合での疲労がまだ残っている事が災いして、刀を取り上げられてしまった。
独楽は咥えた天津の刀を池の中へと投げ捨てる。
ポチャン、と水を跳ね、刀は池の底へと沈んで行く。泳いでいた鯉が何事かと驚き、バシャンと水飛沫を上げた。
「某は……ッカザミ区画を取り戻すと、約束したのだ。なのに、こんな所で、しくじる、わけには……!」
天津は何とか抜け出そうともがくも、独楽の力と重さで動けずにいる。独楽はそれを見つめながら静かに口を開いた。
「だったら、もっと早く出来たでしょう、それ」
「何を」
「だって、そもそも要石を奪わなくても、区画主が倒れれば一時的に区画の所有権は宙に浮きますからね」
独楽の言う通り、何らかの原因で区画主が次の区画主を指定せずに命を落とし、区画の所有権が宙に浮けば、その区画は一時的に誰の物でもなくなる。
イナカマチ区画がイナカマチ区画であるのは、区画主がいて要石があり「ここはイナカマチ区画である」という明確な意志を持っている事が条件になる。その一つが欠ける事で、一時的にここはイナカマチ区画ではなくなるのだ。
その時の区画主が込めた神力が続いている内はまだ良い。だが要石に神力を込めなくなり、要石から神力が失われれば、だんだんと区画は崩壊を始める。
せめて要石に神力を込められる者がいればましにはなるが、イナカマチ区画には神雷を扱えるものはほとんどいない。それを攻め込んで来たリベルタ区画が知らないはずはなかった。
残された者たちが撮れる選択肢は区画と運命を共にするか、外の区画へ助けを求めるかだ。そして僅かでも区画が崩壊し始めれば、地形に合わせて張ってある神雷結界に綻びが生じ、神雷結界は意味を成さなくなる。
「神雷結界がなくなれば、リベルタ区画のような大区画がイナカマチ区画を制圧するなど容易い事でしょう。その後で要石を探せばいい。時間制限はありますけどね」
独楽の金色の目が天津を貫く。二度も向けられた同じ眼差しに、この主従は、と天津は心底思った。
「それを知らないとは言わせませんよ、カザミ区画の元区画主殿」
「……某が知っていたからとて、それが何だと言うのだ? どこにあるかも分からぬ要石を探すよりも、脅して手に入れた方が簡単だ。ただそれだけでござるよ」
「いいえ。ただ区画を奪うだけなら、わたしよりも若様を狙った方が手っ取り早いはずです。なのにあなたはそうしなかった。――――出来なかったんでしょう、甘栗さん」
すた、と若利が地面に足をつく音が聞こえた。若利は独楽の隣まで歩くと、天津を見下ろし、その言葉を引き継ぐ。
「ああ、そうだ。チャンスは幾らでもあっただろう。にも関わらず、きみが狙ったのは独楽だけだ。それがなぜかを考えれば大体検討がつく。それこそ神雷結界があるからだろう?」
若利の言葉に天津は答えない。
「イナカマチの神雷結界はボロボロだからな。正式に張り直さなければ、時間は掛かるだろうが消滅する。そして独楽がいなければ神雷結界を維持できるほどの神力を込められる者もいなくなる」
もともとイナカマチ区画の神雷結界は、独楽が成り行きで神雷を込めて保たせたに過ぎない。なのでその時に込めた独楽の神雷が尽きれば結界は消える。今現在イナカマチ区画に張られている神雷結界は若利の祖母である真頼が何年も前に張ったものだ。張られてから時間が経っているため、幾ら神雷を継ぎ足しても消耗は早い。正式に張り直す必要があるのだ。
そのためには一度結界を解かなければならないが、今のイナカマチ区画には神雷を扱える者が少なく、直ぐに行うには難しい事だった。
若利は一旦区切った言葉を続ける。
「きみは消滅までの時間を俺たちにもたらそうとしたのだろう? 結界が消えるまでの時間はあれば、その前に区画の者たちを逃がす事が出来る、とな」
そう言われ、天津はきつく目を閉じた。独楽の足を掴む天津の手から力が消え、ずるりと地面に落ちる。
「……そんな立派なものではござらんよ。ただこの区画が、カザミ区画にどこか似ておったからだ。某は、カザミ区画が壊される姿を……二度も見たくはなかっただけでござる」
天津の声はかすかに震えていた。
「だが、某の甘さで、もう二度とカザミ区画を取り戻す事は出来ん。某は……某は、カザミ区画の者達に、合わせる顔が無い……!」
嗚咽を堪えた様な声だった。天津の話を聞きながら、独楽はゆっくりと人の姿に戻る。そして天津の上からどくと、こう言った。
「そんな事はないんじゃないですかね」
「気休めを」
「いやいや、気休めではないですよ。だって、話を聞く限りでは、まだ色々とやりようがありますし」
「色々とやりようだと? これ以上、何が出来ると言うのだ! 某が出来る事など、もう……!」
食って掛かる天津に、独楽は繰り返す。
「だから、ありますって」
「何をだ!」
「わたしたちにちょいとお願いすれば良いのでは?」
「お願……い?」
天津が困惑を極めた顔で独楽を見る。何を言っているのかと頭の上に疑問符を浮かべる天津に、若利も言った。
「うむ、そうだとも。カザミ区画を取り戻したいのであろう? ならばきみが望めば手を貸すぞ? 何と言っても俺はきみの雇い主だからな。何より、俺もこれ以上リベルタ区画に煩わされるのは嫌なのでな」
独楽と若利は揃ってニッと笑う。天津の目がこれでもかというくらい大きく見開かれた。
「其方らは、某を……許すとでも言うのか?」
「許すも何も、きみはまだそういう意思表示もしておらんだろうが。超怖かったんだぞ」
「あ、うぐ、す、すまなかった……」
「うむ」
天津が頭を下げると若利は頷いて笑い、独楽はふふ、と微笑んだ。
「言われないと分からぬ事もあるからな。察するのはなかなか難しい」
「助けて欲しい時は言えって言われたの、分かっていたはずなのに言えませんでした。難しいですよね」
天津は泣きそうになった。
ああ。ああ、何だ。何なんだ、この主従は、本当に。
天津は体を起こすと、頭突きでもするような勢いで地面に額を擦りつけた。
「若様、独楽殿! 恥を承知でお頼み申す。どうか、どうか某にカザミ区画を取り戻す力を貸して欲しいでござる! 某を……助けて下され……!」
天津の声が響く。独楽と若利は声を揃え、
「まかせとけ!」
と、笑って言った。天津は泣き笑いの表情を浮かべて顔を上げた。
「さて、まずは作戦会議だな」
「ええ、わたしも本気を出しますよ。もう隠しません、全力でやらせていただきま……って、あいたたたたた」
ぐっと気合をいれた直後、独楽は脇腹を押さえて蹲った。
「む、どうした? 腹痛か?」
「いや、あの、脇腹っていうか骨が……おのれ甘栗さん!」
「す、すまぬでござる……!」
涙目で見上げる独楽に、天津は慌てて謝る。
気が付けば、そんな三人を照らしていた満月は空の彼方へと沈み、空は白み始めていた。




