第十四話「人の心を見透かすように、痛い所をついてくれる」
夏祭りが終わりの時間を迎え、騒ぎ疲れた人々が寝静まった頃。
空に登った月に雲がかかった暗闇の中で、独楽にあてがわれた部屋の障子戸が音も立てずにスウ、と開かれた。
逆光となって誰が入ってきたのかは分かり辛いが、夜の闇とは違う色を宿した黒い影の体格から見れば、間違いなく男であろう。
男はその手に、ギラリとした光を宿した刀を握りしめていた。
「…………」
息を顰め、男は部屋に敷かれた布団の位置を確認すると、足音を立てないように畳を踏んで歩く。
布団の中では独楽が寝息を立てていた。
男は真上から独楽を見下ろせる場所まで近づくと、その手の刀をゆっくりと盾に構える。
一瞬の間。
男は小さく息を吸った後、躊躇いなど一切感じられない力強さで、独楽に向かってその刀を振り下ろした。
――――だが。
だが刀身が独楽の体を切り裂くよりも早く、独楽はするりと横に回転し、その刃を綺麗に躱した。
「…………!」
男はぎょっと独楽の方へと顔を向ける。
独楽はニッと笑いかけると、いつの間にか手に持っていた錫杖を、シャンと鳴らして立ち上がった。
「いやはや、危ない危ない。あやうく真っ二つになるところでした。借り物の布団を血で染めるなんて洗濯が面倒な事をしたら、お小夜ちゃんに申し訳がない。……しかし、夏祭りの立ち回りといい今といい、一切合財、容赦がないですね。少しばかりは躊躇って欲しいものです」
肩をすくめ、おどけた調子で独楽は言う。余裕のあるその口ぶりに、刀を振るった男の方が動揺していた。
「其方、なぜ……」
「なぜ、というのは、食事に入れられた睡眠薬の事についてですかな? いやぁ生憎とわたしは鼻が良いんですよ」
独楽は自分の鼻を指差してニコリと笑う。
そして手を下ろして表情を戻すと、少しばかり寂しそうにその金色の右目を細めた。
「バケツプリン、大変楽しみにしていたんですよ。――――甘栗さん」
独楽の言葉と同時に月を隠していた雲が晴れた。顔を現す満月の強い光が、闇の中から男の姿を映し出す。
「…………それは、申し訳ない事をした。――――独楽殿」
刀を下ろし、呆然と立っていた男。
それはイナカマチ区画の居候、侍の天津栗之進、その人だった。
「独楽殿が獣人であったのが、誤算でござったな。いつから気が付いていたでござるか?」
表情こそ普段通りに見えど、未だその殺気は消えていない。隠そうともしないそれを受け、独楽は涼しい顔をしている。だが実のところ多少はヒヤリ、としていた。
目の前に立つだけで斬りつけられたと錯覚する程に鋭利な殺気。まさに本物。
独楽にとっては大分久しく受けたものだった。
「いやいや、最初は甘栗さんが神雷結果に挟まっている事が引っかかっていただけですよ。だって神雷結界は悪意や害意を持つ者を阻む神雷ですからね。ですから確信を得たのは――――本当に、つい先ほどです」
独楽は天津の言葉に軽く首を振って言うと、懐から金色の栞を一枚取り出した。
金属に近い材質で出来た栞に、精巧な鳥の模様が彫られている。鳥の目はビーズ程に小さなガラス――もとい、烏玉がはめ込まれていた。
これは夏祭りの時に信太が拾い、独楽へと見せたものだ。
栞を見た天津はハッとしたように懐に手を当て、それから「しまった」という顔をして肩をすくめた。
「さて、これに覚えはありますかな? ――――なんて、二度目ですけどね」
「ない、と言いたいところではあるが、うっかり手が動いてしまったでござるよ。……うむ、二度目でござるな」
「ふっふ。甘栗さんは嘘とか隠し事とか苦手でしょう」
「こちらも否定したいところではあるが――――一体なぜ、独楽殿がそれを持っているでござるか?」
「さっき信太が拾ったんですよ。夏祭りの試合の時に落としたのではないですか?」
「ああ……なるほど、不覚でござった」
合点がいったようで天津が苦笑して頷く。ああ、いつもの顔だと独楽は思った。
本当はこのまま刀を納めてくれるのが一番なのだが、そう言う訳にはいかないのだろう。
独楽は持っていた栞を天津に差出した。ほんの少し躊躇った天津だったが、手を伸ばして栞を受け取る。
その躊躇いは独楽へというよりは、その栞に対してのものであるように独楽には感じられた。
「最初は気付きませんでしたが、これはパオロが着ていた服の腕章と同じ紋様ですね」
独楽がそう言うと天津は力なく笑う。栞を見る天津の目には刀を構えた時のような力強さはなく、諦めの色が浮かんでいた。
「……はっはっは。ああ、そうだ。その栞はパオロから渡されたものでござる。――――リベルタ区画に仕える、という契約書のようなものでござるよ」
契約、と天津は言った。
天津とリベルタ区画との間にどんな理由や経緯があったかは独楽には分からない。だがその契約が対等なものでも、天津が望んだ事でもないのはその様子から十分に伺えた。
「今のこれはリベルタ区画からの命令であると」
「ああ。イナカマチ区画を奪え、とな。方法は某に一任されてはおったが。イナカマチ区画の神雷結界を張る事が出来る独楽殿をどうにかすれば、あとは時間が経つのを待つばかりだと思っていたのだが、なかなかどうして上手くいかぬ。そして思いのほか早くバレたものでござる」
天津は目を細め、視線を落とした。満月に照らされた畳の上には、雲の影が流れて行く。
「……祭りの時は、某は独楽殿を本気で殺すつもりで戦っておった。あの場なら勢いで独楽殿を斬り殺してとて自然な流れでござったからな。非難はされるであろうが、な」
「本当にかなり本気でしたよね、あれは。実際に死ぬかと思いましたよ。こちらも本気で行かないと太刀打ちできませんでした」
笑い事ではないのだが、事実、少しでも気を抜いていたら無事では済まなかっただろう。引き分けに出来たのは、天津の虚をつけた事が大きい。動揺も何もない状態の天津であったら勝負はどうなっていたか分からない。
独楽の言葉に天津はクッと笑った。
「――――いっそ、あの時に殺してくれていたら、良かったのでござるがな。其方は命の遣り取りに甘すぎる」
自嘲に頬を歪める天津に、独楽が言葉を詰まらせた。
「阿呆」
その時、唐突に天津の頭がスコンと扇子で叩かれる。
天津が振り返ると、そこには呆れ顔をした若利が立っていた。
「い、いつの間に背後に……」
「話に夢中になっていて気付かぬとは緊張感が足りんな。まるで俺が逢瀬の邪魔をしたのかと錯覚するではないか」
「どこにそんな甘酸っぱい要素があったのか是非とも教えて頂きたいのですがね。しかし、やりますね若様、足音がしませんでしたよ。わたしは匂いで気が付きましたけれど」
「はっはっは。さすがはうちの守り人だ。大事ないか?」
「照れますねぇ。ええ、布団以外は無傷です」
「大参事ではないか。きみたちは二人とも、あとで小夜にしこたま怒られるが良いぞ」
若利がからかう口調でそう言うと、独楽が頭を抱え、天津は戸惑う表情を浮かべる。
「……何を言っているのか分からぬが、某は今までと同じようにはいられぬでござるよ」
「なぜだ?」
「なぜって……」
さらりと首を傾げる若利に、天津はさらに戸惑いを深めた。
「選択肢は幾つもあるだろう? 何故ならきみは独楽以外には手を出しておらんのだからな。うちの区画の者には、きみから受けた被害はない。ならば止めるも裏切るも選び放題だろう?」
若利が提案するものには遂行する、というものは入っていなかった。実に若利らしい提案の仕方だと、独楽は小さく笑う。
「…………」
若利の言葉に天津は答えない。
「……選べない理由でも?」
独楽が重ねて問いかける。それでも天津は答えない――――答えられない。
若利の目に凪いだように静かな色が浮かぶ。
「甘栗よ、きみはリベルタ区画に奪われた何れかの区画の住人ではないか?」
「…………まったく、この主従は。人の心を見透かすように、痛い所をついてくれる」
深い息を吐いて、ようやく天津はそう言った。そうして諦めたように顔を上げると、答え始める。
「いかにも。某は現リベルタ第五区画の元になった区画……ちょうどここの隣でござるな。カザミ区画の元区画主、天津栗之進でござる」




