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第十二話「ナンデスカコレハ」


 障子紙の向こうから、月の光が差し込んで来る。

 まるで昼間のように明るいそれに、独楽はそろそろ満月であった事を思い出した。

 壁に寄りかかりながら、独楽は小さく、ため息を吐く。その吐息には、僅かに後悔の色が混ざっていた。


「思わず引きこもってしまいましたが、さて、この後どうしようか……」


 呟いて、部屋の隅に視線を送る。

 そこにはたくさんの紙の束が積み上げられていた。そのどれもに、びっしりと文字が描かれている。たまに挿絵のようなものも入っているが、書き手の技量の問題か、子供の落書きにしか見えなかった。

 その紙に書かれているのは、神雷についてである。神力の事、神雷の取り扱いの事、練習方法、独楽が神雷について知っている事のほぼ全てが、そこに書きこまれていた。

 独楽は、引きこもってからずっと、これを書いていたのだ。

 自分がいつ、イナカマチ区画(ここ)を出て行っても良いように。


 独楽は、獣人である事をバラした時に、イナカマチ区画を出て行く事を覚悟していた。

 理由の一つは、この世界では獣人に対する風当たりがとても強いという事。

 そして、もう一つは、独楽自身も、獣の姿になった時に、暴走をしない、と言い切れないからだ。

 誰かを傷つけるくらいならば、その前に出て行こう。独楽はそう思った。


――――という建前で。


 本当は、獣人である事を隠していた事、ああいった形で知られてしまった事が、何よりも大きな理由だった。


「信用をして下さいなんて良く言えたもんだ……」


 口からは自嘲気味な笑いが出る。

 信用をして欲しいと思った事に嘘はない。信用をして欲しかったし、信頼もして欲しかった。

 だが、独楽がそれ(、、)を得るためには、獣人である、という事が、一番の懸念だったのだ。

 だから獣人である事を独楽は隠した。信用してもらうための妨げになると考えた。

 だが。


(けれど結局、信用して欲しいといいながら、私が信用しようとしていなかったのか……)


 今までの経験が、独楽の口を閉ざした。

 その事を今になって自覚して、独楽は自分でショックを受けた。合わせる顔がないと思ったのだ。


「とにかく、あとは神雷結界の烏玉にめいっぱい神雷を込めれば、しばらくは問題と思いますが……ああ、でも、うーん。それまでに使えるようにならなかったらどうしよう。忍び込む……?」


 口の中に、胸の内に、じわりと苦い感情を振り払うように、独楽は心配事を口に出しては、一つ一つ対策を練り、潰していく。

 だがその度に、新しい心配事が生まれて、独楽は頭を抱えていた。

 そしてそんな心配事と同じくらいに、気がかりだったのは信太の事だった。


「信太は……ここにいた方が良い気がするんですが、納得してくれるかどうか……」


 信太は人語を話す獣、という事で多少珍しがられてはいたものの、区画の住人達からは可愛がられている。

 イナカマチ区画の住人達は基本的には穏やかだ。ずっと神雷結界に守られていたせいで少々平和ボケはしているものの、区画内の人々の繋がりは強く、良くも悪くもお人よしだ。取っ組み合いの喧嘩はあれど、他所の区画のようにやれ殺傷沙汰だ、やれ毒殺だ、などという物騒な事が起こる可能性は低いだろうと独楽は考える。

 それに何より、神雷結界さえ上手く機能していれば他所の区画からのちょっかいはなく、平穏に暮らせるはずだ。

 獣人である事で色々と厄介事に巻き込まれる独楽との旅に付き合うよりは、ここで暮らした方が飢えもせず、楽しく過ごせるだろう。


「……そう言えば、昼過ぎから信太の姿を見ていませんね」


 独楽は周りをきょろきょろと見回す。

 いつも一緒だったせいか、長い時間信太がいないと、独楽は少し落ち着かないらしく、ソワソワし始めた。


「探しに、というか謝りに……ああ、いや、若様達に見つかりたくないし……いや、でも……」


 独楽がぶつぶつと思案していると、ふいにどこからか良い香りが漂ってきた。

 くん、と本能的に独楽の鼻が動く。


「焼きそば?」


 そう、香ばしい焼きそばの匂いだ。

 その匂いで、独楽は今日が夏祭りであった事を思い出した。


「ああ、そうか。今日は夏祭りでしたか」


 納得して独楽は頷いた。そう、今日は夏祭りだった。

 独楽も信太も、久しぶりのお祭りをとても楽しみにしていたのだ。


「私が引きこもっているので、お小夜ちゃんか若様あたりが連れて行ってくれているかもしれませんね」


 信太がいない理由が浮かび、独楽は少しほっとした。

 そして直ぐに、少し目を伏せると、脇に置いてあった錫杖に手を伸ばした。


「夏祭り、夏祭りかぁ……」


 手に持った錫杖の烏玉に僅かに神力を込めれば、チカチカと輝き、まるで線香花火のようにほうっと光が灯る。

 その灯りが借りたままになっていた、真頼の浴衣を照らした。


「……行きたかったな」


 ぽつりと呟く。

 一夜の内に色々あって、色々やらかして、周りの反応が怖くて引きこもった。

 それは全て自業自得であると独楽も理解はしているが、それでもついつい言葉が口をついて出る。

 独楽は夏祭りを楽しみに、それはもう楽しみにしていたのだ。

 最後にお祭りに行ったのは、もう五年以上前の事である。目を閉じれば瞼の裏で、橙色に輝く出店の灯りが浮かぶようだ。

 独楽は唸って、項垂れた。


「あーあーあーあー、何かもう、何でこううじうじしてるんだか、阿呆かわたしは。……あと、お腹がすいた……」


 漂ってきた焼きそばの香りに、気が付けば焼きトウモロコシやイカ焼きに匂いまで混ざり始めた。

 三食抜いている独楽の空きっ腹に、クリティカルヒットある。

 独楽は腹を押さえて「うぐう」と呻いた。


「何でこんな所まで、こんなに良い匂いするんですかね……」


 夏祭りは広場で行われるため、近くに屋台はないはずなのに。

 風にでも乗って漂って来ているのだろうかと、独楽が空腹に耐えて考えていると、今度は障子戸の隙間から、何やら黒い煙がモクモクと隙間から部屋の中へ入って来るのが見えた。


「は――――」


 黒い。

 煙。

 独楽の表情が固まった。一瞬、真っ白になった頭に浮かんだのは、火事である。

 一大事だ。火事なら消さねば、そう思って立ち上がろうとした独楽の耳に、


「けほけほ」

「けむいですー」


 と、煙に咽る信太と小夜の声が聞こえた。

 その途端、独楽はザッと青ざめた。

 信太と小夜の身に危険が及んでいるのかもしれない。そう考えた途端、独楽の体は半ば無意識に立ち上がった。

 そして大慌てで ダーン! と障子戸を乱暴に開けて外へ飛び出し、二人の名を叫ぶ。


「信太、お小夜ちゃん!? 大丈夫です――――か?」


 飛び出て、独楽は目の前の光景に目が点になった。

 煙の出所はを目撃したからだ。


 もくもくとした煙を上げていたのは七輪だった。

 サンマを焼いている七輪だった。

 ついでにその近くには、年代を感じる鉄板の上で、焼きそばとイカとトウモロコシが焼かれている。

 何がどうなってこうなったのか独楽にはまるで理解が出来ないが、悪い想像など一瞬で吹き飛ぶような平和な光景がそこに広がっていた。


「ナンデスカコレハ」


 唖然として思わずカタコトになった独楽を見て、信太や若利に天津、小夜を始めたとしたイナカマチ区画の者が手を振った。


「お、出て来たぞ」

「独楽さまー」


 独楽は膝から崩れ落ちた。

 皆揃って、大変元気そうな様子である。

 やられた。

 両手をついて頭を垂れながら、独楽は嘆く。


「こんなベタな手に……!」

「ふふん、天岩戸作戦だ。古くからの知恵だぞ、どうだ侮れんだろう?」


 若利がカラカラ笑いながら、独楽の方へと近づく。

 その手に握られているのは焼き立てアツアツ、ホッカホカのイカ焼きだ。食欲をそそる香ばしいタレの匂いが、独楽の鼻腔をくすぐった。


「食うか? 美味いぞ、イカ焼き」

「大変美味しそうでございますがね……」


 食べたい事は食べたいが、それよりも、穴が合ったら入りたい。そんな心境で独楽が答えると、若利は独楽を見下ろしながら尋ねる。


「なぁ、独楽。俺たちはそれほどに信用がないか?」

「え?」


 独楽は思わず顔を上げ、聞き返した。

 若利の黒い目は真っ直ぐに独楽を見つめている。


「信用がないか?」

「いえ、そんな事は……」

「それならば、きみは何故、引きこもっている」

「それは……」


 独楽は何とも言えない表情で言葉を濁した。どう答えるのが良いのか迷っているのだ。

 だが若利は、独楽が答え(、、)を言う前に、続けた。


「きみが獣人だろうが、何だろうが、そんなものは些細な問題だ。それよりも、理由も言わずに引きこもったら心配するし、何より腹を空かしてひもじい思いをする方が、よほど問題だろう?」


 若利はニッと笑うと、手に持ったイカ焼きを独楽に差し出した。

 散々悩んできた問題を『些細な問題だ』と片付けられ、独楽は少しだけムッとしたように眉を顰めた。


「些細な問題ではありません。今のこの世界で、獣人は――――」

俺にとっては(、、、、、、)些細だ」


 僅かに怒気を滲ませた独楽の声に、若利は怯まない。引かない。

 そして『自分は』と繰り返した。


「困っていた俺たちを、きみは助けてくれた。それがすべてだ。それ以上でも以下でもあるか」


 若利はイカ焼きを差し出したまま、はっきりとそう言い切る。

 その言葉に、独楽は困ったように視線を彷徨わせた。


「…………そういう問題ではないんですよ」

「ではどういう問題だ?」

「わたしは獣の姿になった時、理性を飛ばさぬ自信がありません。若様たちを食い殺さない自信もありません。――――それを分かっていて、わたしは黙っていたのです」


 真頼に命を救われて以来、独楽は神雷について学んできた。使えるようになれば便利だと思ったし、真頼の役に立てると思ったからだ。

 けれど理由はそれだけではない。神雷が使えるようになれば獣人の姿を見せなくても良いと独楽は考えたのだ。

 本来獣人とは神雷とは真逆の存在だ。神雷のような摩訶不思議な自然現象を操る力ではなく、極めて物理的な在り方を得意とする種族なのである。

 そしてそれは獣の姿に近づけば近づくほどに本来の力を発揮する。


 獣人は獣の姿に近づけば身体能力は飛躍的に伸びる。だが獣人は継ぎ接ぎ世界との相性がすこぶる悪く、獣の姿に近づくほどに獣人達は理性を保つのが難しくなる。

 完全に獣化すれば、理性を飛ばさぬように常に気を張っていなければ、ふとした時に隣にいた者を食い殺すだろう。

 それ故にこの継ぎ接ぎ世界において、獣人は人々から疎まれていた。

 

 だから独楽は神雷を学んだ。神雷の力があれば獣人の力を見せる必要がない、そう思った。

 けれど実際にはそうそう上手くは行かなかった。独楽に向いていた神雷は守りのもので、攻める必要がある時には獣人の力に頼らざるを得ない時が度々あった。

 それでも他の区画でならば良かった。定住するつもりもなく、直ぐにいなくなる場所でならば、いくら疎まれても構わなかったのだ。


 だがイナカマチ区画は違う。もともと真頼に仕えたいがために独楽はイナカマチ区画へとやって来たが、それ以上に独楽はこの区画が、この区画に住む人々の事が好きになっていた。

 だから知られたくなかった。自分を恐れる眼差しを向けられたくなかった。


 好きになった人達に嫌われるのが、嫌で、嫌で――――たまらなく恐ろしかったのだ。


「――――俺たちは、独楽がそうならぬと信じておるよ」


 若利の言葉に、独楽は何だか泣きたくなってきた。建前でも、同情でも、欲しかった言葉だったからだ。

 素直にその言葉を信じられたら、きっと楽だろう。喉の奥にヒリヒリとした痛みを感じながら、独楽は力なく首を横に振る。


「………………それを裏切るのが、わたしは恐ろしいのです」


 独楽はそれを何度も経験している。信じて裏切られるよりも、信じられて裏切る事の方がよほど辛い事を独楽は知っている。

 だから口を閉ざした。正体を知られまいと秘匿した。結果的にはこうして自らバラす事になってしまったが、そういう事態にならなければ独楽はずっと黙っていただろう。

 そう言って項垂れる独楽に、若利は少しだけ肩をすくめてみせた。


「俺だって恐ろしいさ。――――俺の言葉が、イナカマチ区画の者達の人生を左右するかもしれぬことが、いつだって恐ろしい」


 若利の言葉に独楽は顔を上げた。真頼と同じ黒色の目が、ほんの少しだけ伏せられている。


「魔獣も神雷結界も、何もかも俺一人で対処出来ればと思うくらいには、恐ろしいさ」

「……若様」


 独楽だけではなく、その場にいたイナカマチ区画の住人達もそれぞれに小さく呟いた。

 そんな若利の足元では、信太がぴょんと跳ねて、


「信太はお化けが恐ろしいです」


 と言った。それを聞いて小夜や住人達も、


「わたしもお化け怖い……」

「わしは母ちゃんだなぁ」

「お前は飲みすぎて怒られるんじゃろうが」

「あたしは毒蛇ねぇ」

「お前がすでに毒蛇みたいじゃねぇか」

「何ですって!」


 などと、あれが怖い、これが怖い、と口にする。やがて「いやいや俺の方が」「何を言うのよ、あたしの方が」などと競い始める。

 流れで始まった怖い物合戦に、独楽はただただ目を丸くするばかりだ。その呆けた顔が面白かったのか、若利はくつくつと笑う。


「皆、恐ろしいものがあるだろう?」

「…………ですが」

「――――ああ、まどろっこしい」


 煮え切らない言葉を繰り返す独楽に、業を煮やしたの天津だった。


「独楽殿は少々、自意識が過剰なのではござるか?」


 天津は、フン、と鼻を鳴らして話に割り込む。心なしか顔が赤く見えた。


「某と勝負するでござるよ、独楽殿」

「しょ、勝負ですか?」

「某が勝てば独楽殿など恐れるに足らん! と皆にはっきりと分かるであろう? 独楽殿が勝てば、某が何でも好きな物を作ってやろう」

「はい!?」


 唐突に持ち出された勝負に、独楽が目を白黒させる。意味が分からない、と慌てる独楽だったが、


「ああ、それは良いな、許す」


 と若利が面白そうに頷いて承認してしまった。独楽はぎょっとして目を剥く。


「何が良いと!? っていうか、甘栗さん、ちょっと酔っぱらっていませんか!?」

「某はあんなちょびっとの酒くらいで酔っぱらったりなどせぬ!」

「え? さっき一升くらい開けてたような……」

「完全に酔っ払いじゃないですか!」


 明らかに『ちょびっと』ではない酒の量を聞いて独楽が頭を抱えた。若利は「まぁ祭りだからな」とカラカラ笑う。


「独楽の恐れの正体がそれ(、、)ならば、別に良い事ではないか。それに、きみが勝てば何でも食べ放題だぞ?」

「うぐう」


 若利の言葉に独楽は言葉に詰まる。そしてどう断ろうかと考えている内に、


「勝負です?」

「なら、村の広場が、ちょうど空いてるなぁ」

「ギャラリーいっぱいでござるな、やる気が出るでござる!」


 と、あれよあれよと場所まで確保されてしまった。外堀を埋められて独楽と方に暮れた顔になる。


「いや、あの、ちょっ、あれ? 何でこんな話に?」

「いいから」


 あたふたとする独楽の口に、若利はイカ焼きを躊躇なく突っ込んだ。


「あふい!」

「焼きたてだからな」


 涙目になる独楽の肩を、若利はポンと叩く。


「今日は祭りだ、めいっぱい楽しめ、独楽」


 そうしてニッと笑う。

 鬼がいると独楽は思った。

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