第十一話「…………説明に困ったです?」
その日は、真っ白な入道雲が浮かぶ空だった。
清々しい青と白のコントラストの下では、早朝から屋台や櫓などの立て直しが急ピッチで行われている。夏祭り用のものだ。
魔獣の襲撃があったため、日付をずらす事も考えられたが、せっかく色々準備したので予定通りに開催しよう、という話になったのだ。
幸いにも、区画の住人達には動くのに支障が出るほどの怪我人もいなかったので、その理由も大きいだろう。
(独楽のおかげだな)
そう思いながら、若利は独楽の部屋を見た。
独楽の部屋は、いつでも村の様子が見えるようにとの本人の希望で、屋敷の村側にある。だがその部屋の障子戸は閉じられたままで、中の様子は見えない。そして中から誰かが出てくる気配もなかった。
「若様、お祭りの準備、お昼過ぎには終わるそうです。皆、今夜は無礼講だぞーって、すごく楽しみにしてました」
「そうか、それは何よりだ」
村から戻って来た小夜の言葉に、若利はほっと表情を緩ませた。
準備が進んでいるという事ではなく、住人達の様子に対して安堵したのだ。
小夜が教えてくれた住人達の明るい様子は、もしかしたら強がりかもしれない。わざとそう振舞っているのかもしれない。
だがそれでも、暗い方へ、暗い方へと意識が向かっていない。その事が若利には嬉しかった。
「あの、若様。独楽さんは……」
小夜がおずおずとそう尋ねた。視線は独楽の部屋の方を向いている。
若利が首を横に振ると、小夜が肩を落とした。
「独楽さん、部屋から全然、出て来ないですね……。ご飯も食べていないみたいだし、大丈夫かなぁ……」
「まぁ、水さえ飲んでいれば、一食、二食抜いた程度では何ともならんだろうが」
「もうお昼過ぎですから、三食抜いています」
三食と言えば、丸一日分だ。若利は腕を組んで唸った。
実は独楽は、広場の一件から、食事も取らずにずっと部屋に閉じこもってしまっている。
小夜が心配して、いつでも食べられるようにと、おにぎりや稲荷寿司を部屋の前に置いてはいるものの、全くの手つかずの状態だった。
もちろん持って行った時に声もかけたのだが、それでも反応はない。
「あの大食らいが丸一日食べない、となれば、中で倒れていそうな気も……」
「え!? ど、どうしよう若様!?」
小夜がサーッと青ざめる。
そんな時、独楽の部屋の障子戸が、スー、と開いた。
若利と小夜がハッとしてそちらを向く。独楽が出て来るかと期待していたが、部屋の中から出て来たのは、子ぎつねの信太だった。
「信太ちゃん?」
心なしかしょんぼりとした様子の信太に、小夜は声をかける。信太は若利達の方を向くと、とてとてと近づいてきた。
「若さまー、小夜さまー」
二人の前まで来ると、信太は耳をへにょんと下げて二人を見上げる。
若利は信太の頭を撫でてやりながら聞いた。
「信太、独楽の様子はどうだった?」
「独楽さま、信太がお外へ行きましょうって言ったら、お布団をかぶって『嫌です、私は引きこもるんです』って言ってました」
「子供かあいつは。……しかし、存外元気そうだな」
まだまだ元気そうな様子に、若利は少しだけほっとした。それは小夜も同じようで、そわそわとした様子で独楽の事を聞く。
「信太ちゃん、信太ちゃん。独楽さん、昨日の夜からご飯食べていないから、お腹すいてない?」
「独楽さま、はらへりです。お腹の虫が鳴いているのを、信太はしかと聞きました」
「腹の虫は正直だな」
「…………でも」
信太は視線を落とす。
「……なぁ、信太。独楽は一体何を気にしているんだ?」
「独楽さまは、獣人って事を、若さま達に知られた事を、気にしているのですー」
信太が言っているのは、昨晩、魔獣との戦いの時に独楽が見せた姿の事だ。
あまり話したくない話題なのか、信太の声はいつもより小さい。
獣人はこの継ぎ接ぎ世界で厄介者扱いをされている。その事を、信太も理解しているからだろう。
けれど、そんな不安げな信太の様子とは裏腹に、若利と小夜は「へー」と、普段通りの様子で頷いた。
「ほうほう、なるほど、あれが獣人か。うちの区画にはおらんから、初めて見たなぁ」
「元の世界にもいませんでしたよね。漫画の世界だけだと思っていましたー」
「うむうむ、わしもだ」
きゃいきゃいと何やら楽しそうに話している。若利と小夜の様子は「知らない事を知った時の喜び」に良く似ていた。
信太は意外な反応の二人に「あれ?」と首を傾げた。二人がどうしてこうも楽しそうなのか分からなかったのだ。
信太が予想していたのは、嫌悪感や、畏怖感に包まれた様子だ。だが、二人の反応は、それとはまるで違うのだ。
そしてそれは、信太がその目で何度も見て来たどの反応とも違っていた。
二人は怖がらない。怯えない。むしろ好意的なものさえ感じられる。
それはこの場しのぎの偽ったものではなく、本心で、である。
信太は他者の感情には敏感な方だ。だからこそ、よほど上手に隠されない限りは、相手がどう思っているのか分かってしまう。
だが不思議な事に、若利と小夜からは、そう言った感情が感じられなかった。
ただ知って、納得しただけ。本当にそれだけだ。
信太にはそれが何故なのか分からなかった。不思議だった。
もしかしたら、自分の言い方が悪くて、上手く伝わっていないのだろうか。そう思った信太は、もう一度、同じ事を言ってみた。
「獣人です」
「うむ、獣人なのだな」
「モフモフなんですね!」
そして返って来た反応は、やはり先程と何一つ変わらないものだった。
「今度、ぜひモフらせて貰いたいものだ」
「フサフサしてましたもんね」
「セクハラです?」
「どこで覚えたのだ、その言葉」
ワクワクと話す二人に、信太はいよいよ困惑した。
「若さま達は、獣人って知らないです?」
「話には聞いた事はあるが」
「…………説明に困ったです?」
自分が考えていた前提と違ってしまい、信太は説明に困ってしまった。
信太が何を言っても、二人にすれば「それがどうした」と言わんばかりである。
何と話せば良いだろう。信太がそう考えていると、
「獣人というのは、人と獣の性質を両方併せ持つ種族の事でござるよ」
と、若利達の背後から、信太の説明を補足する声が聞こえた。
振り向けば、そこには見回りから戻って来た天津が立っている。
「おお、甘栗。見回りが終わったか、すまんな。助かる」
「甘栗さん、おかえりなさい」
「ただいま戻ったでござる」
天津は若利達の所へ近づくと、腕を組んだ。
「それで、どうしたでござるか?」
「ああ、独楽が、ちとな」
「ああ……まだ引きこもっておるのか……」
そう言われて、天津は独楽の部屋の方を見る。相変わらずの閉じた障子に、むう、と目を細めた。
「甘栗は獣人について知っておるのか?」
「ええ。と言っても、某が知っているのも一般的なものでござるがな」
「一般的とは?」
「獣人は、この継ぎ接ぎ世界で疎まれている、という事実でござるよ」
天津が肩をすくめて答えると、若利と小夜が揃って目を瞬いた。
「ど、どうして、ですか?」
「さてな。始まりが何であったのかは某は知らぬ。だが、最も多く話されるのが、獣人が獣の姿に近づくにつれて理性を失い、暴れるようになるという事。そして、魔獣は獣人ではないか、という話があるくらいでござる」
「魔獣はもともと獣人なのか?」
「魔獣の云々は、まだはっきりとは解明されておらんが、そういう説があると某は聞いた」
真面目な顔で言う天津に、若利と小夜は顔を合わせて、
「へー」
「そうかぁー」
と、普段通りの調子で、納得したように頷いた。
変化のない二人に、天津は目を丸くする。
「……他所の区画では割と顕著なのだが、若様たちは結界に守らていたからか、反応が薄いでござるなぁ」
信太と同じような事を思って言う天津に、若利は苦笑する。
「イナカマチは現状は半ば鎖国のようなものだからなぁ。まぁ、何より、独楽はそんな風にはならんだろう」
「うん、独楽さんはならないよね」
「そうそう」
「随分と信用しているのでござるな」
「当り前だ。あいつは助けを求めた相手を、二つ返事で助けてくれるようなお人好しだぞ。なぁ、小夜」
「はい!」
理由としては有りは有りだが、呑気なものだ。
そう思いながら天津は顎に手を当てる。
「もし、独楽殿が理性を失って、暴れたかもしれぬと言っても?」
「独楽さまが暴れたのは、小夜さまくらい小さな時だけです」
天津の言葉に、今度は信太がぴん、と尻尾を立てて言い返した。
こればっかりは黙っていられなかったのだろう。
三人分の視線を受けながら、信太は話を続ける。
「信太は、まだ独楽さまに出会って、ちょっとです。でも、暴れた事はそれだけだと、独楽さまは言っていました」
「嘘や誤魔化しかもしれぬぞ?」
「独楽さまは、そういう嘘はつかないです」
信太はふるふると首を振って否定する。
そして真っ直ぐに若利たちを見上げた。
「独楽さまが獣人の姿を見せるのは、誰かを助けようとした時だけです。……でも。でも、信じて貰えないです。いつもいつも、獣人だって知られると、人は独楽さまに石を投げます」
「……え?」
「何度も、何度も、出て行けって、追い出されました。武器を向けられて、追いかけられた事も、ありました」
信太の口から聞かされた話に、若利と小夜は同時に言葉を失くした。
そんな事が実際に起こっていたのか、という顔である。
イナカマチ区画は穏やかな区画だ。喧嘩や言い争いはあっても、そこまで物騒な出来事は起きた事が無い。
だから若利と小夜には、信太の話は衝撃的だった。
天津だけは、その状況が分かっていたようで、それほど驚きはない。ただ目を伏せるだけだった。
「でも独楽さまは、助けを求められたら、助けます。恩人がそうしてくれたからって、自分もそうするんだって」
信太は少しだけ耳と尻尾をへにょっと垂らした。
「……信太も、追いかけられた事が、あります。痛かったです。怖かったです。でも、それを助けてくれたのは、独楽さまです」
「信太、きみは、もしや……」
若利が何か言うよりも早く、信太は顔を上げる。そして若利の目を見た。
真っ直ぐな眼差しが、若利を射抜く。
「若さま」
「うん?」
「独楽さまと、信太は、ここにいても良いですか?」
信太がそう言った時、不意に、若利の頭の中で先日の独楽の言葉が蘇った。
――――別に背負っちゃいないんですけどね。結構ここ好きですし。
思わず背筋が伸びた。
あれはもしかしたら「ここにいたい」と思っての言葉だったのではなかろうか。
若利はハッとして目を見開く。そしてよろり、と手を上げて口を覆った。
(あの時、俺は独楽に、何と言った)
そう考えた途端に、心臓がドクリ、と強く鳴った。
思い出して若利は目を閉じる。
「……言わねば、分からんだろうが」
懺悔のようにそう言うと、若利は目を開けた。
そして自分を見上げる信太を両手で持ち上げる。
信太は抵抗せず、ゆらゆらと体を揺らしてされるがままだ。けれどその目だけは、ずっと若利を見つめている。
若利の答えを待つように。
そんな信太に、若利はニッと笑って見せた。
「もちろんだとも」
若利が笑うと、信太は嬉しそうに尻尾を揺らした。
「独楽さま、喜びますー」
「だと、嬉しいがな」
若利はもう一度、独楽の部屋の方を見た。
そうして少し考えた後で、ふと、何か悪戯を思いついたような笑顔になる。
「若様?」
「うむ、良い手を思いついたぞ」
「良い手です?」
「うむ、良い手だ」
信太は持ち上げられたまま、前足を器用に動かして、パチパチと拍手をする。
「どんな手でござるか?」
「先人の知恵を拝借、だな。――――天岩戸作戦だ」
若利は信太を頭の上に乗せると、ニヤリと笑ってそう言った。




