第九話「信頼を繋ぐってのは、結構大変なもんです」
東雲の商人が訪れてから二日の、夏祭りの前日。
朝の早い時間から独楽達は、村の広場で夏祭りの準備を手伝っていた。
会場の整備に屋台の設置、機材の運搬と力仕事をメインに、並行して周辺の見回りも行っているため、大忙しである。
中でも大活躍なのは天津だった。
「わー! 甘栗さん、上手!」
小夜の歓声が上がる。
天津は会場の整備以外に、掃除や洗濯、料理に子守りまで、一通り何でもさらっとこなしてしまうのだ。破れかけた法被や垂れ幕なども、あっという間に直してしまうものだから、人々からは祭りに関係のないものまで頼まれてしまっている。だが、天津は嫌な顔一つせず、それを請け負っていた。独楽にはむしろ、天津が楽しんでいるように見えた。にこにことした笑顔で縫い物をしている天津の表情が、独楽には印象的だった。
裁縫だけではなく、天津は料理の腕も素晴らしかった。昨晩は、小夜の代わりに天津が優勝を作ったのだが、この材料をどのようにすればこんな量ができるのだ、というくらいにたくさんの料理(しかも美味しい)が食卓に並んだ。独楽と若利は競うようにおかわりをしては、小夜に呆れられていたものだ。
美味しかった、実に満腹だった。小夜の料理も美味しいが、天津の料理もまた違うベクトルで美味しい。
それ自体は有難い事だし、素晴らしい事だ。
だが、しかし。
本日、そんな天津のスペックの高さを改めて目の当たりにした独楽は、
「何かこう、敗北感を感じる……」
などと呟いて、一人落ち込んでいた。
独楽もそれなりに家事云々は出来る方だが、基本的に器用貧乏なタイプに分類される。抜きん出て素晴らしいというものではないが、平均的にそれなりにこなせるという方なのだ。こと神雷や種族的な身体能力に関するもの以外は、突出した技能はない。
もちろん独楽もそれを不満に思った事はない。だが、それでも、僅かな違いとは言え後輩である天津に、颯爽と距離をつけられた事に、独楽は地味にショックを受けていた。
「わたしって心狭い……」
「何を落ち込んでおるか分からぬが、独楽殿には神雷があるでござろう? あれは某では使えぬでござるよ」
天津は笑ってフォローを入れる。独楽が「ぐぬぬ」と唸っていると、ふと天津の足元に、騒がしさにつられて出て来たのか、ネズミがチョロチョロと現れた。食事が良いのか、なかなか毛並みの良いネズミである。
「おや、ネズミ」
「ヒィ!」
見つけた独楽がそう言うと、天津は悲鳴を上げて小夜の背中に隠れた。そして青い顔でぶるぶると震えている。恰幅の良い男が急に怯えだすものだから、独楽達はぎょっと目を丸くした。
「甘栗さん?」
「甘栗、女の子の背に隠れるとはみっともないぞ」
そう若利は言うが、天津は首をぶんぶんと振って、
「某、ネズミと犬は大の苦手でござるぅぅぅ!」
などと情けない声を上げた。
ネズミがチョロチョロと動く度に悲鳴を上げているところを見ると、天津の言う通り相当に苦手意識があるらしい。
天津が慌てふためいていると、不意にパサリ、と彼の懐から何かが落ちた。それは風に吹かれてふわり、と独楽の足元まで跳んでくる。
独楽が拾上げてみると、それは金色の栞だった。鳥の細工が施された、非常に凝ったデザインをしている。とても美しい代物だが、洋風のデザインで、和を体現したかのような天津が持っているにしては、少しイメージから離れていた。
「…………うん?」
眺めていると、その栞に、少し違和感を感じて独楽は首を傾げた。どこかで見た気がしたのだ。だが、どこで見たのかは思い出せない。
独楽は「どこだっけ」などと考えながら、栞を天津に差し出した。
「甘栗さん、これ、落としましたよ」
「うむ? おお、これはかたじけない」
天津は小夜の後ろから顔を出すと、独楽から栞を受け取って、サッと懐に戻した。
「ネズミさんはあちらですー」
そんなやり取りをしていると、信太がネズミを追い払っていた。ひと仕事を終え、えへん、と胸を張る信太に、天津は救世主でも現れたかのような眼差しを向け、拝む。
「た、助かったでござる……信太殿は! 信太殿は某の救い主でござる!」
「信太はヌシになれるです?」
こてり、と首を傾げて信太は言う。恐らく池の主とか、そちらの類の事を想像しているのだろうな、と独楽は思った。
若利がくつくつ笑った。
「しかし、きみは強いのかヘタレなのかよく分からんな」
「それがいわゆる『ぎゃっぷ萌え』という奴でござるよ」
天津がキリッとした顔で、そんな事を言い出した。
ぎゃっぷ萌え。
その意味が通じたのは独楽と若利だけだ。独楽が半眼になり、若利は肩をすくめる。
「いきなりえらい事を言い出しましたよ、若様」
「そんな言葉を、一体どこで学んだのか聞きたいところではあるが」
二人の反応は冷ややかであった。天津は二人からの何とも言えない眼差しを受けて肩を落とし、
「しょっぱいでござる……」
と項垂れる。
そんな天津をかわいそうに思ったのか、彼の周りに小夜や、小夜と同じくらいの子供たちが集まって、口々に彼を励まし始めた。
「甘栗さん、元気出してー」
「ぎゃっぷ萌えが何なのか分からないけど、ファイトー!」
「ヘタレでも大丈夫だよー」
だんだんと励ましているのか、塩を塗り込んでいるのか分からない感じになってきたが、子供たちの声に天津は元気を取り戻した。しょんぼりしていた顔が笑顔に変わる。
「よーし! 某、頑張っちゃうぞー!」
「がんばれー!」
「がんばれー!」
腕を振り回し、より一層やる気を出した天津に、子供たちは声援を送る。
機嫌を直した天津は、ふんふんと鼻歌を歌いながら作業を開始した。その後ろを子供達もついていく。つられて、小夜や信太もついて行った。
まるで親鳥と雛鳥のようである。
「甘栗さん、子守りとか得意そうですね」
その様子を少し羨ましく思いながら独楽が言うと、若利も笑って頷いた。
「そうだな。……ああ、そう言えば独楽」
「何でしょう?」
「きみは作業の方は一段落したのか?」
「はい。手が空いたので、どこか手伝いに行こうと思っていたところです」
「そうか。それなら、少し付き合ってくれ」
そう言うと、若利は独楽に手招きして歩き出す。何だろうな、と思いながら、独楽もそれに続いた。
向かったのは若利の屋敷だった。若利は独楽に「少し待っていてくれ」と言うと、屋敷の中へと入っていた。
独楽は縁側に腰掛けると、ふう、と息を吐いて空を見上げた。
茜色だった空の端から、少しずつ夜の色が混ざり始めている。昼と夜が交わる時間帯――――いわゆる逢魔時、という奴だ。
この逢魔時には不思議な事が起こると言われている。だが残念ながら、独楽は今までそういったものに遭遇した事はなかった。
そもそも自分自身がそういう存在であったからだ。
「…………」
独楽は獣人である。獣人というものは、この継ぎ接ぎ世界において不安定な存在だった。
獣人はその言葉の通り、人と獣が混ざり合った存在である。獣の姿も取れるし、人の姿も取れるし、その二つを合わせた姿も取る事が出来る。
この世界へ連れて来られる前は、独楽は獣人であっても、ごくごく普通に生活をしていた。
だが世界が変わってからは、その「普通」が酷く遠い存在となってしまっていた。
継ぎ接ぎ世界での獣人は、獣の姿に近づくにつれて、理性のコントロールが難しくなっている。
人と獣が一つの体に入っているどっちつかずの状態が、継ぎ接ぎ世界の不安定さに影響を受けた、とも言われている。
もちろん独楽が元の世界にいた頃も、完全に獣の姿になれば、そちらの本能が大きくなる事はあった。だがそれでも今よりもずっとコントロールが出来たのだ。
だが、この継ぎ接ぎ世界になってから、長く獣の姿を取れば、理性をコントロールできるか自信はない。
理性のタガを外し、ただの獣になってしまえば、行く着く先は魔獣と変わらない。
そうなって誰かを襲ってしまうかもしれない事を、独楽や獣人達は恐れていた。
「…………神雷も便利なような、厄介なような」
言いながら、独楽は前髪で隠した左目を手で押さえた。
独楽の左目は見えない。独楽はかつて、妹を守ろうとして獣の姿を取った事があった。その時に理性を失い、暴れた際に負った傷で、左目が潰れたのだ。
人も、家屋も、作物も傷つけ、壊した。我に返った時、自分を見る人々の目には、畏怖の感情が浮かんでいた。
獣人が厄介者扱いされる理由を、独楽は左目を失った時に身を持って理解したのだ。
「何だかんだで言えず仕舞いですけれど、最初から話していたら違っていたんですかねぇ……。いっそ最初から獣だったらよかったのに」
独楽はぽつりと呟いた。
このイナカマチ区画で過ごした数日間で、独楽は「ここならば獣人であっても受け入れてくれるかもしれない」という淡い期待を抱いた。
けれど独楽は、最初の選択で『正体を隠す』という事を選んでしまっていた。獣人であるとバレると、決まって追い払われるからである。
だからこそ、独楽はイナカマチ区画だけではなく、ずっとそうして獣人である事を隠し続けていた。
だが、隠し事はバレるものだ。独楽は獣人である事を知られ『裏切り者』と罵られた事を思い出す。
そして若利やイナカマチ区画の人々に、それを言われた事を想像して「言われたら立ち直れないかも」と思った。
独楽はイナカマチ区画の人々に恐れられる事が怖かった。笑顔の裏に怯えや嫌悪が混ざるのがたまらなく怖かったのだ。
だからこそ、人である天津を羨ましく思った。
それを自覚して、独楽は目を伏せる。
「…………あれは、きつかった、からなぁ」
「何がきついのだ?」
独楽が呟いた瞬間、突然頭の上から若利の声がした。
「うわあ!?」
独楽はぎょっとして、思わず大声を上げた。若利は驚く独楽の様子に満足そうに頷く。
「うむ、良い驚きっぷりだな。俺も脅かし力が高まって来たというものだ」
「脅かし力って何ですか。あー、くそー、やーらーれーたー……」
「はっはっは」
独楽が悔しげに若利を見上げると、彼はカラカラと笑いながら隣に座った。
明るいその笑顔を見て独楽はため息を吐くと、聞き辛そうに尋ねる。
「…………あの、若様」
「何だ?」
「聞いていました?」
「何がだ?」
バツの悪そうな顔で言う独楽に、若利は首を傾げる。その様子に、聞こえていなかったのかと独楽がほっとした次の瞬間、
「しかし、お前が獣になりたかったとは意外だ」
などと、若利は言った。
「ほとんど全部聞いてるじゃないですか!」
独楽が頭を抱えながら呻く。そんな独楽に向かって、若利は桃の缶ジュースを差し出した。
「きみが何故頭を抱えているのか良く分からんが、とりあえずこれを飲め。好きだろう?」
「……ありがとうございます」
独楽は何とも言えない複雑な表情で缶ジュースを受け取る。
桃のジュース自体は普通に嬉しいのだが、独楽の頭の中は独り言を聞かれた事で動揺していた。
「……若様は、その、犬、好きですか」
「む? うむ、好きだぞ。猫も好きだがな、狐も、狸も、打ち解けてしまえば良い遊び相手だとも」
「おや、動物がお好きなんですね」
「うむ! 好きは好きだが、他に友達もいなかったからな」
帰って来た言葉に独楽は思わず「え?」と聞き返した。
「またまた、若様なら友達とか多いでしょう?」
「はっはっは。そうでもないぞ。……俺は小さい頃から、変なものが見えたせいで、友達はおらんかった」
「変なもの、ですか?」
「ああ。幽霊とか、妖怪とか、まぁそんな類の存在だ。一つ目の男の子とか、首が伸びる女の人とか」
「それはまたバラエティ豊かですねぇ」
独楽が言うと、若利は楽しそうに笑って空を見上げる。
「うむ。そういったものが見えたのでな、同じ年代の子供達に気味悪がられてしまって、距離を取られてしまった。それで、まぁ、俺も意地になってしまって、一人で遊ぶことが多かったのだよ」
異質なものに対する恐怖心、というものだ。
独楽は若利の話を聞きながら、そう言った感情は案外どこの世界でもあるのだな、と思った。
「世界がこうなってから、妖や幽霊の類はとんと見なくなってしまったが。……どうせなるなら、もっと早くにそうなって欲しかったよ」
そう言って若利は目を伏せる。
その言葉に、独楽の頭の中にふと、かつて聞いた真頼の言葉が蘇った。
――――ああ。寂しがり屋で、意地っ張りな子でねぇ。あたしに似ちまって、変なものが見えるせいで、友達が一人もいないんだ。
「若様……」
独楽が気遣わしげな視線を向けると、若利はハッとして笑う。
「まぁ、妖怪も幽霊も、よく一緒に遊んではくれたのだがな! ……だが、時々思ってしまうのだ。もっと早くにこうなっていたら、また違っていたのか、ともな」
「それでも若様、区画の人達に、とても信頼されているではないですか」
「それは祖母の信頼が、そのまま俺に繋がっているだけさ」
「それでも、それをちゃんと繋げているのは、若様が頑張っているからですよ」
独楽がそう言うと、若利は少しだけ首を傾げた。
あまり自覚がないのだろうか、と思いながら独楽は続ける。
「信頼を繋ぐってのは、結構大変なもんです。なんせ信頼を失くすのなんて、一瞬ですから」
かつて投げつけられた「裏切り者」という言葉が頭の中に響く。
独楽としては、裏切ったつもりなどなかったのだ。だって、最初から獣人だと分かっていれば、受け入れてはくれなかったのだから。だから黙るしかないじゃないか。
言い訳になってしまうが、独楽はそう思っていた。けれど結果的にはそれが「裏切った」事になっていたのだろう。
そう思って、独楽は自分が若利たちを裏切っているのかもしれないという気持ちが浮かんできて、じり、と心臓を締め付けた。
「……そうか」
若利は嬉しそうに表情を緩めた。
「励ましてくれるという事は、あれか。つまり、俺ときみは友達だと言う事か」
「え?」
意外な事を言われて独楽は目を瞬く。そしてすぐに顔をかいて、何だか照れくさそうに笑った。
「主従で友達ってまた複雑な」
「昼ドラのようにか?」
「昼ドラって何ですか?」
「元の世界の昼時に放送されていた、人間関係がドロドロのテレビドラマだ」
「えぇ……そんなドロドロの人間関係はちょっと……」
「はっはっは」
ひとしきり笑うと「ああ、そうだ」と、若利は座っている後ろから、何かを持ち上げた。
そしてそれを、ひょいと独楽に手渡す。
見れば、それは金魚の絵柄が美しい、藍色の浴衣だった。
「これは?」
「ああ、祖母が若い頃に着ていた浴衣だ。持ってはおらん、と言っただろう? せっかくの夏祭りなのだから、きみも楽しめ」
若利の笑顔に、独楽は思わず言葉に詰まった。
何と言ったら良いか分からなかったのだ。
「どうした?」
「いえ、その。……盆と正月が一緒に来たようで」
先ほどまで感じていた鬱々としたものが消え、ふっと軽くなる。
自分でも驚くほどに現金だ、と思いながら独楽は浴衣に指を這わせた。
「……お借りします。ありがとうございます」
「いやいや」
独楽が例を言うと、若利は満足そうに笑った。そしてふと、体を捩って、部屋の中にある壁掛け時計を見上げる。
「そろそろ良い時間だな。戻って皆に休むように言わねば」
「ああ、そうですね。大分時間が経って……ん?」
頷いた独楽が村の方を見る。
その時、不意に村を彩る提灯の灯りが、不自然に揺れた気がした。
「どうした?」
「いえ、提灯が……」
独楽が立ち上がり、目を凝らした時、
「独楽さまー!」
と、少し焦ったような信太の声が聞こえた。
声の方を向けば信太が独楽たちに向かって走って来るのが見える。
普段ののんびりとした声色ではない。独楽はスッと顔を引き締めると駆け寄って、ぜいぜいと息をきらせる信太の前に膝をついた。
「信太、どうしました?」
「村に、魔獣が、出たです!」
呼吸の合間に途切れ途切れに答える信太の言葉に、独楽と若利がザッと顔色を変えた。




