異世界で朝食を
「おはようございます、クレナ様」
昨夜、パンを食べさせてくれた侍女たちが、わらわらと部屋に入ってきた。
(あれ? 制服が……)
昨日とはデザインが違う?
メイドさんたちの服装はいわゆるヴィクトリア朝風? 袖が膨らんでスカートもボリュームがあるし、ヘッドドレスと揃いのエプロンもレースのついた可愛いものだ。
愛読していたメイド漫画の、生真面目なハウスメイドスタイルに似ているかなと思う。
本格的なメイドさんと違うのは、黒いワンピースのスカートや袖に、果物とか花とか鳥なんかがびっしり描き込まれた派手な裏地がついていること。
袖を捲ったり、動き回ったりすると、極彩色の模様がちらちらと見えて、いかにも楽しげだ。
どうやら彼女たちが着ている制服は、仕事のためのお仕着せではなくて、楽しみのために毎日着替えているらしい。感覚としてはコスプレに近いだろう。
――かわいい。ああいう格好、東京でも流行りそう。
今朝の私は気分が落ち着いていて、しっかりと彼女らの服装チェックができた。
それというのも、実は私は二時間ほど前から起きていて、精神集中が終わっていたからだ。
あちこち抜けていたけれど、なんとか今日これからの様子を夢に見て、私は頭の中を整理していた。
先読みができた。
これまで、どう扱っていいか困っていた能力を、こんなにありがたいと思ったことはない。
(鉄仮面の騎士――個性的、ってか、キャラが強すぎる!)
腐臭を放つとか、腐っているとか、どこでそんな演出をしたのだろうか?
あれも一種のコスプレかもしれない。
夢の中で彼は兜を脱いだ。
その顔は……。
「クレナ様、朝のお仕度をどんどん進めないと、あっという間にお昼になってしまいます」
ベッドサイドのテーブルにフルーツジュースやチーズ、茶色いパンが並べられて、私の思考は、はっと途切れた。
そうだった。今日、私は生贄に差し出される。夕方には鉄仮面の騎士が現れるために昼食を挟んで念入りにめかし込むのだ。服のサイズが合わなくて、何度も試着と仮縫いを繰り返したことも思い出した。
「おはよう。お化粧はあとでいいとして朝ごはんを頂いたら仮縫いをしないと、お城のお針子さんたちが、てんてこまいになるものね」
昨日のうちに教えてもらったトイレで用を済ませると、洗面台に立ち、水道の水を使って顔を洗う。
トイレは、朝の光の中で見るとおそろしく繊細だった。細い鉄細工をくるくると巻いた背もたれに蔦が絡んでいて、緑のグラデーションの塗装がされている。
お尻を乗せる部分はバイオリンの曲線を思わせる形になっていて、壁面のジャングルのような葉の模様の中には、細かな花柄が手描きされていて、立体感がある。水洗ということは下水道があるのだろう、綺麗なうえに清潔だ。
お尻を拭く紙も柔らかなものが用意されていて、歴史で習ったヨーロッパの中世の様子よりかなり進歩している。本当かどうかわからないけど、中世ヨーロッパではお風呂には入らない、トイレはない、お尻なんて拭かないから体臭を香水でごまかしてたって!
衛生観念がこてこて女子高生の私には、臭いのも汚いのもカンベンなのだけど、今のところ私の置かれた環境は、こざっぱりとしていて変な匂いなんてしない。女の子たちからは石鹸のいい匂いまでする。
埃ひとつないトイレの個室で、ぐるりと内装を見回して、私は心を落ち着けるように努力した。
――怖がっちゃだめ、旅行に来たと思って異文化を受け入れなくっちゃ。
黙々と顔を洗い、きちんと椅子に座って「いただきます」と手を合わせると、メイドのひとりが紅茶を差し出してくれた。
「ありがとう。あったかいミルクティー嬉しいな」
こくっと飲んでみると、渋みが少なくて飲みやすい。茶色いパンをちぎって食べてみると、自然食にこだわりのあるベーカリーにありそうな、全粒粉パンの味わいがした。
「うん、おいしい」
チーズを乗せたり、ジャムをつけたりで素朴なパンを味わっていると、お腹がいっぱいになってしまった。
「食べすぎちゃった。ごめんね、お菓子はまたあとで食べます。十時のお茶の時がいいな」
「え? あ……わかりました」
(いけない、先走っちゃった)
夢の中で、メイドたちが「生菓子じゃなくて悪いけれど」と、クッキーをおずおずと差し出してくれたことを思い出したのだ。これから生贄で差し出される娘の最後の食事が、あまりに質素で彼女たちは同情してくれている。
まだ出してもいないお菓子を辞退されたにもかかわらず、じゃあ果物は? いちごジュースは? と聞いてくれる。
(優しくて、いい人たちだなぁ)
ふいに目頭が熱くなる。
この優しいメイドたちとも、今日でさよならだ。
ここでもたもたすると、夕方のパーティーの前にお針子さんたちがパニックになる。
「次の休憩でいただきます。さーて、衣装合わせをやっちゃいましょう!」
お皿とカトラリーを片付けやすいようにまとめると、私は「うーん」と伸びをした。
つられて片付けを始めたメイドのひとりが、はっとして私を見る。
「はい? なに?」
胸元のボタンを自分で外しながら首をかしげると、彼女は隣にいる同僚のメイドと目を合わせてから頷いた。
「ごめんなさい、えっと、あの……、怖くないんですか?」
皿を下げる手が、カタカタと震えている。
(そうか、鉄仮面の騎士!)
腐った魔物が鉄の衣装で攫いに来るなんて、怖い、そりゃ怖いよねっ。
「怖いっていったら怖いんだけど、もっと恐ろしいアレッサンドラ様の洗礼を受けたから、逆に平気かなぁ」
ボタンホールが小さくて、貝ボタンがなかなか外れない私のもとにぞろぞろと入室してきたお針子たちが駆け寄ると手伝ってくれる。
「すみません……もしかしたら私たちのうちの誰かが、生贄にされるのかもって怯えていたんです。クレナ様は、勇気がありますね」
器用そうな彼女の手もわずかに震えていた。よっぽど鉄仮面の騎士が怖いのだろう。
「だいじょーぶ、大丈夫。連れて行かれるっていっても話せばわかるって」
まったくもって説得力のない請け負いをすると、メイドとお針子たちが暗い顔で目を逸らす。
(わぁ、同情されてるー)