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バス事故のてんまつ

 実は、これまでも小さな事件はたびたび回避させてきた。


 クラスで財布の盗難騒ぎが起きる夢を見て、朝のホームルームで貴重品保管庫の提案をすると、とりあえず教室内では事件は起きず、数日たって教室のリフォームで出入りしていた工務店の見習いが窃盗犯で捕まったことをテレビのニュースで知った。


 体育祭で大量の熱中症が発生する夢で飛び起きた日は、放送委員のテントに熱中症対策のパンフレットを差し出して、しつこいほど水分補給のアナウンスをさせた。


 最初は取り合ってくれなかった放送委員も、ひとりふたりと熱中症の生徒が出ると、慌ててパンフレットを読み上げてくれた。


 夢で見た被害よりも、ずっと小さく事態は収拾したわけだ。


 よく、決まった未来を変えちゃいけないってタイムトラベル系の映画や小説では言うけれど、大きな不幸が起きそうになるのを目の前にして、動かずにはいられないのだ。


 ということで、私は運転士さんに声をかけた。


「具合い、悪いですよね。顔色が真っ青」


 大丈夫ですか? って聞いたら大丈夫ですって返事が来るに決まっている。私も人前で聞かれたらそう言う。でも、明らかに体調が悪いことを指摘されたら、そして自分でも限界だと感じていたら、違うとは言いにくいはずだ。


 私に声をかけられたとたんに、緊張の糸が切れたのか彼はハンドルの上でがっくりと身を伏せた。夢で見た姿と同じだけれど、今は走行中じゃない。


 近くにいたOLさんが、うわずった声で救急車を呼び、乗り込み途中だった男の人がバスの中に貼ってある営業所の電話番号を探して緊急事態を告げてくれた。


「運転手さんの搬出の邪魔になるから、バスから下りましょう」


 私の声かけに、一連の様子を見ていた何人かの人が、こそこそと耳元で話している。

 そりゃそうだよね、これじゃ私が声かけて倒れたみたいだもん。


 きっと、こういうことが中世のヨーロッパで噂になったら私は魔女裁判にかけられて火あぶりに処せられていたかも。怖い、怖い、ぞっとする。


 一方、難を逃れた私たちは無事に目的地に着くことができた。


 夢の中のテレビで観たニュースでは、運転士さんは脳梗塞だったらしく、私を含めたOLさんや、会社員さんも大怪我をしていた。


 いま、私の目の前で繰り広げられる現実世界では、救急車に乗り込んでいく運転士さんは意識を取り戻していたみたいだし、それこそ最小限の被害で済んだ。


「よかったぁ」


 家路につきながら、私はほっとしていた。

 さすがにこれだけの大事故には、対処できないかもと緊張していたのだ。


「あとは……?」


 今日のこれからを思い出す。

 おばあちゃんがお味噌汁に入れるお豆腐を買い忘れて残念がっていたのと、私がお風呂掃除をしていたら洗剤が切れてしまっていてお掃除が不十分だった件が浮かんできた。


 バス事故に比べたら、ささやかな日常だけど、これも回避したい。


「買って帰ろっと」


 いつもより帰宅時間は遅くなったが、仕方ない。

 私はお豆腐とお風呂洗い洗剤を買うべく、スーパーに寄って、帰宅後は渡したお豆腐でおばあちゃんを喜ばせ、急いでお風呂掃除と入浴を済ませたら夕食づくりを手伝って、家族での食事の席でやっとバスの話をした。



 ***



「あらぁ、危ないわぁ。そういうときはパパかママも一緒に行くわよ」


 このあと夜の部のお稽古があるママは綺麗な着物姿のまま食卓について、口を「ぽ」という形に開けて煮物を運ぶとすぐに唇を結んだ。優雅で品のある所作はさすが華道の家元だと見とれてしまう。


 その横で、うっとりという面持ちでパパがママを見ている。


「ママには危ないから、僕が行くよ」


 正確な発音の日本語だけど、パパの顔立ちは鼻がすっと高くて、目元の彫りが深い。娘のひいき目じゃなくてもハンサムで、ものすごく優しい。


 ドイツ出身だと言っているけれど、パパは謎の人だ。父方の祖父母に会ったこともないし、兄弟や親せきがいるなんて話も聞いたことがない。私の不思議な力は、きっとパパ譲りに違いないとひそかに思っている。


 ふと、パパがテーブルの下に目をやった。


「スピカ、散歩に行ったばかりだから足袋に触ったらいけないよ。ママはこれからお稽古だ」


 我が家のペットである白いマルチーズのスピカは、私よりもご長寿なのに、今も子犬みたいに元気だ。パパがドイツから連れてきたというから、いったいいくつなのかしら?


「ありがとう、アンディ。替えたばっかりの足袋なの」

「そうだろう。白は神聖な色だからね」


 ふたりは見つめ合ってほほ笑む。あぁ、お熱い。

 黒目がちで、小さな口と真っ黒な髪のママに惚れ込んで、大恋愛の末にパパは日本に定住したと聞いている。


 私は、そっとおばあちゃんを見た。


(いつも、仲いいよね?)


 いたずらっぽい視線を送ると、おばあちゃんも口元を緩ませ、ウィンクした。

 おばあちゃんとママは、お教室に出るための和装で、パパにとって女性ふたりの着物姿はたまらないそうだ。私ときたらいつでも寝られるように、ふわもこ部屋着のままの食事で、申し訳ないったらない。


「紅菜は怖い思いはしなかったかい」


 パパが眉根を寄せて聞いてくれた。先読みを他の人に悟られちゃいけないといつも言われている。知られたら、私が酷い目に遭うって……。


「ううん、平気。先読みができるのも助かることがあるよ」


 危なく魔女扱いされそうになったことは黙っていた。

 もしかしたらパパも酷い目に遭ってドイツから日本に来たのかもしれない。私に話してくれないのなら、それは悲しい出来事だったにちがいない。そんなパパに中世の暗い話を連想させるよりは、楽しいことだけ聞いて欲しい。


「そうだ! 私、大学の推薦は決定だって。もう学校の補修も受けることなくなるから、おうちの手伝いを本格的に始めようかなぁ」


「外の大学を受けなくていいの?」


 ママが小首をかしげた。


 私の通う高校には、推薦を貰いながら他校を受験できる生徒に優しいシステムがあるのだ。


「ううん、大学は行くけど、私の将来の夢はお花の先生だもの」


 そう言うとママとおばあちゃんが嬉しそうにうなずく。


「紅菜ちゃんが手伝ってくれるなら安心だわ」


 小さなころからお花を習っていて、私も師範のお免状を持っている。

 家での仕事ができるなら、急に眠くなっても安心だ。漠然と私はこのまま家の仕事を継ぐのだろうなぁと思っているし、それで不満はない。ちょっと……外の世界を見てみたいとは思うけど、私には無謀すぎる。


(眠い……眠い……)


 部屋に戻るとどっと疲れが押し寄せて、ベッドにもぐりこんだところで眠ってしまった。廊下で行き倒れる寸前、ぎりぎりセーフ!


 そして目が覚めた時に最初に見たのが、いくつもの鋭い視線だったのだ。


 お話は最初に戻ります。お付き合いありがとう。


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