魔王の要塞ダンバーハート城
「ただいま、アルマン。こちらはクレナ、俺の大切な人だ。こっちの世界には不慣れだから気を遣って欲しい。クレナ、アルマンはこの城の家令だから、なんでも彼に聞くといいよ」
「……あの、水島紅菜です。よろしくお願いします」
――カレイ? なにそれ?
どうしたらいいかわからず、日本流に、ぺこりと頭を下げた。
「初めましてクレナ様。わたくしは、この家の使用人を取りまとめております。どうぞお見知りおきを」
ロビンハルトはイブの世話をするために孤児院から連れられてきたと聞いていたけれど、使用人は充分にいるようだ。
アルマンという家令が、上から下までじろりと私を見る。
――こわいー。
皺の刻まれた眉間や、への字の口元がいかにも偏屈そうだ。
「ところで、お二人はアレッサンドラ様をお連れ帰りになるご予定では?」
顎を上げた彼の表情は威圧的で、なぜアレッサンドラがここにいないのだと責めていると同時に私の存在を不審に思っているのがありありとわかった。
「アルマン、そんな意地悪な顔をしないでくれ。アレッサンドラはちゃんと帰ってくるよ。クレナがいれば大丈夫だ」
「……意地悪などと、まったくロビンハルト様にかかったら私もひひじい扱いですな」
「ひひじじいなんかじゃないよ。俺を育ててくれた優しい人だ。会いたかったよ」
「おやおや、嬉しいことを言ってくれますね」
とたんにアルマンが、デレっとした顔をした。
――ロビンハルトの魅力にこの人もメロメロだわ。
8歳でこの城に引き取られたと聞いているから、イブや他の使用人とともにロビンハルトの面倒を見てきたのはこのアルマンなのだろうけれど、いかにも気難しそうなこの男の心を、がっしりつかんでいるのがおかしいぐらいに伝わってくる。
「イブは部屋にいるの?」
城のロビーに入り、周囲を見回しながらロビンハルトが聞くと、アルマンがうなずいた。
「いらっしゃいますとも。それよりロビンハルト様、鎧の扱いをもっと丁寧にお願いします」
宿屋に置きっぱなしにしてしまったと思っていた甲冑一式が、ホールの壁に設置されて磨き込まれている。
「ああ、アルマンが引き取ってくれたんだ。五層に置いてきちゃってごめんね」
ロビンハルトが申し訳なさそうな声を出した。
魔道を使って品物を移動させる魔法はアルマンも使えるようだ。
「この甲冑はアルマンが揃えてくれたんだ。いいデザインだろう?」
大事にしなきゃね、とあっけないほどの素直さで謝ったロビンハルトに、アルマンが、満足げな微笑みを浮かべた。
「え、ええ、とてもかっこいいわ」
――これは……オジサマたちに可愛がられるはずだわ。
私と二人っきりの時のロビンハルトは、頼りがいのある立派な青年だが、初老の家令の前だとまるでおじいちゃんっ子だし、イブに至っては自慢の我が子のようにロビンハルトの美貌と清らかな心を褒めていた。
***
「イブ、ただいま!」
アルマンに先導されて通されたイブの部屋は、その佇まいがいかにもイブ・フォン・ダンバーハートそのものだった。
黒い御影石の床に白い壁、よく見ると壁には彫刻がされているのだが、照明の当て方で陰影が変わる。
調度品はつるんと装飾の無いものばかりだが、四角い箱のようなソファやサイドテーブルは、細部までこだわった工程で製作されたものだろうと一目でわかる。
「おかえりロビン」
全身黒づくめの服装をした大魔王イブは、つかつかと歩み寄ってロビンハルトを抱きしめた。
「クレナ、よく来たね」
続いて私に向き合ったイブが、魅力的な微笑みをたたえて手を取ると、恭しく手の甲にキスをした。彼の身体から立ち上る白檀の香りに、森で遭遇した日を思い出す。
それとともにイブがロビンハルトにかけた魔法をすぐにでも解いてしまうのでは? と胸が切なく締め付けられ、私は言葉が出ない。
「イブ、遅くなってごめん。それから、アレッサンドラが一緒じゃなくってごめんなさい」
素直にロビンハルトが謝った。
並んで立つとロビンハルトの方が、イブよりもわずかに背が高い。
「お前の運命の人に出会えてよかったじゃないか」
さも可愛くてたまらないというように、イブがロビンハルトの肩を抱いた。
――しらじらしい。
ふたりのやりとりをじっと見ている私に、ロビンハルトの肩越しにイブがにやりと笑ってみせた。
――なに、あの笑顔。
そっとロビンハルトの横顔を盗み見ると、イブに会えてよっぽど嬉しいのか、真っ白い歯が口もとからこぼれる全開の笑顔だ。八歳のころからの師匠といえば、父親も同然なのかもしれない。
イブは私たちの胸に下げられた揃いのネックレスに目を止めた。
「ずいぶん可愛らしいことをしているじゃないか? クレナがロビンと結婚してふたりで暮らしたいなら、新しい城を作ってプレゼントするぞ」
溺愛する息子を甘やかす父親みたいな顔で、イブがロビンハルトの肩を抱いたまま、私に顔を向けた。今のロビンハルトの状態は自分でかけた魔法だと知っていていうのだから、この人は質が悪い。
「イブ、残念ながらクレナは俺の顔を好きになってくれているわけじゃない。このネックレスは魔法の練習で作ったものだ」
「は?」
部屋の隅に控えていたアルマンが、よほど驚いたのか大声を出して、慌てて口元を押さえた。白手袋の両手で顔半分が隠れて、目が見開かれている。
「失礼しました。ロビンハルト様の姿を見たら、一瞬で恋に落ちるのが当たり前だと思い込んでおりましたので、びっくりしてしまいまして」
ゆっくりと手を下ろしたアルマンが、しどろもどろで言った。
「そうだな」
イブも、にっと口の端を上げる。
「ロビンハルトの片思いか? こりゃ面白い」
「いえ、そんなことは!」
私も好きなんですと大声で主張したいが、年上の男性二人を前にして口を閉ざす。
――からかわないで欲しい。片思いとか、そんなんじゃないのに!
もとはと言えば、この人がロビンハルトに妙な魔法をかけて私に夢中にさせているだけ。
本当の彼は、私を含めて特に女性に興味を持っているでもない、真面目に修行中の十八歳の男の子だ。
「ロビンハルト、これからの相談をしましょう」
半分イブへと向けた言葉だ。
「ああ、そうだ。イブ、クレナが復縁の良作を考えてくれている。話を聞いてくれないか?」
「復縁の良作?」
イブが片眉を上げた。
「ほうぅ、奥で聞こう。アルマン、飲み物を持ってきてくれ」
促されて、広いリビングコーナーに作られた応接セットのような場所に案内された。
黒い大理石の床は、その部分だけ真っ白に貼られて、四角いシンプルな革のソファが据えられている。
ガラスの脚がついているのかと思ったコーヒーテーブルは、空中に天板が浮かんでいるだけだった。
――超シンプル、アレッサンドラのお城とは正反対だわ。
ほどなくアルマンが、ガラスのティーカップと銀のポットを運んできた。
「ダンバーハートティーでございます」
注がれた熱い飲み物は、ショコラのように黒くてぎょっとする。
「君のお好みのままに」
イブが甘い声で私に言うと、ガラス越しに見える液体がミルクティーの色になった。
「紅茶派か、なるほどアレッサンドラと同じだ」
そういうイブの手に持たれたカップには、コーヒーの琥珀色が見えて、ロビンハルトは漆黒のショコラを
「甘くて美味しい」と言いながらも、飲んでいる。
「ダンバーハートティーっていうのは、それぞれの好みに合わせてくれる飲み物ってことですか?」
私の好きなダージリンの香りに、気持ちを落ち着かせながら聞く。
「もちろんだ。いわゆるおもてなしだな」
得意そうにイブが言い、カップから顔を上げたロビンハルトがにっこりと笑う。
「うん、旨い」
「ロビンはブランデー入りのショコラだな」
「俺の大好物だ」
親しげな会話を交わす二人は、本当の親子のようだ。
「で、クレナの秘策を聞いてみようか?」
精悍な顔立ちのイブに、言ってみろとばかりに見つめられて、鼓動が早くなる。
私に大人のカップルの仲違いをまとめることなんて、できるのだろうか?
「まず、アレッサンドラのお城の印象ですけど……イブはどう思っているのかしら?」
「うん、あれは酷いだろう? ごてごての悪趣味だ。ダンバーハート城もアレッサンドラはあの城と同じように飾り立てようとしたから止めたんだ。怒って出て行ったけどな」
「それです!」
私は、腰を上げて身を乗り出した。
「女の子としては、あれはあれで成立しているんです。おもしろいし綺麗だわ」
「むむっ?」
イブがとんでもなく苦い顔をした。
「ここに来る途中で、アレッサンドラが私から取り上げたパジャマにデザインを加えたものが売っていました。大人気でした。この国の女の子にはアレッサンドラのセンスが受け入れられているんです」
「……」
あの竹下通りのような店で買ったふわもこの服を広げて見せると、イブの眉間にしわが寄ってますます厳しい顔になる。
「これは? こういう服をアレッサンドラが着ていたのか?」
「そういえば着ていたような」
私を連れ出したときに確かにアレッサンドラは着ていたのだが、ロビンハルトは私ばかりを見ていて覚えてもいない。
「とってもお似合いだったの」
「だろうな、きっと可愛いだろう。見たいものだ」
ロビンハルトが、カップをソーサーの上に戻した。
「イブ、素直だね」
「ああ、ここ十年の特訓の成果だな」
――特訓? 私は首を傾げた。イブはアレッサンドラの帰りを何もせずに待っていたわけじゃないの?
「ロビンハルトの恐ろしいほどの素直さは、クレナも近くにいて知ったことだろう」
またしてもイブが私の頭の中の疑問を読み解いた。
にこにこと話を聞いているロビンハルトをちらりと見てから私は頷いた。
綺麗な心は女性を虜にし、まっすぐな怒りは男性の醜い心に羞恥心を根付かせた。
「8歳でロビンがこの城に来てから、私は変わったんだ。いつもロビンがいることで自分と向き合うことができる」
ああ、なるほどと納得する。
ロビンハルトがここにいることで、イブの心はアレッサンドラを十分に受け入れられるぐらいに広くなっているということだ。
――それなら二人が再びともに暮らしても安心だわ。
そこで私は別な質問をすることにした。
「父のアンドレアスと、預言の娘マルグリットの関係を教えてもらえますか?」
私が質問をしたその時、聞き覚えのあるエレクトリックサウンドが空気を揺らし城の外に使用人が出て行く足音が響いた。
「来客のようです。見て参りましょう」
アルマンがドアを開けたと、同時に派手な登場をした客人が姿を現した。
「あなたは!」




