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ロビンハルト、怒る!

「クレナから離れろっ」


 頭の上から声がした。

 振り仰ぐと、ロビンハルトが窓から身を乗り出していた。

 金髪が太陽光に輝き、肩の上で子犬のままのエトワールが翼を懸命に動かして飛んでいる。


「あれはっ?」


 プールポワンの男が腰を抜かした。


「なんたる美しさ!」


 甲冑を纏わないロビンハルトから圧倒的な美の、強い力が降り注いでくる。

 ロビンハルトの緑色の瞳の中に散らばる紅玉ルビーの輝き。

いつもは柔らかな眼光が、憎しみをこめて男たちを睨みつけているさまに私はおののいた。


 ――音楽が聴こえる。


 美の波動とともに狂騒曲の前兆のような不穏な空気が立ち込める。

 バイオリンの弓が、ロビンハルトの背後で一斉に引き下ろされた。


「お前たち、許さない」


 空がいきなり真っ暗になり、雷鳴が轟く。

 天上から幾百あまたの女性たちが、声を合わせて怒りを歌い上げる。

 ティンパニの強打、フォルテッシモの歌声。

 地鳴りのような小太鼓が鳴り響き、その合間にピッコロの甲高く小刻みな音色が緊張感を高める。


「う……」


 誰も声を出すことができない。

 強い風が吹き始めて、音楽とともにつむじ風が巻き起こる。

 神話の神々がトランペットやホルンをうならせる吹奏の音色。

 神よりも悪魔を信仰するこの村の人間は、こんな場面で十字を切ることもできない。

 雷光が轟き、宿屋の玄関に立っていた巨木に落ちると倒れた木が干し肉をなぎ倒し、酒瓶が粉々に砕け散る。いやな臭いの肉と、酸っぱいぶどう酒の匂いが一面に広がった。

 馬たちが一斉に暴れ出して、外れぬ手綱に転倒する。


「た、助けてくれえええぇ」


 腰を抜かしていた男が這いずりながら細い声を上げ、立ちつくす男たちはゆっくりと首を動かして逃げ場を探す。だが、誰一人として視線をロビンハルトから逸らすことができずにいた。


「ロビンハルト!」


 赤いコートを風に巻きあげられながら、私は二階へ向けて手を伸ばした。

 彼の美しさが憎悪を表現すると、恐ろしい作用が起きる。


 ――いけない、あぶないわ。


 美という魔法をかけられているロビンハルトの容貌は、見る人を熱狂的な恋愛感情に陥れる。ところがいま、すべての鎧を取り外した彼が、怒りと憎しみを解き放った姿をここに見せ、魔力は変わった。

 男たちは神々しいまでに美しい彼から、虫けらを見るような目を向けられ、震えあがる。

 ――あの美しい男に嫌われている。

 普段なら、そんな繊細さなど持ち合わせていないはずの五層の男たち。

 だが、ロビンハルトの眼力が、エデンのリンゴのように男たちに羞恥心を植え付けていく。


「クレナ」


 窓枠を蹴って飛び降りたロビンハルトが、吹き荒れる風の中にいる私の前に着地した。


「うぉおおおおっ、見ないで、見ないでくださいいいっ」


 足が地面にぴったりと張り付いてしまった男たちが、甲高い声を上げた。恐怖に見開かれた目はそれでもロビンハルトの美貌から視線を外せない。

 がくがくと膝を折った男たちは、全員が地面に這いつくばってロビンハルトの視線から身を隠している。


「行こう、クレナ。やっぱり五層は嫌いだ」

「ええ、ロビンハルト」


 縮み上がっていた私の心臓は、やっとまともに拍を打つようになった。

 私と目を合わせたことで、怒りに赤みを増していたロビンハルトの瞳がクールダウンし、背中を引き寄せて身体を抱きしめてくれる。


「怖い思いをさせて済まなかった」

「いいえ、私こそロビンハルトにこんな戦い方をさせて……」


 ごめんなさいと続けようとした言葉が詰まって声が出ない。


「俺の気持ちを何もかも理解してくれるのはクレナだけだ」


 頬の涙にくちづけて、ロビンハルトは私をフランソワに乗せる。

 最後に恐る恐る見た男たちは、なんの疑いもなく持っていた欲望やプライドを粉々に砕かれて臆面もなく泣きわめいていた。

 ロビンハルトが手綱を引くと、フランソワが前脚を上げて早駆けの予感に興奮する。


「あんな力を使って……眠っていないのに」


 不安を口にした私に「もう十分だ」ロビンハルトがささやき、ハァッと声をかけてフランソワが出発した。

 


  ***

 


「これって、どうやって登るの?」


 馬も人も拒むような垂直の壁の上に、ダンバーハート城はある。

 遠くから見たら黒い影が見えたのに、近づくと見えないのだ。


「飛ぶかな? なぁ、フランソワ」


 百馬力の馬が、優しい目でロビンハルトに振り返って頭を上下に動かした。

 ロビンハルトを休ませようとしたフランソワは、思わぬ結果になったことをしきりに気にしていた。


『ごめんなさい、ロビンハルト様』


 謝るフランソワの首をロビンハルトが優しく撫でる。


「クレナとフランソワが危ない目に遭ってくれた数分、やつらの魔法とはいえぐっすり眠った。おかげで俺は元気だ。この崖はフランソワに任せるよ」


 黒目がうるうるとして睫毛の長いフランソワの目は、ロビンハルトからの信頼に喜び、輝いていた。


 ――女性だけじゃなくって、馬にまでモテるなんて!


 怒りを爆発させたロビンハルトは、恐ろしい力を持った男だったけれど、馬や犬、そして私に対しては果てしなく甘い。

 エトワールを私の膝に座らせて、前かがみの姿勢を丁寧に取らせてから、崖登りが始まった。


「ようし、行くぞ。クレナ、脚でくらを挟んで。しっかりつかまっているんだよ」


 数歩、断崖からあと退ると、勢いをつけて壁面を駆けあがる。


「え? えええっ?」


 がくんとのけ反って背中がロビンハルトにぶつかったと思ったら、いきなり重力から解放されて馬ごと宙に浮く。私は必死でエトワールを胸に抱いた。


「きゃああっ!」


 遊園地の絶叫型コースターの逆バージョン。

 超高速の上昇だ。

 内臓がまだ地上にあるのに、体が持ち上げられる。


 ――酔いそう!


 ぐらぐらする頭をなんとか上に向けてお城を見ると、あっと言う間に目の前に近づいている。


(この方法でアレッサンドラの城から移動させられたら、きっと身が持たないわ)


 三分ほどの恐怖体験ののちに、フランソワのひづめがトンと城の外にあるお堀の脇についた。

 ダンバーハート城は、断崖絶壁に建っているだけでなく、城の周りをぐるりと堀で囲んだ要塞でもあった。


 ――さすがイブ・フォン・ダンバーハート大魔王。


 城壁の上に垣間見える城の佇まいもシックで、黒大理石を潤沢に使った黒い城は西日を受けて半面をオレンジ色に影の部分を真っ黒にと、異様な姿を見せていた。


 ――とうとう来たんだわ。


「ふうううっ」


 思わず息を吐くと、ロビンハルトが私に顔を近づけた。

毎日見ている顔なのに心臓が飛び出しそうになる。


 ――慣れないっ、綺麗すぎる。


「お疲れ様、瞬間移動や垂直移動は身体にこたえるだろう? 城に入ったら休ませてもらおう。俺の部屋は森と同じだ、でも壁も屋根もあるよ」

「ええ、ありがとう」


 にっこり笑うロビンハルトの気遣いがとても嬉しい。お城の中にあるロビンハルトの部屋がいったいどういう構造なのか楽しみだ。

 百馬力のフランソワが、ゆったりとした足どりで城の正面に立つと、城から架け橋が下りてきて迎え入れてくれる。

 湛えた水もオレンジ色に染まる美しい景色を楽しみながら、お堀の内側に入ると、今度は城壁の門が開く。


「わぁ、素晴らしいお城ね!」


 全体像を見て私は思わず声を上げ、ロビンハルトに振り返った。


「そうだろう。イブは趣味がいい」


 正方形を連続したモチーフにしたお城は、クラシックとモダンが融合したデザインながら尖塔を建てることでエレガントな印象を与えている。

 きっとものすごく手が込んでいるだろうに、さりげなさを感じさせるところがイブの雰囲気とマッチする。


 ――アレッサンドラの城とは正反対だわ。


 さっきロビンハルトがぴかぴか光る金貨を出していたところを見ると、イブもロビンハルトもこの国の通貨を使って、この城を建てたのだろう。

 アッサムランサー国は、魔族で潤う国というところだろう。

 高校の授業で習った経済のしくみを頭の中で巡らせているうちに、城から体格の良い使用人が出てきてロビンハルトに挨拶をするとフランソワの手綱を引き取っていく。


「森に数日いたから、マッサージをしてやってくれ」


 ロビンハルトが馬番に声をかけると「かしこまりました」と頬を染めた彼から丁寧な返事がある。アレッサンドラの城は女性ばかりだったのに、こちらは男性の姿しか見当たらない。


「おかえりなさいませ、ロビンハルト様」


 ジャケットに口ひげで、ひときわきちんとした姿の初老の男が数十人もの男性使用人を連れて出迎えにきた。



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