ふわもこパジャマと異世界の素晴らしきトイレ事情
この人ってたぶん、私と同じ年ぐらい……十八か、もしかしたら年下?
クラスのレイカちゃんもこういう威圧的なしゃべり方をする――「この服なに?」って、彼女も常に私の持ち物に興味津々で……。
――レイカちゃん……怖かったけど、もう会えないのかぁ。
後ろから襟を引っ張ってレーベルタグを見られるの、地味に嫌だった。
言ってくれたら、お店のこととか服のこととかおしゃべりのネタはあったのに、見るだけ見て次の日には同じ服を着てきていた。その思考回路が理解できない。
――ま、レイカちゃんだけじゃなかったけど。
子供モデルだった水島紅菜。
背も目も大きくて、ハーフ顔。
それが同級生の私への認識だ。
高校は私服なので、女子のファッション感覚は鋭く、私の細長い身体つきで着る服に彼女たちの目がらんらんと光って、どこの服なのか、どう組み合わせているのか探ってくる。
東京のサブカル文化の発祥地、原宿に私の家はある。
表参道も裏原宿も竹下通りも、生け花教室を併設した自宅から目と鼻の先だ。
コンビニに行くにも、ファンシー文具を買いに出るにも、人ごみをすり抜けて歩く。
小学生のころにスカウトされて子供服のモデルを一度だけ引き受けた。
それが、大当たりして私の写真が一時期巷にあふれたことがある。
写真家の腕が良かっただけのことだけれど、森の中にたたずむ十歳の私の写真は、海外までブームを起こした。
「森の妖精」なんてタイトルまでついて……思い出すと赤面してしまう。
その一回でモデル業はやめてしまったのに、今でもあのポスターのことはよく話題に上るし、顔立ちが変わらないからすぐに、あの子だとバレてしまう。
体力的に学校以外のことはできないってこともあったけれど、その一度のヒットで私も家族も学習した。
私みたいな性格の子がモデルをやるなんて、危機回避能力がなさすぎ、絶対やっちゃダメなことだ。
皆同じがいいという風潮の中、背が高いのも顔立ちがハッキリしているのも悪目立ちする。普通が一番だ。
一瞬のうちに、服と学校とモデルの時に撮ったポスターのことまで思い出した私は、すうっと息を吸い込んでから、思い切って言葉を発した。
「なんていうか……、私が住んでいる日本ではこのスタイルは流行で、寝る直前まではさらにブーツみたいなロングソックスを合わせているんです……脱いで寝たんで、今は……無いですけど。……えっと、なんのつもりって、一言で言うと、ウサギちゃんスタイルです」
ウサギという単語が伝わるかなぁと、手を頭に当てて長い耳を表現してみると、アレッサンドラが口元を「ふっ」と緩めた。
――あれ、笑った?
自分の話した日本語が、彼女の耳にはちゃんとこの国の言葉に聞こえている。アレッサンドラの言葉もわかる。
いきなり転移しちゃったこの国で言葉が通じるのがすごく不思議だ……もしかしたら、これって夢?
「ふぅん。それ、私にちょうだい。明日は生贄になるんだからいらないでしょう。あとで、着替えを持たせるから汚さないようにしておいて」
「え、待って、待って、あなたの代わりなんて、そんなのバレるに決まっているでしょう。見かけが違うし……こう見えても私、日本人だし……てか、異世界人だし!」
「おだまりっ」
アレッサンドラが手に持っていた扇で、パァアアアンと私の頭を叩いた。
「いったああああい!」
――夢じゃない!
萌え袖の両手で頭を押さえる。こんなコントみたいなツッコミをされたのは生まれて初めてだ。
「明日はお友達を集めて、鉄仮面の騎士の襲来を鑑賞することにしているの。私がそれを着て、あなたがドレスを着て生贄になるのよ」
「これパジャマですけどー!」
お友達とのお泊り会とかに着るような、ちょっとふざけた着ぐるみもどきのパジャマだ。
いや、お泊り会なんて行ったことないけど。
なんだか、やたらと良く見えているこのパジャマ。
確かに、ママがお誕生日に買ってくれた女子高生憧れのブランドの新作だけど、てか、生贄ってつまり?
「私、死ぬの?」
聞いてしまってから、喉が詰まって顔から血の気が引いた。
「あらあら」
恐怖に声が裏返った私を見て、急にアレッサンドラの機嫌が良くなる。どエスだわ、この人。
「鉄仮面の騎士は、魔法使いの弟子で邪悪な薬を作っているらしいわ。私のことは、その薬の材料にしたいんでしょう。生きたまま鉄鍋で煮たり、内臓を取ってミイラにしたり、そうだわ、全身の血を抜き取ってジュースにするのかもしれない。だいたい、鉄仮面の騎士の生身の姿を見たらそれだけでショック死するらしいわよ」
――漏れそう。
拷問とかグロとか、苦手だ。
想像しただけで全身に鳥肌が立つ。
――あぁ、トイレに行きたい。
ガタガタ震え始めた私を見て、アレッサンドラはさも満足そうに「ほっほっほっ」と笑いながら背中を向けた。
「私の身代わりなんて光栄に思いなさい」
斜めに見える表情が、にたぁっと笑う。
どエスの女王様だ。
すごい美人でファッション感覚ビンビンに尖っているけど、性悪だ。
「待って、待って」
「なにそれ、口癖?」
くるんと振り返ったアレッサンドラが「待って、待って」と私の真似をすると、取り巻きが一斉に笑った。確かに女子高生特有のしゃべり方だったけど、真似するなんて感じ悪い。
でも、もう我慢できない。
「おトイレ、使わせてください」
「あらやだ。ウサギちゃんを汚さないでよね、誰か、連れて行って」
控えていた黒服の女の人たちに声をかけると、わらわらと私の周りに彼女らが集まってくる。腰が抜けそうにへなへなと立ち上がる私を、ひとりがささえ、もうひとりが裸足の足に室内履きを履かせてくれた。
「あ……ありがとう」
初めて丁寧に扱ってもらえて、お礼を言うと、黒服の女性が遠慮がちに頷いてくれた。
ミュールみたいな華奢な形の靴は、布製で柔らかい。
――あ、この靴、かわいいっ。
花柄の布地で、甲の部分にピンクとブルーのボンボンとシフォンの花びらがこれでもかっていうぐらいに盛られている。よく見るとビーズや色石も縫い付けられていて可愛さてんこ盛りだ。
「こちらへ」
靴のデザインをもっとよく見たいけれど、侍女らしき女性はぐいぐい私を引っ張っていく。
このまま漏らされて、ふわもこパジャマが台無しになるのを恐れているのだろう。
彼女に導かれて洗面所に行くと、ピンクと赤に塗り分けられたドアがあり、中からはアロマの香りがする。
ウッディー調の香りにほのかに甘さがある……これは?
――シダーウッドだわ。
どこまで女の子好みなんだろう?
手洗い場には驚いたことに水道があり、個室のドアを開けると一瞬、森の中に入ってしまったのかと思うほど観葉植物が置かれている。
おろおろする私の後ろから侍女のひとりが、ここでと指をさす。
「あった!」
便座は、そこにちゃんとあった。植物の色に似せて葉っぱが描き込まれている。
だまし絵っていうか、カモフラージュの技巧だ。
――時代の感覚がまたおかしくなっちゃう。ここって現代のお城なのかなぁ。
「あ、水洗だぁ、よかった」
無駄に手が込んだトイレは、ふたの内側にもくるくると蔦の模様が描かれていて、ところどころにてんとう虫や蝶がいる。
「か、かわいい……」
便座の隅々にまで綺麗な模様が描かれている。
恐る恐る用を済ませて個室を出ると、洗面台の前でさっきの女性が待ち構えていて、手を洗った私にタオルを渡してくれる。
侍女の服装を見ても、黒いシンプルなミディ丈のワンピースと白いフリル付きエプロンというスタイルは、十八世紀なのか二十世紀なのか、私の歴史認識では判断がつきかねた。
洗面所の壁にある鉄格子の嵌められた窓から外を見ると、とっぷり日が暮れている。
うっそうとした森があるらしく、外には灯りひとつなく真っ暗だ。
私がトイレから出てくると、別のメイド服の侍女が、膝まで隠れる白いシャツを持って待っていた。アレッサンドラとお取り巻きは、すでに姿を消している。
「お着替えをしてください」
有無を言わさぬ声だ。
「はい……」
――元の世界から持ってきているものといったら、このパジャマしかないのに……。
私は仕方なくふわもこパジャマを脱いで侍女に渡し、イギリスの古い映画の子供が着るみたいなひざ下丈の白シャツに着替えた。
高級なコットン生地の着心地はとてもいい。ふと胸元に刺繍がされているのに気がつく。アレッサンドラの頭文字をデザインした花文字で、それは侍女のエプロンにも同じものがされている。
――本当に細かな部分まで飾りが行き届いているし、洋服へのこだわりがすごい。
「これでいいの?」
着替えを済ませて聞くと、手に取ったパジャマの上下を確認した侍女は「結構です」と頷いた。
「じゃあ、私、寝ます」
寝たら日付が変わって、解決策がきっと見つかる。
「あの……お夜食です」
続いて入ってきた若いメイドが、温かいミルクとチーズを添えたパンを持ってきてくれた。
正直、お腹がすいているのかどうかもわからなかったが、逆らう気力もなく、もぐもぐと咀嚼すると、パンは思いのほか美味しくて、温かいミルクは眠気を誘った。
「ご馳走様、よし寝よう」
今度こそ邪魔の入らない状態で、私は眠りについた。
そして、夢の中で見たのだ。
鉄仮面の騎士の正体を!