星空の下で恋のダンス
にぎやかな街を抜けると、また森だった。
四層と呼ばれる場所だ。
森の野営は慣れたものなのだが、私には不安があった。
――ロビンハルトは、疲れている。
最初の森でも昼間にほんの少し眠ってから起き上がると、消えてしまった魔法を一からかけ直して邸宅を作っていた。
ロビンハルトはもともと魔族ではなくて、修行をして魔法を身に着けた人間だという。
たいして眠りもせずに、魔力ばかり使っていたらそりゃあ疲れるに違いない。
夜、私が眠ってしまうと、ずっと魔法の書で勉強をしているらしく、日を追うごとに新しい知識を蓄えている。つねに機嫌がいいのは変わらないけれど、きっと疲労困憊なのを隠しているのだろう。
もっと長い時間、寝かせてあげなくちゃ。そう思うけれど、ロビンハルト本人が大丈夫だと言って聞かない。
「それより今夜は、ふわもこパジャマを着て見せてよ。ものすごく可愛いだろうな」
緑色の瞳をキラキラさせてロビンハルトが要求してくる。
――この人、私のこと大好きなんだなぁ。
完全に他人ごとのように考えて、せんないタラレバを空想してしまう。
もし、ロビンハルトが魔法にかかっているんじゃなかったら……。
もし、彼の恋心が本心からのものであれば……。
こんなにもストレートに好意を示された私は、幸せ過ぎて溶けてしまうんじゃないだろうか。
「普通よ、ただのパジャマだもの」
そう言ってウサギちゃんの尻尾つきショートパンツとフードにはウサミミのついた一式を着て披露すると、ロビンハルトが顔を真っ赤にした。
「可愛い……いいよ、とっても似合う」
もじもじと控えめな言い方に、胸がきゅんとなる。
――ロビンハルト、私を本当に好きになって!
切ない願いに彼を見上げる瞳が潤む。
キスをねだっていると思われてしまったのか、両手で頬を包んで唇を寄せられた。
そっと唇が重ねられる。
目が合うたびに降ってくる優しいキスに泣きたくなる。
ロビンハルトの指が、私の耳に触れた。
とたんに世にも麗しい歌声が聴こえる。
――魔女の歌。
唇を離して夜空を見上げると、金色の髪の魔女が高らかに歌っている。
毎夜、ロビンハルトと手を繋いで眠りしなに聞く歌。
ほんの数日のことなのに、天体の移動で魔女は早めに現れた。
「黄金蜜の季節の歌ね」
果物は実り、風は甘く、天体も麗しい。
「ああ、そうだ。今夜は星の伴奏もある。クレナ、踊ろう」
魔女の歌を引き立てるように管弦楽の演奏が流れたと思ったら、耳慣れた宮廷円舞曲が奏される。
体育の授業で踊った可愛い踊り。この曲はアレッサンドラのパーティーでも流れていた。
「これって! アルマンド?」
そう、宮中の踊りであるアルマンドだ。
「アッサムランサー国でも一時みんな踊っていた。魔法の書で調べたら、クレナの世界でも高校生に人気あるって」
「本当に何でも知っているのね」
驚く私の前で、ロビンハルトが膝を折って挨拶をする。
「お手をどうぞ、可愛いウサギちゃん」
ロビンハルトの作り上げた壁のないリビングの中央で、満天の空の下ダンスを踊る。
お相手は二つの世界を合わせても、飛びぬけた美男子のロビンハルト。
――なんだろう、この夢みたいな瞬間。
あんなに帰りたいと願っていたのに、ロビンハルトとともにいられるならば、ずっとこのままでいいと私は考えていた。
――これこそが恋の魔法なのかも……。
***
「ねぇ、ロビンハルト。次の層は村なんでしょう?」
これで五つ目の層だ。
馬のフランソワでの移動も慣れてきた。
身体を締め付けないドレスの上にロビンハルトに貰った赤いコートを着ている。
「クレナは赤のコートが似合うけど……五層を通るから、他の色にするべきかな? いや俺が一緒なら似合う方でいい……」
ロビンハルト本人は、白シャツにスウェードのズボンという、鎧の下でかさばらない服装しかしないけれど、私の服選びは毎日余念がない。
金糸の入ったドレスの上に着るコートを新たに出すか悩んでくれて、結局赤に落ち着いた。ずっと眠っていないせいかいつもより集中力がないような気がする。
「五層は気をつけた方がいいの?」
「うん、旧式文化の村だ。ダンバーハート城には一番近い集落なんだけどね」
浮かない顔でロビンハルトが返事をした。
「旧式文化?」
「クレナの世界の中世ヨーロッパに近いね。薄暗くって衛生観念もあまり発達していない。五層には、魔女や魔法使いに憧れる人間が住んでいて、古代の暮らしを遵守しているんだ。彼ら本人は至極真面目な気持ちでやっているんだろうけれど、俺は苦手だな」
「へぇええええっ」
魔法使いの弟子のロビンハルトが、魔法使いに憧れる人間を苦手に思うなんて、妙な気がする。アッサムランサー国では、トイレや水道が近代的だし、食事も丁寧に作られていて不衛生だと思ったことは一度もない。
この五層だけが、昔の暮らしをかたくなに守っているというのは、確かに気味が悪い。
「クレナも見たらわかるよ、早く通り過ぎるに越したことはない」
「ええ、そうしましょう」
ごろごろと石が転がっている道を進んで行くと、古ぼけた店があり、軒先には巨大なトカゲや蜘蛛の干物が吊るされている。
「ひっ、大きい!」
トカゲはワニぐらいの大きさで、蜘蛛に至っては両手の端から端で、店の間口が埋まってしまう。
「この土地は湿っているから、植物も虫も、やたらと大きいんだ」
「そうなの……?」
トカゲを見ないように顔を背けていると、今度は食堂の前を過ぎた。何とも言えない嫌な臭いが鼻を刺激する。
「なんの臭い?」
「ゲッゲーララスコンだ。羊肉をアンモニアにつけて半生で食べる。どうしてあんなにも、悪食なのか理解に苦しむよ」
聞くだけではわからないが、実際の悪臭に目が痛くなる。
「あれを食べさせられたら、どうしよう」
「大丈夫、食べさせないよ」
兜越しのロビンハルトの声が脳内に響いて、ほっとする。
「頼もしいわね」
「まかせておいて」
馬上で語らう私たちを、それぞれの店から出てきた村人たちが険しい顔で見ている。
ロビンハルトは人前に出るために全身を甲冑で包んでいて、その前に座る私は派手な赤いコートを着ているのだから目立つに決まっている。
「でも、今朝の俺の服装チョイスは間違っていたかも。俺たち目立っているらしいな」
「ええ」
服装だけじゃなくって、フルプレートの騎士と一緒に旅するには、私の服装は華美すぎる。もしくは、町と森を越えて、鉄仮面の騎士がアレッサンドラの身代わりを攫って行ったことが漏れ伝わっているのかもしれない。
大通りの端で、急に名馬フランソワが立ち止まった。
「どうした? フランソワ。ここは早く抜けたい、駆け足でもいいぐらいだ。歩いてくれないか?」
ロビンハルトの声かけに、真っ白なサラブレッドが首を曲げて馬上の騎士を見つめる。
『ロビンハルト様、これ以上はいけません。お休みください』
優しい雌馬の声は、私の脳内にも響いてきた。
「フランソワ……」
感極まったように、ロビンハルトがたてがみを撫でる。
「いつもロビンハルトと一心同体のフランソワが言っているのよ。休んだ方がいいわ」
私の提案に、ロビンハルトが兜のシールドを上げる。
美しい緑色の瞳が、覗いていた。
「うん、この町の宿屋に泊まるのは気が進まないが……、あの大きな看板の店で休憩しよう。あれだけの規模ならちゃんともてなしてくれるだろう」
ロビンハルトの指した先には、長いバルコニーに飾り柱のついた立派な建物があって王様の田舎の山荘をイメージしているような宿屋がある。
「ええ、ロビンハルトが眠れるといいけど」
鍵がかけられて、私が起きていられたらロビンハルトが寝る環境としては及第点だ。




