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紅菜、魔法を使う

「はい」


 短い返事の声がかすれる。


 ――私にやって欲しいこと?


「あなた、生け花のシハンなんですって?」


 ――シハン? ああ、師範ね。


 魔法の書を一瞬で読み解いたアレッサンドラが、好奇心をあらわに問いかける。


「ええ、母と祖母のやっているお教室でお手伝いもしています」


 アレッサンドラは、美と芸術へのアンテナがびんびんに張っている人だから、日本の華道に興味を持ったらのめり込みそう。


 ――うちのお教室も、外国人の生徒さんたちのハマりようは凄いものなぁ。


「そう。あのね……」


 珍しくアレッサンドラが言い淀んだ。

 並んで立つ私とロビンハルトは、アレッサンドラが次に何を言い出すのか緊張し始めた。


 ――とんでもないことを言いませんように!


「ワビサビのお花を生けて欲しいのよ」

「侘び寂び!」


 ――そう来るか!


 実は、沢山の色や花びらの形を使った作品以上に簡素な生け方は難しい。

 しばし考えて私の頭に、あるイメージが浮かんだ。


「はい、もちろん。よろこんでっ」


 アレッサンドラの見たいものが、私のイメージに合っているなら、そこに解決策があるのかもしれない。


「では、ここで生けますね」


 ペルシャ柄のタイルが貼られたアレッサンドラのホールの床に、お花を生ける敷物を出そうと、私はロビンハルトに教えてもらった魔道からのピックアップを試みてみた。

 ガチャガチャと鎧の音をさせて、ロビンハルトが私の横に立つ。

 冷たいタイルの上に正座した私は、すぅっと息を吸った。


 ――精神統一、精神統一。


 まずは、どこにでもある緋毛せんのイメージを浮かべて手を延ばす。

 緋色の敷物は普段から目にしているものだからか、容易につかむことができた。


「えいっ」


 思わず出た掛け声とともに敷くと、アレッサンドラが腰を浮かせた。


「え? 魔法を?」


 よほど驚いたのか、あのアレッサンドラが声を上げた。


「素晴らしいだろう? クレナはとても素質があるんだ」


 鼻高々という風情でロビンハルトが胸を張る。


「ふぅん」


 アレッサンドラが眉間にしわを寄せて、派手なネイルアートのされた指をちょいちょいと動かすと、続きを促した。


「それで?」


 ――はいはい。えっと、花器はどうしよう?


 家にある和洋折衷の真っ黒い器が使いたいけれど、上手く取り出せる自信がない。

 目を閉じて、艶々とした磁器の風合いを思い起こしてみても、なかなかつかむことができずに気持ちが焦ってくる。


「クレナ」


 緋毛せんににじり上がって、正座した私の肩にロビンハルトがそっと触れた。


「無理しなくていい。実在のものは取り出しにくい。俺にイメージを分けてみて」

「ええ、お願い」


 目を閉じて、黒い花器を思い浮かべると肩に置かれたロビンハルトの手が熱くなる。


 ――あ、私たち同じものを見ている。


 心が潤う。


 たとえようもない居心地の良さを感じて、私の心は満たされていた。

 心に満ちた泉に必要なもののイメージが浮かび上がると、ロビンハルトがそれを汲み取る。

 鉄仮面の騎士と先読みの乙女。

 イブの言った二人の姿が鮮明に私の脳裏に映し出された。

 二人の身体が解けるぐらいに一体になる。


 ――もっとこのままでいたい。


 そう願った矢先にロビンハルトの声がした。


「よし、揃った」


 はっとして前を見ると、清らかな水の張られた四角い器と、一枝の黒文字、そして私の愛用している花鋏はなばさみが置かれている。


「花材に鋏まで」


 確かに、私は出来上がりをイメージしていたけれど、ロビンハルトにとっては見たこともない枝ものの花材に、華道専用の鋏だ。


「これで合っているかな?」


 ロビンハルトが首を傾げて私の顔をのぞきこんできた。


「ええ、お見事だわ」

「よかった、これでフラペチーノの汚名返上だ」


 ――なにそれ!


 思わず顔を見合わせて笑うと、黙って見ていたアレッサンドラが頬杖をついて口を尖らせた。


「いつの間にか、仲良しになったものね。相思相愛じゃないの」

「俺は、初めて見た時からクレナに夢中だよ。すごく可愛いし、知れば知るほど好きになる」


 ぬけぬけとロビンハルトが答えて、私は恥ずかしさに耳元が燃えるように熱くなった。


 ――アレッサンドラもこれが魔法だって気がついていたら、どうしよう。


 魔法に乗じてロビンハルトの好意を一身に受けている自分が後ろめたい。


「へぇ、それじゃあ、もう私のお友達のことは騒がせないでよ。怪我でもしたら危ないでしょう」


 意外にもアレッサンドラが冷静に返してきた。

 鉄仮面の騎士としてロビンハルトが現れたときにアレッサンドラがものすごく怒っていたのは、女の子たちがヒステリー状態になるほどの混乱を彼が引き起こしたかららしい。


「もちろん。帰りは顔を兜で隠すよ」


 ロビンハルトがにっこりと請け負う。


「あなた、不便ね」


 こともなげにアレッサンドラは言うと、ロビンハルトは肩をすくめた。

立ち上がったアレッサンドラは、ひな壇の上から簡素な道具をしげしげと見ている。私も黒文字の枝を持ち上げて、その佇まいを観察した。

 クスノキ科の低木はシックな黒の木肌をしている。1メートルほどもあるまっすぐな枝ぶり、丸い皮目がアクセントになり、軽くしならせると、重厚な見かけとイメージの違う、レモンサイダーのように爽やかな香りがする。


 ――うん、見えた。


 黒文字の枝丈を鋏で整え、枝の下方を持ってゆっくりと力を入れてためる。

 かすかにメリメリと音がして、黒文字の枝がへの字に曲がった。

 短い辺を水盤に立てて、水の底に沈めてあった小石でむき出しの剣山を隠す。


「できました」

「え?」


 驚きの声は、アレッサンドラとロビンハルトの両方から漏れた。


「これだけなの?」


 艶のある陶器の鉢に、角度を持ってためられた枝が伸びている。


「風に吹かれても、すっと立っている。最も綺麗な角度や長さだけで、そんな風情を表しています。儚いけれど生命力がある。それが私の考える侘び寂び……です」


 いたって東洋的な考えが、この異世界の人たちに通用するのか、でも、アレッサンドラならわかってくれる気がする。

 考え込んでいるアレッサンドラからロビンハルトに目を向けて、私は目を瞬かせた。


「ロビンハルト、泣いてるの?」


 宝石のような緑色の瞳から、それこそダイヤモンドのような大粒の涙がこぼれ落ちている。


「素晴らしいよ。完璧な美と哲学が込められている。これがクレナの心なんだね」


 美しい人は泣き顔も綺麗だ。

 ロビンハルトの白い頬を流れる涙に、一瞬見惚れてしまった。


「これ、返すわ。使いなさい」


 アレッサンドラがイブの白いハンカチーフを私に渡した。


「あ、ありがとう」


 ロビンハルトの頬を拭っている間、アレッサンドラはつくづくと私の作品を眺めていた。


「これは、イブね」


 アレッサンドラの声に、私はくるりと振り返った。


「そうです、大当たり!」





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