イブの弟子たちと魔法の書
「俺のせいでもあるってどういうこと? クレナのパパがアンドレアスって人なの? 彼は異世界で父親になったのか?」
ロビンハルトが美麗な瞳を丸くして、アレッサンドラと私を交互に見た。
――だよね、驚くよね。私ったら兄弟子の子供なんだから。
以前、イブが現れたと報告したときに、私は先読みができることしかロビンハルトに話していない。ロビンハルトの私への恋が魔法だという発言に、私はショックを受けていて、それどころではなかったのだ。
「言ってなくてごめんなさい。ロビンハルトはパパを知っていたのね」
大事なことだし、話す機会はいくらでもあったのに……家族のない彼に自分の家族のことを話すのは、なんとなくためらわれた。
「知っているっていうか……俺の持っている魔法の書は、お下がりで、前の持ち主の名前が書いてあったんだ。アンドレアスってね……。この人、今どこにいるんだろうって思っていた」
くるん、とロビンハルトが手のひらを上に向けると、そこには立派な装丁の本が現れた。
黒い革の表紙には、見たことのない文字が金色に押印されている。
「これが、アッサムランサー語で、アンドレアスって書いてあるんだよ」
ロビンハルトが複雑に絡み合った文字を指さした。
「あら、懐かしい」
アレッサンドラが、長いまつ毛をぱちぱちと瞬きさせて本をじっと見る。ロビンハルトの手の上でかすかに本が浮き、ガタガタと震え始めた。
――きっと、アレッサンドラは内容を読み取っているんだわ。すごい。
思っていた以上の彼女の魔力に、ぞくりと背筋が震える。
「アンドレアスは、その中で華道について調べて異世界の女性に恋したのよ」
ふわりと扇で本を扇ぐと、ぱらぱらとページがめくれてタイトルと同じく解読できない文字の塊の中に見慣れた女性の顔が浮かぶ。
「ママ!」
それは、写真というよりも立体映像に近い。
最近の展示会でのママの着物姿だった。つまり、この魔法の書は異世界も含めてデータが詰まった超高性能のパソコンみたいなもの? 今、アレッサンドラは履歴を読み取ったの?
「この人がクレナのママ? 綺麗だね。原宿で生け花の先生をしているって……クレナ、生け花ってなに?」
さっとそのページに目を通したロビンハルトが、目をキラキラとさせて聞く。
――魔法が使える人は、のみこみが早すぎてついていけない。
「えっと、生のお花を飾るの。その時に魂を込めるって……難しい?」
生け花は私の得意分野だけれど、ここで精神論を語るのはおかしい、絶対おかしいよね。
「いや、やっぱりクレナは素晴らしい女の子だ」
うっとり、という視線でロビンハルトが私を見詰めて、アレッサンドラが眉をしかめた。
「そんな……」
スカート部分だけふんわりとさせたドレスの裾を、もじもじといじる。
――ああっ、これは魔法の力なんですっ、普通だったら、ロビンハルトみたいな人が私にこんな熱い視線を送るはずないの!
二人きりの時には、くすぐったく受け入れていたロビンハルトの甘やかしだけれど、アレッサンドラが見ていると思うと恥ずかしくなる。
「ねぇ、ロビンハルト。私はイブの妻としてあなたに文句があるんだけど」
アレッサンドラが、面白い獲物を見つけたような笑みを浮かべてロビンハルトに言った。
――なんだか、余計なことを言いそう。
次にアレッサンドラが何を言い出すのか、私はぐっと息を詰めて待っていた。
「まずは、あなたたち弟子の功罪についてだけど、どうせ毎日のようにイブのことを『かっこいい、憧れる』って褒めたたえているんでしょう?」
「……うっ、確かにそう言って……褒めている。だって、本当にかっこいい。アレッサンドラだってそう思うだろう。顔立ちは男らしいし、動きは戦士みたいだし」
ロビンハルトが、夢見る表情になる。
「あの人が素敵なのはわかりきったことでしょう、褒めすぎなのよ!」
なるほど、二人ともイブの大ファンなのね。
――アレッサンドラとロビンハルトって妙に息が合ってる!
パパやママのことを考えて、しんみりしていたのに、二人の掛け合いに笑いが込み上げて、私は思わず口元を押さえた。
アレッサンドラの言う通り、ロビンハルトはいつでもイブをべた褒めだった。
『イブはセンスが良くて、かっこよくて、なんでもできる』
自慢の父の話をしているみたいなロビンハルトは、可愛かった。
――パパもそうだったのかな? イブに心酔していた?
話してくれないから聞いたことも無かったけれど、パパもロビンハルトみたいな孤独な生い立ちだったのだろうか?
「いいこと? イブも私も魔族だから本来は弟子なんて取らないの。たまに魔族の子供を引き取る夫婦もいるけれど、私は小さい子より大人になった女の子と付き合う方が好き。それも由緒正しい魔族の子女じゃないと嫌よ。ところがイブったらどう? 人間の子に魔法を教えて、短い寿命なのに手をかけるの。どうかしているわ。そりゃ、拾われた子は感謝するでしょう。特に男の子がイブに憧れるのは目に見えているわ」
「うん、イブはスマートでセンスもいい」
「おだまりっ、あの人を褒めるのは禁止よ」
人の良い笑顔で習慣のようにイブを称賛するロビンハルトを、アレッサンドラがびしりと叱りつける。反射的に、ロビンハルトの背中が反った。
――わかる、アレッサンドラってすごく圧がある。
「あの人ったら、いい気になってミニマリストを極め始めたのよ。シンプルでクールな生活をアンドレアスが褒めるものだから、余計に私の服や趣味が飾り立て過ぎだってイブが言う、すると私が傷つく、悪循環よ」
当時を思い出したのか、顔をしかめたアレッサンドラがパタパタと扇で顔を扇ぐ。
――あ、アレッサンドラ、泣きそう。
ふと私は気がついた。
カラコンの入った瞳が潤んでいるのがわかる。
イブのことが好きなのに、彼に趣味をわかってもらえない。そんな生活が苦しかったんだ。
悪目立ちして、いつもひとりぼっちだった自分のことを思い出したら、私の鼻の奥がつーんと痛んだ。
ハーフだから、背が高いから、付き合いが悪いから、ささいなことが反感を買って、何をやっても受け入れてもらえない。
――そんなのって辛いよね。
「あ……あの。私はアレッサンドラのセンスを凄いと思っているわ。私の住んでいる町だったらきっと大人気になるし、この城に集まる女の子たちもアレッサンドラのファッションに影響を受けているのがわかるし……」
じろりと大きな瞳が私を見た。
初めて会ったときにも感じたけれど、アレッサンドラはどこか憎めない。
私の頭の先から足先まで、じっと眺めた末に綺麗に口紅の塗られた唇が開く。
「そのマント、イブに貰ったのね。あなた、どう思う? 地味? それともシンプル?」
「それは……」
私の背中をロビンハルトが、そっと支えた。
正直に、好きなことを言っていいと、彼の手から落ち着いた感情が流れ込んでくる。
「私も……イブはかっこいいって思ったわ。服装だってあの人の黒づくめは似合っていたし、寒いだろうってくれたこのマントは、飾りはないけれど温かい。白いハンカチーフも柔らかくて優しいし。でも、私ロビンハルトからもらったコートがあるから、これは返します」
ポケットからハンカチーフを出し、マントを脱いでアレッサンドラに渡すと意外にも彼女は素直に受け取った。それに、私がイブを褒めるのは許してくれるらしい。
「このハンカチーフ、見た目と手触りが全然違うのよね」
膝の上でアレッサンドラがそっとハンカチーフの表面を撫でた。
アレッサンドラの手つきは、見たことがないほど優しい。
「ね、クレナ。やって欲しいことがあるんだけど」
アレッサンドラが私に目を向けた。
背中に回されたロビンハルトの手が、一瞬緊張する。




