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ファーストキス




――出てくるのも、去るのも大げさな人。



 ふぅっとため息をついて、膝の上のロビンハルトに視線を落とすと、渋いおじさまに馴染んだ目が、彼の若さのまぶしさにしばしばとする。閉じた睫毛の影がふっさりと頬に落ちて、軽く開いた唇から覗く歯が真っ白だ。


 ――すごいなぁ、完璧な美ってこういうの?


 気障紳士イブも、ものすごく美形だった。

 彼を城主に据えて、唯一の弟子が超美形のロビンハルトだなんて、ダンバーハート城ってどういうところなんだろう。

 一度も行ったことが無い場所は、先読みに霧がかかるので、具体的には浮かんでこない。


 ――鉄仮面の騎士と先読みの乙女。


 イブは私たちのことをそう呼んだ。ふたりで力を合わせたらアレッサンドラをイブのもとに連れ帰すなんてことができるのかしら?


 私の手は相変わらずロビンハルトに握られて、太ももにはスカート越しにエトワールの体温も感じられる。


「やってみよう。どうすればいいか、ぜんぜんわかんないけど」


 気がかりだった東京の家は、パパが事態を説明してくれているだろうから、大騒ぎにはなっていないはずだ。ママやおばあちゃんを悲しませるわけにはいかないから、私は何としてでも帰るんだ!

 そして……この人、本当に私を好きなわけじゃない。

 ロビンハルトの無垢な寝顔を見て、ひゅうっ、と胸にすきま風が吹く。

 それはイブのかけた魔法。

 私とロビンハルトは別々の世界に住んで、今は魔法と魔法使いの事情で一緒にいるだけ。

 好きだなと思い始めていた自分に呆れる。異世界の人だし、好きもなにもない。はじめからおかしいって疑ってかかるべきだった。


 ――この顔にほだされちゃったんだわ。


 ふいに、ロビンハルトがパチリと目を覚ました。


「あ!」


 まじまじと綺麗な顔を見ていたせいで、私はびっくりして声を上げてしまい、その声でエトワールも身軽に宙を飛んだ。


「ワン!」


 ぴょんと飛んだあと、しっかりお座りをして首を傾げる。


「ああ、ごめんね。大きな声出して」


 エトワールの頭を撫でている横で、ロビンハルトがむっくりと起き上がった。


 ロビンハルトの覚醒に伴って、ものすごい勢いで、部屋の内装が再構築され始める。暖炉に毛皮のラグ、飾り棚の隣には、オブジェのような鉄仮面の甲冑がある。

 暖気も戻ってきたのに、ロビンハルトとエトワールが離れたことで膝や太ももが寒くなって、私は長いケープを身体に巻き付けた。


「イブが来た?」


 見慣れないケープに手を添えて、ロビンハルトが静かに聞く。

 声が明るく、弾んでいる。


「ええ、少し話して、このケープとハンカチーフをくれたわ」

「すごく似合う。イブは趣味がいい。君にぴったりなものを見つくろってくれたんだな」

 

 このハンカチーフ、俺も好きだよ、とか、クレナは黒も似合うんだとひとりごとのように言うロビンハルトは上機嫌だ。

 

 ――どうして、ロビンハルトはこんなにイブのことを尊敬しているのかしら?

 

 師匠と弟子の関係というのは、私にとってママやおばあちゃんが伝承する華道の世界でのことだ。

 師を畏れ敬う。

 師の言動に違和感があっても、それは自らの未熟のせいであり、すべてを受け入れる。

 日本的な師弟関係とイブたちのそれは、似通っているのかもしれない。

 

 イブは自分勝手で、人を駒のように使う人物のようなところもあるけれど、瞬時の判断で素敵なケープを着せかけてくれたり、優しい魔法のかかったハンカチーフを渡してくれたりもする。

 スマートで頭の回転がいい大人の男。

 男の子にとって、かっこいい男性の象徴のような人なのだ。


「なにか言われた?」

「え、ええ」


 これから先のことを私は考えていた。東京では毎日先のことがわかっていたせいで思い悩むこともなかったけれど、ここに来てからはほんのささやかなヒント程度にしか先が読めない。


「ダンバーハート……いえ、イブね。彼が言ったの。鉄仮面の騎士と先読みの乙女で力を合わせてアレッサンドラを連れ戻して欲しいって」

「先読みの乙女?」


 ロビンハルトが首をかしげた。


「……あ、それは」


 ――私ったら、ぜんぜん説明していなかった!


 イブが当然のように私の力を知っていたから、ロビンハルトもわかっていると思い込んでいたのだ。


「私、一日分の未来が見えるの。だから、ロビンハルトがアレッサンドラの城に来たときに、兜を取ったらどんな顔なのか知っていて……怖くなかったわ」


 どうしてもズルをしたような気持ちになってしまって、私はうつむいた。あの時、他の女性たちは初めてロビンハルトの美麗な顔を見て熱狂したけれど、私は予習できたから落ち着いていられただけ。


「すごいな」

「え?」


 緑色の瞳をキラキラと輝かせてロビンハルトが私を見ている。


「クレナは才能がある。魔法使いになれるよ」


 いやいや、そこじゃない。


「私ね、こっちに来てから、ほとんど先読みができないの。きっと力になれないわ」


 自分の言葉に自分でしゅんとしてしまう。

 役に立たないって本当につらい。


「力になれないって? 何を言うんだ。そばにいてくれたら、それだけでいい。俺はクレナがいれば頑張れるよ」


 それ! それも魔法だから!

 説明しようと口を開きかけてやめた。


 いずれ、魔法は解ける。そしたらふたりで行動することもなくなるだろう。

 ほんのひとときかもしれないけれど、短い間だけロビンハルトの想い人のポジションにいさせて欲しい。


「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」


 笑いかけると、ロビンハルトも笑い返す。

 じっと見つめ合う彼の瞳に、泣きそうな顔の私が映っていた。

 魔法が解けて、記憶も消されてしまったら、ロビンハルトにとって私はただの見知らぬ女の子になる。


 ――私もこうやってロビンハルトと過ごしてきたことを忘れるって、言ってたなぁ。


 こんなに優しく微笑んでくれたことも忘れてしまうなんて。

 そして、彼の美しい顔立ちの魔力にかかる他の人々といっしょくたにされてしまうんだわ。


「どうしたの、クレナ……元気出して」


 ロビンハルトが私の手を握る。

 私の弱気を気遣ってくれている。


 ――ああ、好き。


 心に浮かんだ声に、頬を涙が伝わった。


「泣かないで」


 ロビンハルトが指先で涙を拭ってくれる。


 ――優しい人、優しい手。


 目を瞬かせていると、彼の顔がそっと近づく。

 まなざしが、絡み合う。

 緑の輝きの中に、ほんの小さな赤い粒が光る不思議な色合いのロビンハルトの瞳は、宝石の魅力を放っている。

 あまりに美しくて、じっと見つめていると魂ごと抜き取られてしまいそうで、私は反射的にぎゅっと目を閉じた。


 ――見ちゃいけない。


 彼の魔力の虜になってしまう。

 防御のつもりで閉じた瞼を、ロビンハルトは違う意味で取ったらしい。

 あたたかなものが、唇にぶつかる。


「え?」


 思いがけない自然さでロビンハルトの唇が重なった。自らの過失に気がついて、私の頭の中は真っ白になった。


 ――うそ、キスしてる?





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