イブの残酷な知らせ
「名前だけじゃない。君の能力も、父親のことも知っている」
ドクンと心臓が大きな音を立てた。
――パパのことを?
「アンドレアスも私の弟子だった」
「ええっ?」
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パパの名前は通称アンディだけれど、アンドレアスというのが本名だ。
日本人には呼びにくいという理由で、パパ自らアンディと名乗っている。
「私のところで修行をしていたアンドレアスは、異世界を覗き見る術に夢中になって日本女性に恋をした。彼は思いを遂げて彼女と結婚し、異世界の歴史マニアだったことからあちらの世界では歴史作家になっているというじゃないか?」
ゆっくりと話す彼の言葉を聞きながら、これは嘘やでたらめじゃないと確信していた。
確かにパパは一風変わったところがある。
何ごとにも動じず、この世に起こるすべてのことを面白がる。
「アンドレアスの恋の相談に乗ったのがアレッサンドラで、私になんの相談もなしに一番弟子だった彼を異世界に飛ばしてしまった。あんな危険な魔法を使うなんて、はねっかりもいいところだ」
――アレッサンドラが、パパを!
「ママは……そのことを知っているんですか? そして私が異世界に行って両親は心配していないの?」
ずっと気にかかっていたことだ。家族は今、どうしているだろうか?
東京の我が家のことを思い出すと条件反射で、涙がこぼれ落ちる。
一人っ子の私がいなくなって騒ぎになっているはずだ、悲しんでいるだろうと思うと居ても立ってもいられなくなる。
「状況を見たらアンドレアスにはすぐにわかるだろう。20年前に自分が転移した時と同じだからな。君のママ――ゆり子といったか? 彼女だって当時のことを思い出しているだろう。なにもかもきっかけはアレッサンドラだ。わがままで困ってしまう。だが、そこが可愛い」
「アレッサンドラは私がアンドレアスの娘だってわかっていて、鉄仮面の騎士の生贄にしようとしたの?」
ふふふと、イブが顎に手をやった。
髭でも生やしていたら似合いそうながっしりした顎は、綺麗に剃りあげられている。
「アレッサンドラの転移の魔法は、滅多に使うものではない。私がロビンを寄越すことを知って慌てて召喚したんだろう。20年もの間使っていなかったから、腕がなまって使用履歴から同じルートが開いたのだ。いいかげんなものだ」
ちょっと待って、頭が整理できない。
パパは昔、イブの弟子だったけれど、20年前から日本に転移している。
私が生まれたことはアレッサンドラには興味がなくて、うっかりもう一度転移の魔法で召喚したら昔使ったルートがそのまま残っていて、私がここに来ちゃったの? それでいい?
「そう、それでいい。納得してくれたようだね」
「頭の中を読まないでください」
思わず両手で頭を隠す。
膝の上のロビンハルトは、私の大きな声にもまったく起きる気配もなく、気持ちよさそうに眠っている。
イブが、膝の近くに生えていたシロツメクサの花を長い茎のまま一本手折った。紫色の偵察鳥が、ピィっと飛んできて、イブの肩に止まる。
「アレッサンドラの自己中心的発想のせいでクレナを召喚、ロビンはアレッサンドラとクレナを人違い。魔法は誤発、ロビンは私の魔法で君に夢中ってわけだな」
花を振りながら、畳みかけるようにまとめるイブの言葉に、私の背中が凍りついた。
――魔法?
「……ロビンハルトは、あなたの魔法にかかっている?」
確認する声が震えて、喉が詰まる。
「そう、一目ぼれの魔法だ。ロビンはのんびりしているから、アレッサンドラみたいにパワーのある女には迫力負けしてしまう。恋の力を借りて勢いよく連れ戻すつもりだったのだが、兜をとって初めて見たのがアレッサンドラではなくてクレナだったってわけだ」
じわっと、新しい涙が湧いてきた。
――やだ、今日は泣いてばっかり。
イブのヒントによって、知りたくなかったことが読めてきた。
せきを切った涙が、ますます量を多くして頬を濡らした。
ロビンハルトは、初めて見た人に恋する魔法をかけられていた。
それで刷り込みをされたヒヨコみたいに、好意を見せてくれていたのだ。
「そういうことだ。さすがアンドレアスの娘、のみこみが早い」
頭の中を読まれたけれど、もう反応する気にもなれない。
「ロビンはロビンで、相手を一目で恋に突き落とす魔力を身に着けているのに、異世界育ちの女の子には効いているやらいないやら……いや」
黒髪を艶々と光らせ、イブが嫣然と微笑んだ。
「君たちはお互いに魔法が良く効いているみたいだ。恋に涙する女の子は実に可愛い」
彼の手が一瞬、空中をさまよい、さっと白い布が差し出された。
「どうぞ、使って」
「……ありがとう」
泣かせたのはイブなのに、反射的にお行儀の良いお礼の言葉が出てしまった。
――本当に気障。ハンカチ?
目の前がぼやけたまま受け取って、頬の涙を拭う。
「なにこれ?」
それはシルクのような、ふわふわのタオルのような不思議な感触で頬を包んだ。
「癒しのハンカチーフだ。いつでも慰めてくれる。クレナにあげるよ」
「……気持ちいい」
いらないと突き返すには、その感触は優しすぎる。
ペーズリーの白い地模様に白地のシルク、それなのに肉厚なタオルの肌触り、天日干しした太陽の香り。
頬の上で発熱してぽかぽかと温かくなっていく綺麗な布は、母親の優しい手を思い起こさせる。
――これは、イブの魔法がかかっているんだわ。
「ふふ、ロビンもそのハンカチーフが好きだったな。あいつが好きなんだろう? このまま美しい初恋を謳歌していたいと思わないか?」
――それは……。
私が、彼に恋したら……ロビンハルトの魔法が解けたとたんに片思いだ。
「魔法で操られているなんて、恋じゃないわ」
私にだってプライドがある。
大魔王の手のひらの上で、駒を進められるなんて嫌だ。そんなの我慢できない。
「そうは言っても、私が魔法を解かないかぎりロビンハルトはクレナにべた惚れだ。あれだけの美男子に溺愛されたら気分がいいだろう?」
ぞっと、苦い感覚が胸の中に沸き起こった。
アレッサンドラの城で、女性たちを熱狂させた現人神のような男性。
彼の魔法が解けたら、私もあの中の一人としてロビンハルトに恋焦がれるのだろう。
彼に愛されるのは素晴らしいことだけれど、ロビンハルトにとってそれは操られているに過ぎない。
「彼と私は住む世界が違うわ。恋愛関係にはなりません」
決意をこめて私はイブに断言した。
「ふーん、クレナは欲がない。ならば元の世界に戻りたいんだろう?」
肩に止まった小鳥のくちばしに、指先でちょっかいを出しながらイブが言う。
「帰してくれるの?」
思わず声が上がった。
ここで、えいやって魔法で帰してもらえるなら、どんなにかいいだろう。そりゃロビンハルトのことは気にかかるけれど、彼の好意が魔法の力だとしたら、東京に戻ったら私も彼も出会ったことを忘れてしまうだろう。
「私の願いを叶えてくれたらね」
「願い? ああ、アレッサンドラね」
イブから逃げてあの城に住んでいるという。それも10年も前に。
「10年前ってことは、アレッサンドラがいなくなってすぐにロビンハルトは弟子になったってこと? あ……もしかしたら……」
さまざまなピースがカチカチと私の頭の中でハマっていった。
――ロビンハルトは利用されている?




