全裸の紅菜、悩む。
「なにこれ、綺麗」
この世界のトイレにかける情熱が半端ではないことに、またしても感心しながら私は朝の用を足させてもらった。
といっても私が知っているのは二つの場所だけだ。
アレッサンドラの城とイブの城の一部。
――イブとアレッサンドラの夫婦が、同じ考え方なのかしら?
方や派手派手で、もう一方はシック。
どっちにしても驚かされる。
――でも、麗しすぎるトイレを使うのも慣れてきたわ。
浴室を覗くと猫脚のバスタブには湯が張られている。
「お風呂、お風呂~」
すっきり起きて入浴できるなんて、本当にお姫様待遇だ。
浮かれてドレスを脱ぎ、そっと身体を湯船に沈めると気持ちよさに「はぁあああん」と声が漏れる。お風呂最高、ずっと入っていたい。
――でも手早く、早く!
ロビンハルトは眠気を我慢して私を待っているのだ。
明るいうちなら、森の動物や追手も私が見張れる。
(エトワールだっているしね)
くりっとした黒い目の子犬は、もうすっかり私に懐いているから、きっと遊んでくれる。
用意してもらっている洗髪用品は粉を泡立てるシャンプーとトリートメント代わりのオイルだ。
――あ、これ!
使い方にしばし悩んでいる自分の夢を見た。
粉に注いだお湯の量や、オイルのつけ方などを夢で一通り学んでいるので、予習通りに髪を洗う。
「早く着替えなくっちゃ」
世話焼きのロビンハルトが、私が出てくるまでに朝食の用意をしてくれている。
それも夢で見た。
その前になにかしら小さなハプニングが起こるみたいなのだが、夢を反芻する時間が足りなくてよく覚えていない。
「とにかく新しいドレスを着ようっと」
――あ!
脱衣所に新たに用意された衣類一式を手に取って胸がざわっと、ときめいた。
着ていて楽なエンパイヤ型のドレス。
ロビンハルトが選んでくれたそれは、金色の布地の胴衣と白い袖が組み合わされていて、腰に垂れる帯に美しい刺繡が施されている。柔らかな手触りは生地の上質さをうかがわせ、袖や裾の分量も女性を綺麗に見せる工夫がされている。
クラシックな服なのに、シンプルな袖の形やごてごてし過ぎていない刺繍が、現代のパーティーでも使えそうな新しいセンスだ。
「ロビンハルトの趣味だとしたら、お目が高いわ」
早く着てみたくてわくわくする。
身体を拭いて、まだ湿っているセミロングの髪をまとめようと両手を上げたその時。
「え? え?」
見る見るうちに鏡や洗面台が白く霞んで消えていく。
魔法が解けている!
(もしかしたらロビンハルトが寝ちゃった?)
リビングとの仕切りとなっているドアに目をやると、森の茂みで尻もちをついたロビンハルトと目が合った。
明らかに居眠りから目が覚めたばかりの、ぽかんとした表情をしている。
「きゃああああっ!」
よりにもよって、オールヌードのときに魔法が解けてしまうなんて!
私の大声に、白い子犬のエトワールが遊んでもらえると思ったのか、ぴょんぴょんと駆け寄ってきた。
洗面台の上にあったタオルもドレスもすべて消えてしまったので、しゃがんでも隠すものがない。
「エトワール!」
呼ぶと大喜びで膝に乗ったエトワールを抱いて、なんとか胸を隠す。
「あ……」
草むらから立ち上がったロビンハルトが、じっと私の身体を見ている。
「ちょっ……見ないでっ、もう一度魔法をっ……お願いっ」
情けない格好。
全裸でしゃがんで股間を隠し、乳房を子犬で隠すなんて今時グラビアアイドルだってこんなポーズはしない。
ロビンハルトの男性にしては大きめな緑色の瞳の中で、赤い斑点がキラリと光った。
美麗な瞳は、一瞬驚きに見開かれて、そしてうろたえる。
私はおびえてエトワールを抱きしめた。
――なに、このなんとも言えない変な空気?
「そうだな……悪い……うたたねをしていた。すぐに元に戻す」
目線を落としたロビンハルトが、腕を振りあげると、あっという間にドアや脱衣所が再構築されて、私はへなへなと床に崩れ落ちた。
(なに? あの目!)
鉄仮面の騎士として私の目の前に現れてから今朝まで、ロビンハルトは常に紳士的で、優しかった。
彼にとって私はマスターの妻で、お城まで大切に送り届けなくてはいけない存在のはず。
その私に、あんな欲望全開の表情を見せるなんて。
――あれじゃ、十代の男の子の目だわ。
落ち着いた大人の男性であるロビンハルトを頼りにしてきたけれど、違和感は膨らむばかりだ。
――落ち着いて私、冷静に考えるのよ。
すうっと息を吸って、タオルを引き寄せると髪を拭きながら頭を整理した。
私の望みは、東京の家に帰してもらうこと。
そのためにはダンバーハート城に行って、大魔王様に再び転移の魔法をかけてもらう必要がある。
アレッサンドラでないことは、そのときに明らかにすればいい。
――でも……もしかしたらロビンハルトには先にそのことを言っておくべき?
混乱する頭の中で、生き延びるすべを考えてみる。
これは小さなハプニングどころじゃない。
私とロビンハルトの関係がぐらついてしまう。
(もし、ロビンハルトがアレッサンドラという女性に興味を持っていたとして、私がただの女子高生だって知ったら、どうするかしら? 尊敬する師匠の妻というラベルがはがれた私に価値はあるのかな?)
手早くドレスを着て、とりあえず全裸を回避すると、私は髪をひとつに結んだ。
昨日みたいな盛りヘアは自分じゃできないし、お化粧だってしたことがない。
綺麗なドレスに、すっぴんのひっつめヘアだけど、これ以上はどうしようもないのだ。
(あの人だったら、わけを話したら納得してくれるかもしれない。その上で人妻じゃないとわかったら、あんな目で私を見たりしなくなるわ)
いつもなら、自分の取るべき道はあらかじめ夢で見ているけれど、こっちの世界に来てから先読みの力が半分以下になっている。ヌードを見られるハプニングは全く予見できなかったし、このあとロビンハルトがどういう態度をとってくるのかも予想がつかない。
リビングに戻ると、そこは元の状態に戻っていて、暖炉の前に毛皮が敷かれていた。
どうやらロビンハルトは火を熾したことで、暖かさに寝入ってしまったらしい。
柔らかな空気と薪の匂いが眠気を誘ったのは、想像できる。
「申し訳ない。うっかり寝てしまったし、アレッサンドラの身体まで見てしまった」
ロビンハルトが胸に手を当てて、律儀に頭を垂れた。
「いいの、いいの、そんなたいそうな身体じゃないし。寝ていないのはわかっているし」
丁寧に謝られて恐縮してしまう。
昨夜、寝落ちてしまった私を見張りつつも、彼は一睡もしていないのだ。
「いや、背が高いだけでなく、出るべきところは出て締まるべきところは締まっている。理想的なプロポーションだ」
「は?」
このタイミングでヌードを褒められて、一瞬ぽかんとしてしまったあとに、ぼっと顔が赤くなった。
――もうなに? この人!
「やめてください」
ロビンハルトが、じっと私を見つめている視線を感じる。
「自分の美しさはよくわかっているだろう? アレッサンドラは美しいことが自慢だとイブが言っていた。聞いた時にはピンと来なかったが、確かにあなたは綺麗だ」
「……あ」
あのアレッサンドラなら自分の美貌に自信満々だろう。
「えっと……ちょっと話を……」
やっぱりダンバーハート城に行く前に、彼に身代わりのことを言っておいた方がいい。
慌てて話し始めようとしたところで、お腹がぐぅううっと盛大な音を立てた。
「やだっ」




