紅菜の共感、ロビンハルトの嫉妬
「う、うーん」
目が覚めて、まず私がすることは、見た夢を整理することだ。
忘れてしまったら困るから、夢を反芻する間は目を開かない。
今日の夢には、やたらとロビンハルトが出てきていた。
アレッサンドラが出てこないところを見ると今日は追っては来ないのだろう。
それにしても悪の権化で魔術師の師匠という男の顔は、まだぼうっと霞がかかってわからない。
(そりゃそうよね。だって一度も会ったことのない人だもの。でもアレッサンドラの旦那様なら、会ったとたんに私のこと、人違いだってわかるでしょうね。えっと名前は……)
「……イヴ・フォン・ダンバーハート……だっけ?」
ゆっくりと名を唱えると、いきなりベッドがぎしっと軋み、隣で人が起き上がった。
「起きた? おはよう」
「キャッ!」
ひとりで寝ていると思っていたベッドの隣に、ロビンハルトがいて目を細めて私を見ている。
思わずお互いの着衣を確認すると、私は昨日着ていたダークグリーンのドレスのまま、彼も白いシャツを着ている。貞操はしっかり守られているようだ。
「あ、あのロビンハルト……おはよう。昨日はごめんなさい。運んでもらったのね」
「いや……なんてことはない」
アレッサンドラの城から脱出するときも、私のことを肩にひょいっと乗せていたから、彼が力持ちなのは知っている。本当に、なんてことなかったんだろう。
起き上がってぐるんと見回すと、昨夜の夕食に引き続き、なんとも豪華な野宿をしていた。
壁がなく、大きな木の下にベッドはある。
森の中にぽつんと配置されているベッド。寒いわけでもなく、朝の森の湿っぽさもない。
ただ、空気がものすごく清々しく、樹木の発する良い香りがする。
森林の持つ神秘的な雰囲気の中、ふわふわの温かいベッドで寝ていたなんて、なんて贅沢なんだろう。
「すごいわね、森林浴をしながら寝るなんて。とってもリラックスして熟睡しちゃった」
素直な意見を言うと、ロビンハルトが片頬を持ち上げ、えくぼを作って見せた。
このおじさまは、朝から超絶イケメンだ。
髭が生えるでもなく、顔が脂っぽい感じもしない。
清潔感いっぱいの顔は、なぜだか元気がない。
とても辛そうで……これって切ない表情っていうのかしら。
「そんなに夫に会いたいか? 起き抜けに名前を呼んでいた」
問われてはっとする。
――あれ? やきもち?
ロビンハルトは優しくて頼りになる素敵な人だけど、パパと変わらないぐらいの年齢だし。だいたい彼にとって私は師匠の妻で、さらにものすごく年下。
不倫もロリコンもダメ! 絶対!
「いえ……えっと、あの……別に会いたくありません。てか、ずっと同じベッドで寝ていたの?」
尋ねるとロビンハルトは、ぱっと頬を染めた。
「俺の魔術は未熟だから、寝たら出したものが全部消える。出したものって言っても、イブみたいに城全部は出せないから中途半端で悪いな」
――未熟だから壁や天井が無くって野宿っぽいの? むしろものすごく素敵なんだけど。
壁のない部屋で、ときおり森の風も入ってくるが、虫や鳥、もちろん獣も侵入してこない。
これがロビンハルトの魔力。
「私は、立派なお城よりも森のディナーやベッドの方が好きよ」
ベッドによじ登ってきたエトワールを引っ張り上げたロビンハルトが、私の言葉に嬉しそうな笑顔を見せた。
「もし俺が寝てしまっても、近くにいれば護衛にはなる」
あぁ、なんだかわかると心の底が、ぶるんと揺れた。
できないことは努力でカバーする、工夫して現状をよりよくしたいっていう気持ちは私にもある。
真面目なんだなぁ……なんだか他人ごととは思えない。
それにしても私の睡眠時間は十時間、その間ベッドが消えた感じはなかった。
「じゃあ、寝ていないの?」
「寝られないのは不便だが、ベッドでアレッサンドラを寝かせてあげられたのは満足だ」
――そうなのよね。
私も先読みの力のせいで、起きていられないってわかった時に、不便だけど、いつか誰かの役に立てるかもって考えて気が楽になった。
「……ありがとう。ぐっすり寝られたわ、ロビンハルトには悪いけど」
「気にするな」
心の底から満足そうにロビンハルトが笑って、私の寝乱れた後頭部を撫でてくれる。彼の指に私の髪が絡まり、ほぐすとすぐにぱらぱらとストレートに戻る。
「まっすぐで艶々の髪だな」
彼の手を追いかけてエトワールまで私の頭を触りたがるのを、ロビンハルトがなだめてくれた。
「アレッサンドラの綺麗な顔を引っ掻いたらいけないよ」
世にもまれな美貌の男の人に褒められると、くすぐったくて頬がぽっと染まる。
ベッドヘッドに背中を預け、座ったまま話していると、ものすごく親密な気持ちになってくる。こんな経験、初めてかもしれない。
(家族とか、恋人とか……)
――だから、ダメだってば!
不倫もロリコンもダメ! 私は、もう一度自分に喝を入れる。
――あれ? 待って、待って!
ふと、一晩中起きていたロビンハルトが私の顔を眺めていたんじゃ……という不安に駆られた。口を開けてなかったかな? いびきとかは?
考えたら顔が茹だりそうなので、慌てて頭を切り替えた。
「そしたら、眠いでしょう? 私が起きているから寝てちょうだい。あ、その前にトイレに行かせて、できたら朝ごはんも……私、すぐ食べるから」
身支度して朝ごはんを食べたら森でじっとすることぐらいできる。五、六時間はいけるから寝てもらえる。私はさっと計算した。
「アレッサンドラの城の女兵士は、ここを探し回っているだろう。そういうわけにもいかない」
身軽にベッドから下りたロビンハルトが、エトワールを抱いたまま、私に身体を向けた。子犬を抱いた美中年の神々しさは、木漏れ日を受けて耽美映画のワンシーンのよう。
私は何度も瞼をシャッター代わりに下ろし、記憶のアルバムに麗しい姿を焼き付けた。
「気が進まないが、ダンバーハート城にアレッサンドラを連れて行くしかないようだな。かなり遠いし、途中に物騒な村もある。今のうちに入浴するといい。そのドアの向こうに用意がある。新しいドレスもあるぞ、俺の見立てだけどな」
「あ、あの……ありがとう」
また、新しいドレス?
昨日用意してくれた服もまだ着ていないのに。
それに、どうして気が進まないの?
ロビンハルトは悲しげな微笑みを浮かべると、振り返って歩きだす。彼の前にドアができて、隣室に移る。シースルーの森の中のはずなのにドアを通ると姿が見えなくなった。
――へぇええ?
未熟な魔力とロビンハルトは言ったけど、見ているぶんにはとてもおもしろい。
「何日かかるかわからないけど、お城に行くのは確実ね」
夢の中で、ロビンハルトは私を馬に乗せて旅していた。でも、かなりの長旅になるらしい。この国の構造について話してくれていたことが鮮明に思い出される。森、町、森、村、また森と平坦な土地は森で境界線がつけられて、それぞれの集落の文化は大きく違うと彼は言った。
――そこまでは見えているのに。ロビンハルトにいつ本当のことを言えばいいのか、タイミングがさっぱりわからないわ。
ベッドから下りて、彼が出て行ったのとは別のドアを開けると、そこは洗面所と浴槽、それに今度は漆塗りの朱色に光る便器のトイレがある。
近くに寄って見ると、極細の筆先で金色の蔦模様が周囲に描き込まれていた。
「なにこれ、綺麗」




