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トイレ危機一髪、紅菜半裸になる。

 私は羞恥心を投げ捨ててイケメンなおじさまロビンハルトに、トイレに行きたい、作って欲しいと頼んだ。


「ああ、そうか。ごめんね、女の子の扱いに慣れていなくて」


 彼は両手を宙に掲げて、気がつかなかったことを詫びた。


 女の子に慣れていない?


 ひとつの宗教を作ってしまいそうなほどの魅力を持っているのに?

 不思議に思ったけれど、それどころじゃなくって首を振る。


「いいの、いいの、とにかくトイレ!」


 彼は私の手と腰に手を添えて、すっと立ち上がらせると、十歩ほど進んだところで声をかけた。


「さぁ、どうぞ。ごゆっくり」


 森の中、何もないところでドアノブをつかむ動作をし、扉を開いて案内する。


 ――もうできたの? どうやって?

 

 扉の内側は、タイルの貼られた近代的な洗面所と、その奥に絵柄が染め付けられた陶器の便座が鎮座していた。


「こんな綺麗なトイレ!」


 くるっと振り向くと、ドアが閉まっていて壁もある。気を利かせたロビンハルトはドアの向こうで待っていてくれているらしい。

 トイレを見てしまったせいで、尿意は限界だった。


 ――漏れちゃう!


 私は大急ぎでドレスの裾をまくりあげると、レースがびっしりと縫い付けられた膝下丈の薄手のズボンと下着を一気に下ろした。


(ここにオシッコするなんて悪いことしているみたい)


 罪悪感におびえながら、豪華なティーカップを連想させる高級陶器のトイレに座る。

 むき出しのお尻が、ひんやりと滑らかな便座に触れると、もうダメ。


「あああん」


 我慢に我慢を重ねて満タンだった膀胱が、放出で一気に楽になる。


「ふぅうううううっ」


 下腹の張りがゆるんで、思わず息が漏れた。


 間に合った!


 爽快な気分で溜息をつき、改めて麗しいトイレを見回す。

 ちゃんとトイレ専用の柔らかな紙が用意されていて、洗面台には石鹸やタオルも備わっている。

 仕組みは現代日本とほぼ同じで、ハンドルを押し下げると水が流れる。


 アレッサンドラの城にあったものは、やたらと前衛的に飾り立ててあったけれど、こっちは華やかな中にもがぜんシックだ。

 

 ――九谷焼だっけ?


 母と祖父の趣味で、玄関や床の間に飾っている壺の柄を思い出した。

 美しい花鳥柄の便器には、金塗りの飾り枠までついている。


「どうしてここまで飾っちゃうの? 真っ白のすべすべでいいじゃない?」


 トイレが過剰に美しいのは、この国の文化らしい。

 

 ひとつ問題が解決されると、残る苦しみが鮮明になるものだ。


(今度は、コルセットが苦しいよぉ) 


 裾を直し、洗面台に移動すると、鏡に映る私のウエストはありえないぐらい細く縛り上げられていた。

 ぎりぎりまで膨張していた膀胱が落ち着いて、手を綺麗に洗ったら、とにかくこのドレスが脱ぎたくてたまらない。


 ロビンハルトが脱ぐのを手伝ってくれると言ってくれたけれど、乙女としてさすがにそうはさせられない。


「確か、背中にフックがあって……」


 着替えの服なんて持っていないから、せめてコルセットを抜いて、薄いドレスだけの格好になったらどんなに楽だろう。

 鏡に背中を映して、ドレスの留め金を確認すると声が出た。


「なんで、こんなにフックがいっぱいあるのっ!」


 そういえば、サイズ直しをするときに几帳面なマリアが、ずらりと留め具を取り付けていた。


「やり過ぎよ! マリアったら」


 肩がつりそうになりながら、中央だけフックが取れた。

 なんとか中のコルセットを緩めようとするが、ウエストをぎりぎりと締め付ける紐が外せない。


「脱ぎたい、脱ぎたい」


 鏡に映しているのももどかしく、手探りで紐の端を探す。

 身体をねじったせいもあって、脇腹に痛みが走るほどに胴体が苦しい。


 ――息ができない。


 軽いパニック状態になって、鬼の形相で背中をまさぐるけれど、悲しいかな冷静さを失った私の手は、逆さに映る鏡の映像を脳内補正することができなくなっている。


「紐っ、どこ? あれ? 違う? あっ、あわわっ!」


 慣れないハイヒールの足元がぐらりと揺れて、転ぶまいとたたらを踏む。

 片足でとんとんとんと三歩進んだところで倒れ込んで――。


 バターン!


 閉じたドアに、思いっきり体当たりしてしまうと、簡易な鍵が外れて扉の外に飛び出した。


「きゃあああっ」


 両手を後ろに回したままの無防備な姿で、足を絡ませたままの高速の転倒。これ、大惨事になるやつ!


 ――顔からいっちゃう!


 そう思った瞬間に、ロビンハルトが私を受けとめてくれた。

 一瞬目の前の景色がスローモーションで見えたとき、彼が猛ダッシュで移動してきたのが見えた。


 ――すごい反射神経。スポーツ選手みたい。


「あぶない。どうしたの?」

「ごめんなさい、コルセットがすごく苦しくて……もうだめ、脱がせてください」


 我ながら単純だと思うけれど、苦しいと思ったらもう一秒でも着ていられない。

 東京だったら、男の人にこんなこと絶対に言わないけれど、緊急事態だし、いつの間にか私はすっかりロビンハルトに信頼を寄せていた。


「ああ、本当だ。結び目が固い。こんなに締めていたら苦しいだろう。早く脱いで」


 手早く背中のフックと紐を外してもらうと、急激に肺に空気が入ってきてむせる。


「ごほっ、ごほっ」


 腹筋がひくひく言う、こんな拷問具みたいなの昔の女の人は、よく着ていられたものだ。

 咳き込む私に動揺したのか、ロビンハルトが器用にコルセットをドレスの中から抜き取ってくれた。


「ありがとう。楽になった……ごほっ」


 咳き込む私の背中を彼の手がさすってくれる。

 ドレスにかけられたフックが全開で、コルセットも抜き取ってしまったせいで、背中は丸見えだ。

 今にも床に落としてしまいそうなドレスの胸元を押さえながら、妙な状況におどおどしてしまう。


 ――いくら優しいおじさまだからって、ふたりきりでこれはなくない?


「楽そうなドレスを用意してみた。趣味が合わなかったらもっと出そう」

「え? ドレス? 私の?」


 私の危機感をよそに、ロビンハルトはマネキンに服を着せて並べているところだった。


 ――いつの間に? どこから出したの? 


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