彼の名はロビンハルト
――イヴ?
そんな人の名はここまで聞いていないし、昨夜の夢にも出てこなかった。
それより、層についての簡単な説明で、ここからダンバーハート城がかなり離れていることがわかった。
彼の頭の中に浮かんだアッサムランサー国イメージは、バウムクーヘンみたいな地図になっていて、色濃い層は森で、その合間に村や町がある。ダンバーハート城は、その真ん中。バウムクーヘンで言うと穴のところにある。
アレッサンドラの城がある場所は、海ぞいの端っこ。
ショコラバウムだったら、真っ白のチョコレートがかけられる辺りだ。
「イヴ・フォン・ダンバーハート卿、アレッサンドラの夫で、偉大な魔術師で俺の師匠だ」
「ダンバーハート!」
それならアレッサンドラの口から聞いたことがある。
「あなたは、魔法使いの弟子なのね?」
「弟子入りして十年になる。ロビンハルト・オーウェンだ。イブには世話になっている。どうぞお見知りおきを」
ヘルメットを脇に抱え、金髪をあらわにしたロビンハルトが片手を胸に当てて腰をかがめた。
ロビンハルトのまわりで、白い翼犬のエトワールが、パタパタと小さな翼をはためかせる。
――ダンバーハートの弟子、そしてイブ・フォン・ダンバーハートはアレッサンドラの夫?
鉄仮面の騎士にアレッサンドラを差し出せと言ってきた張本人。そんな人とアレッサンドラって、結婚していたの? それも、このおじさまの師匠なら、けっこうなお年なのでは? アレッサンドラは私と同年代だろうから、年の差夫婦?
悪の権化だと言っていたけど、アレッサンドラはおじいちゃんの夫が嫌で逃げているの?
――待って待って、アレッサンドラとロビンハルトの面識が無いのなら、十年は別居しているはずで、そのころのアレッサンドラは八歳ぐらい?
ロリコン?
不吉な言葉が頭にひらめいた。
(てか、それじゃあ……鉄仮面さんだってロリコン魔王の弟子なんじゃない! だから私に熱い視線を向けてくるの?)
私の頭の中で、新たな警戒心が湧き起こる。
信用していいものか急に不安になって、じりっ、と一歩後ずさった。
私……選択を間違ったんじゃない? アレッサンドラのきゃぴきゃぴした女の子の城にいた方が安全だったのかもしれない。
飛んで火に入る夏の虫だったんじゃない? って震えが来た。
寒いし、怖いし、トイレも行きたくなってきた、もうやだ。
「寒い? これを着て」
さりげなくロングコートを出されて、目をぱちくりとさせる。
「え?」
(いつ手に持った?)
どこから出したかという疑問以前に、いつから持っていたのかも認識できなかった。
この人、テクニシャンの魔術師だ。向かい合った私たちの間を、ザザッと風が吹くと、とたんに体温を奪われる。怖がったり疑ったりしている場合じゃない。
アレッサンドラのお下がりドレスは生地が薄く、首から胸元も大きく開いているから、寒くて鳥肌が立つ。
「ありがとう。着ちゃうわね」
ビロードの生地と袖と裾に毛皮があしらわれたケープのようなデザインの赤いコートを急いで着こむと、まるで暖房された部屋にいるみたいに暖かい。
「あったかーい。それに可愛いデザイン」
こんな寒い森で夜を過ごすのかと絶望していたけれど、これだけあったかい服を着ていればもっと先まで余裕で行ける。ただ、コルセットを脱いでトイレに行かせて欲しい。
「よく似合う」
うっとりしたまなざしで、全身を見られてぽっと頬が熱くなった。
(圧倒的な好意を感じるんだけど、私、この人の生贄なのよね?)
「……ありがとう。えっと……鉄仮面の騎士さん……あ、ごめんなさい……ロビン……ハルトさん?」
なんと呼んでいいのかわからなくて、俗称を言ってから、失礼じゃないかと気づき、口元を押さえた。醜い顔と身体を隠しているエキセントリックな騎士として鉄仮面は名づけられているはずだ。気分を害したら申し訳ない。
「イヴにはロビンって呼ばれている。アレッサンドラも呼びやすいように……いや、アレッサンドラにはちゃんとロビンハルトって呼んで欲しいな、さんはいらない」
目を細めて爽やかに笑われると、ホッとする。
細かいことを気にするタイプじゃないみたいだ。
(ロリコンとか、決めつけて悪かったかなぁ)
彼が不機嫌になったり、不道徳なことに手を染めたりするなんて考えられない、安定した精神を持った人の微笑みは、不安や恐怖を取り去ってくれる。
――それに、なんだか可愛いし……。
名前をきちんと呼んで欲しいなんて甘えん坊な発言を、この端整な顔から笑顔で繰り出されたら、そりゃ威力がある。
――おじさま、いい人だわ。
単純にも私はそう思った。
「座ろう」
ロビンハルトが手を引いて連れて行った場所には、スポットライトに照らされた豪華なソファがあった。
――光源は?
上を見ても照明があるわけではない。
あたかも最初からこの森に存在していたように、黒光りする革のソファは鎮座していた。
「これって、どうして?」
松の巨木の下の暗闇の中にぽつんと置かれた家具は、異様な存在感がある。
さっきまでロビンハルトに対して心を許していたのに、たちまち恐ろしさと不信感が襲ってきた。
「いつの間に椅子を置いたの?」
隣に立つロビンハルトに驚きの目を向けると、褒められたと思ったのか得意そうに眼を細める。
――なにこの無邪気な笑顔。
私はすっかり毒気を抜かれてしまった。
「魔法だよ。なかなかの腕前だろう?」
「魔法……。そう、弟子っていってたものね、すごい……」
――あぁ、また笑ってる。




