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鉄仮面の騎士の純情と、この世界の形


 私が転移したこの世界には、魔力のある人種がいるらしい。

 そのことは夢の中で学んだ。

 

 普通の人間と魔術を操る人種が混在する世界、鉄仮面の騎士は魔法使いだ。

 彼は、ほんのひとっ飛びでお城の正門に出ると、広場に足を下ろした。

 

 ――逃げ出せた! 


「ふうっ」


 ほっとして振り返った夕暮れの空に、いくつもの尖塔を持つアレッサンドラの城がそびえ立っている。

 色のついた石をモザイクのように嵌め込んだ城壁は、まるでお菓子のようで、アレッサンドラの趣味そのものだ。


 ――本当に、女の子の好みが集結したみたいなお城だった。


 一瞬、ここを出て行くのが名残り惜しいような気がした。

 きっと私が見た以外にも、綺麗なものや可愛いものがたくさんあるのだろう。メイドやお針子にお友達もできそうだった……。


 ――いやいやいやいや!


 そうは言っても、ここにいたら気が強く非道なアレッサンドラに、何をされるかわからない。


 ――すぐにでも出て行かなくちゃ。


 私が、脳内会議を開いているところを、鉄仮面の騎士は、またしてもじっと見ている。そんなに私が珍しいのか、投げかけられる視線がこそばゆい。


「馬に乗ったことはある?」


 ごついプレートアーマーから、美麗な顔を出した鉄仮面の騎士が軽く首を傾げて尋ねた。

 女の子に慣れていない高校生が、隣の席の子に「部活なに?」って聞いているみたいだ。

 彼の背後で、ペットなのかパートナーなのかわからないが、白い子犬が上下に揺れながら飛んでいる。


「いいえ、ないけど乗るしかないわ。急ぎましょう」


 40代に見える彼の顔立ちと、初々しい仕草にかすかな違和感があるけれど、今はそんなことを考えている場合じゃない。


「よし、つかまって」

「あ、あわっ」


 今度こそ、お姫様抱っこだ。

 鉄仮面の騎士は、両手で私を抱えたまま、待たせておいた白馬にすとんと座ると私を鞍の前部に乗せて背中から手綱を取った。

 ヘルメットを再びかぶった彼が、耳元でささやく。


「出発するぞ」

「早く! あの扉が閉まっちゃう」


 城の堀と外をつなぐ石橋へは、木製の扉がついていて、今は上方に固定されていて通り抜けができる。ところが、昇降の仕掛けがついた扉は、今にも閉まってしまいそうに揺れ始めていた。


「せっかちだな」


 急かす私に笑いながら、鉄仮面の騎士は馬の前足を上げると、白馬はひひんといなないて門に突進した。

 一瞬遅れて、城内から女兵士たちが馬に乗って追いかけてくる。


「早く、早く、行って!」


 ――あの人たち、怖い。


 ちょっとおセンチになったけど、やっぱり絶対につかまりたくない。

 ぐらぐらと扉が揺れて、落下の前兆が視界に入る。


 ――うそ! もう落ちるじゃない?


 あの分厚い扉に潰されたらひとたまりもない。


「待って、待って、無理、無理、間に合わないっ」


 目の前の扉が、ギロチンのように落下してきた。

 急加速がかかる馬上で、私はぎゅうっと目を閉じた。


「きゃああああっ」


 ぽろんと涙がこぼれる。

 恐ろしさと緊張に身を縮めて、我知らず甲高い悲鳴を上げていた。


 ――結局、死んじゃうの?


 私の願いを何でも叶えてくれると彼は言った。

 ならば今は、ここから逃げ出したい。

 家に帰りたいのなんのという交渉は二の次だ。


 ――怖いっ、早くっ。


 間一髪、するりと扉の下をくぐり抜けると背後でドオオオオオオンと重い音がした。


 ――ま、間に合った!


 軽やかに馬の蹄が響き渡る。わんわんっと翼のある犬が喜びの声を上げた。


「よおし、飛ばすぞ。エトワール、ついて来い」


 失神しそうになっている私をよそに、鉄仮面の騎士の声には笑いが含まれている。


 ――ああ、この人……楽しそう……。 



   ***



 ふたたび扉を開けて飛び出してきた女兵士を振り切って、小一時間走り続けると、私たちの乗った白馬は森に差し掛かった。


 これまでは遮るもののない道を、スポーツカー並みの速さで疾走していた馬は、うっそうと茂る木立の中で歩調を落とした。


「お尻は……痛くないか?」


 鉄仮面の騎士が聞く。

 おずおずとした尋ね方が、やはり純情な青年を思わせる。


 ――優しいな。


 お尻は正直、ものすごく痛い。

 馬に乗ったのは初めてで、座り方もおぼつかない上に、コルセットで締めたウエストが右にも左にも動かせなくてつらい。


「うん……なんというか……」


 エコノミークラス症候群みたいなって表現して、彼に伝わるのかと言葉を探していると、たちどころに彼は理解してくれたようだ。


「かわいそうに、顔色が悪い。休憩しよう」


 鉄仮面をかぶったままの騎士が、優しい声で気遣ってくれる。

 すでに日は落ちて、森の中は真っ暗なうえに、しんしんと冷え込んでいた。


 あんなにごろごろとうるさかった雷は、結局雨も降らせずにいつの間にか止んでいる。

 馬を止め、降りるようにと促す鉄仮面の騎士につられて、抱き下ろしてもらったけれど、休憩している場合ではないんじゃ?


「あああっ、ちょっと楽かも」


 ドレスで乗馬なんてするもんじゃない。

 直立できただけで胃のあたりの圧迫が取れて楽になった。


「あの……お城に向かっているんでしょう? 私のお尻なら気にしないで、コルセットさえ外せたらまだぜんぜん頑張れるから、先を急いだほうがよくない?」

 

 向かい合って話していると、彼の背がものすごく高いことに気がつく。私も百七十センチあって日本人の女の子の中では大きい上にアレッサンドラに十センチヒールの靴を履かされている。その目線が上を向くということは二メートル近いんじゃないかと思う。


「急いでも仕方がない。城は六層先にある。遠い」


 ――六層?


 聞きなれない言葉に、思わず意味を聞こうとして口元を引き締めた。

 今は、アレッサンドラだと思いこませなくてはいけない。

 この国の単位を知らないのはおかしいだろう。

 

 鉄仮面の騎士が、ぐっと顎の防具を持ち上げてヘルメットを外す。

 現れた秀麗な顔と金色に輝く髪のせいで、真っ暗な森がかすかに明るくなった。美貌で周囲を照らすなんて、おじさま、本当に綺麗なお顔。


「一層進むのにニ、三日はかかるだろう。まずはこの森だ。それとも早くイヴに会いたいか?」


 悲しげな表情で問われて首をかしげた。


 ――イヴ?


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