過去は変化したけれど
『や、やった……』
目の前の出来事に、私は思わずつぶやく。
ようやく、コンラート王子が新しい結婚相手を見つけた。しかも王子が交易について意見を飲むのなら、まず嫁いで来ないという状況にはならないと思うの。
だって交易の優位性が、グレーティア王女が嫁ぐだけで保証されるのだもの。サリエル王子に敵対するバイロン公爵だって、これだけの付加価値がついたとなれば、グレーティア王女の結婚に異論は挟めないでしょう。
まず間違いなく、結婚してくれる。
安心したせいだろうか、脱力感に襲われた。
……ていうか、あれ? なんか変。妙に眠くて……。なんだろう、精霊の庭に戻されようとしてるのかしら?
『ラフィオン、急いで、帰るね……』
それだけをラフィオンに伝えるのがやっとだった。
※※※※※
そこからは、まるで夢を見ているみたいだった。
気付けば、私はルーリス王国の自分の家にいた。
縁が金で飾られた大きな鏡のある鏡台。窓にかかるのは、見本の布の中からこれがいいと自分で決めた、黄色の薔薇が刺繍された新しいカーテン。暖かい季節だから、ソファも籐編みの涼し気な物に変えたばかりだ。
誰かと一緒にいたような気がした。
でも、それが誰なのか思い出せないうちに、私は扉をノックして現れた召使いに、時間を告げられた。
「お急ぎ下さいませ、船の到着のお時間が迫っておりますお嬢様」
「わ……わかっているわ」
そういえば港へいかなければならないのだ、ということを思い出す。
今日はコンラート王子の花嫁が、遠い異国からやって来る日なのだ。
出迎えを華々しくしたいという王家の要望で、ルーリス王国の貴族の夫人や令嬢達は港に集まることになっていた。
また貴婦人達の方も、あのコンラート王子との結婚を決めた……というか、コンラート王子がおかしくなった原因だろうと思われる女性を一目見たいと思っている人が多いようだ。
そう、コンラート王子は数か月前に外国へ行ってから、とてつもない変わり者になった、と噂に聞いている。
時々、壁に頭をぶつけては「この感覚じゃ似ていない……」とつぶやく。
召使いに「平手打ちしてくれ!」と言って無茶な要求を通させては「ああ、寂しいよぅグレーティア様」としくしく泣き出すというのだ。
頭の病気だと噂されていた。
父親である陛下も、たいそう困惑しているらしい。……無理もないわと思う。
一方で私は、別なことに期待していた。
グレーティア王女はアルテ王国の人。
アルテには……不思議な手紙を送って来た人がいる。
貴族の子息らしい、ラフィオンという名前の男性。彼がとある女性から預かったと書いて同封して来た手紙は、どう見ても私が書いたとしか思えないものだった。
しかも、誰にも秘密にしているお母様の形見の隠し場所まで書かれていた。
その手紙は私に注意を促すためのものだったけれど、同時に、初めてもらった見知らぬ男性からの手紙に……ちょっとだけときめいたのだ。
一体どういう人なんだろう。会ってみたいと思った。
グレーティア王女が輿入れするのだから、一緒に同行してきたりはしないだろうか?
むしろ私は、彼が王女について来ることを期待して、港まで行くつもりだったのだ。
侍女と従者を連れて馬車に乗り、一路港へ。
馬車の中では、変ではないだろうかと何度も帽子の位置を直そうとしてしまった。その度に侍女に止められたのだけど。「お嬢様、あまり動かすと御髪が乱れますわ」と。
そうしてやってきた港には、沢山の貴族達が集まっていた。
ちょうど船も入港し、桟橋に船をつけたところのようだ。桟橋の端では、遠目にもコンラート王子が正装をして立っているのが見える。
間に合ったわと、貴族達の列に並んだのだけど……。
ややあって、船から数人の男性が降りて来た。
彼らはコンラート王子に付き従っていた侍従達と話をする。その表情が……固い。
王子達に近い人達がざわめき出す。表情から何があったのかと思ったのだろう。それに王女も船から降りてこない。
ややあって、侍従が王子に何かを説明した。
とたん、コンラート王子はその場に膝をついてしまう。
周囲がざわついた。王女が来ていないのか? と話を始める貴族達に、侍従が声を張り上げて知らせた。
「グレーティア王女殿下は、故国アルテにて急逝されました」
それを聞いた瞬間、貴族達のざわめきはさらに大きくなり……話し尽くしたところでここにいても仕方がないと結論を出し、自分の館へと戻って行く。
私も侍女に手を引かれて自分の家の馬車に戻りながら、残念な気持ちでいっぱいだった。
それからコンラート王子は、鬱々と日々を送るようになったようだ。
心配した国王陛下が、別な女性を婚約者に決めてしまおうと、王子に好きな娘を選ぶようにと言って舞踏会やお茶会を催したりするようになった。
私は父親に言われるがままにそれらに出席した。一つだけ、あの手紙に書いてあったお茶会だけは行ったふりをしたけれど……。
でも私は運が無いのかもしれない。
舞踏会を早々に抜け出そうとしたところで、会場の外にいたらしい王子とぶつかって、驚いた拍子に手がみぞおちにめり込んでしまったの。
それからずっと、王子は私につきまとうようになった。
父は王子にもっと気に入られるようにしろと言うし、国王陛下もそのまままとまってしまえばいいと後押ししてくる。
でも「もっと殴ってくれ!」と恍惚とした表情で頼んでくる人は嫌よ!
拒否したいけど、周囲の状況がそれを許さない。
アルテ王国から届いた手紙にあった、ミルフェと言う令嬢も、コンラート王子の奇行の話を聞いていたからか、王子のことを遠巻きにしていたのだけど。
ある日から、彼女は王子に積極的に絡むようになっていった。
その頃のパーティーは、既に私と王子が清く正しく公然と逢瀬をするための舞台になっていたのだけど、私が嫌がっているのを見て入り込もうと考えたらしい、ワケアリで勇敢な令嬢達ぐらいしか王子に積極的に話しかけたりしなかったのよ。
驚いた。そして、やっぱりあの手紙は本当だったんだって思ったの。
だからミルフェ嬢からは遠ざかるようにしていたのだけど。
ある日の王宮内のお茶会の後で、王妃様からの呼び出しだと告げられて、王宮の庭から続く海岸線へ向かった。
崖が見える場所に四阿があるのは知っていたし、そこで王族の方と海鳥に餌付けをしたりして、楽しむ会があったので行ったこともある。
だから伝えられた通りに向かったのだけど……そこにいたのは、ミルフェ嬢と今でもまだ王子に取り入ろうとしていた三人の令嬢達だった。
私はナイフを持ったミルフェ嬢に追い詰められて、崖へと追い込まれた。
「殿下の気持ちをわたしに向けるためには、どうしてもあなたが邪魔なのよ。あの方も、ミルフェ、君が努力してくれているのはわかっているけれど、どうしてもマーヤ嬢よりも今一つ足りないんだ……って言うのよ」
ま、まさかあなた、コンラート王子に要求されるままひっぱたいたりしたの!?
「でもこんなことをしなくても! わたしは王子殿下を叩くなんて一生しないわ! そう言えばきっと他の人を選んでくれるはずよ!」
「もう遅いのよ! 国王陛下はもう、貴方を婚約者として公表するって、あなたのお父様と決めたと仰っていたって言うじゃない!」
「うそ……」
早過ぎるわと思った。でも同時に、父ならそうしかねないとも思う。私が嫌がっていたって気にせず王家から打診があればうなずいたでしょう。
国王陛下の方が、私が乗り気じゃないのを見て待っていて下さっただけ……。
うなだれると、ミルフェ嬢は笑った。
「お気楽なお嬢様よね。黙っていたって王子と結婚できるんですもの。わたしなんて、あんなに気持ち悪い要求に応え続けても選んでもらえないのに。……王子妃に選んでもらえさえすれば、お金が入るのに!」
なんと。彼女はお金目当てだったの?
「うちの家計はもうぎりぎりなのよ! このドレスだってお母様のものを手直ししたのよ? お父様が借金さえ作らなければ……っ」
ミルフェが王子にこだわったのは、借金を抱えたせいだという。必死なのはわかるけれど。
「お、落ち着きましょうミルフェ様? こんなことをしたら、いずれ周囲にもバレてしまうわ」
「あなたのその、私は良い人ですみたいな態度も気に食わなかったのよぉぉおお!」
私の制止の声なんて届かない。
ミルフェがナイフを構えて走って来て、私は逃げようとして足を踏み外して崖から……。
※※※※※
気づくと、どこかの泉の側でぼんやりとしていた。
するとどこからともなく声が聞こえて来る。
「おや、やっぱり戻って来てしまったようだね……。それにしても元気のないお前を見るのは少々忍びない。ほら、これをお持ち」
その声と共に、目の前に小さな水晶玉みたいなものが現れた。
水晶玉が私の手に触れたとたん。
「……あ」
それまでの、精霊だったことやラフィオンとのことなんかを、一瞬で思い出した。
私はつぶやく。
「運命が……また変わらなかったのね」




