コンラート王子の偵察
夜も更けた頃。
ラフィオンは召喚を行うために、王子宮の庭へ出ていた。
「あちらも酒を口にしていたし、大分気が緩んだはずだ。たぶん身内で何かしら話すだろう」
先ほどまで行われていた晩餐会で、コンラート王子に酒を勧めたのは、サリエル王子だ。
口が緩くなることを期待しての行動を、ラフィオンと一緒にその場にいた私も見ていた。
ラフィオンも伯爵位になると共に、火竜を召喚できる魔法使いとして重用されている身として、王宮の晩餐会に出席しなければならなかったから。
ただ今回は、召喚による偵察を行うことになっていたので、大急ぎで王子宮まで戻ってきている。
おかげで、サリエル王子はまだ王子宮には戻って来ていない。
コンラート王子と今日最後の挨拶をかわしつつ、ちょうど部屋に戻る時に私やカイヴが聞き耳を立てられるよう、時間を稼いでくれているのだ。
同時に、長々と話すことで、バイロン公爵がコンラート王子につけ入る隙を与えないようにもしていたようだけれど。……さすがに公爵でも、王子を横に退けるような真似をしてまで、他国の王子に話しかけられないから。
そうそう。
件のバイロン公爵のことを、私は今日初めて見た。
淡い金の髪。青い瞳の、50代に近い男性。若い頃はさぞかし女性に人気があったのだろうと思える人だった。
ただ、バイロン公爵が一度ラフィオンをじっと見ていたことがあって、その視線がなんだか怖くて緊張してしまったわ。
ラフィオンの方は気づかないふりをしていたけれど、心の中で悪態をついていた。
少々、私の口からは言いにくいような言葉を。
ラフィオンって、個人的にバイロン公爵と確執でもあるのかしら? そう思った私だけれど、考えてみればラフィオンは私が召喚されていない間も、この王宮での権力闘争に関わっていたはずだから、何かしら迷惑をかけられていてもおかしくないのよね。
それに、耐えることにはとても強いラフィオンだからこそ、その悪態に驚いたのだけど、昔はこうして心の中で話し合うこともできなかったから、ラフィオンがどう思っていたのかわからなかったのよ。
だからもしかすると……。ラフィオンはそもそも、心の中では色んなことについての怒りを、言葉にしていたのかもしれない。口にしなかっただけで。
さて、そんなことより召喚よ。
ラフィオンは『まだ俺の力だけじゃ、呼べないからな』と言って、用意していた黒い宝石を地面に投げ、そこに込められていた魔力をも使ってカイヴを呼び出した。
私も『マーヤよ。お願い応えて』と声を乗せる。
すると建物の窓からこぼれる明かりの中、ゆらりと黒い影が地中から立ち上る。
それがふわりと五つに分裂するように増えた。
『久方ぶりだな、マーヤ』
『来てくれてありがとうカイヴ! 元気そうね……というか、精霊だから体調不良とかないのかしら?』
今の所、精霊の庭と現世を往復している私は、特に具合が悪いということはないわ。エリューの葉で酔っぱらった時も、気分は良かったもの。
『太陽の出ている時間に地上へ出なければ、問題はないな。それで、今回は何をしてほしいんだ?』
『そうだった。この王宮内のある人の側まで忍んで行って、話しを聞き取ってほしいの。できれば私も一緒に行きたいのだけど、できるかしら?』
ラフィオンから少し離れても大丈夫なのはわかっているけれど、ラフィオンの姿が見えないほどに離れたことはない。
『おそらく、召喚した精霊の側にいれば大丈夫だと思うんだ』
そこでラフィオンが言葉をはさんだ。カイヴもなるほどなとうなずく。
『召喚した現世の精霊と共にいれば、召喚主の代理と一緒にいるような状態になるのかもしれんな。無理だったとしても、マーヤだけ召喚主の元に戻ることになるだけだろう。わかった』
そう言ってカイヴは手を差し伸べた。
『来るがいいマーヤ、連れて行こう』
球体の私は、カイヴの手にふんわりと包まれる形になった上で、目的であるコンラート王子の特徴と、たぶんこの王宮の中央部の二階以上の部屋にいるだろうと話した。
うなずいたカイヴは、素早く移動を始めた。
風のような移動速度に、周囲の景色が勢い良く流れていく。けれど彼らは影だから、風を切る音さえしない。
そして問題なく、私はカイヴと行動できるようで安心した。
するりするりと外壁に添うように舞い上がって、王宮の部屋の中を確認して行ったカイヴは、すぐに目的の部屋を見つけた。
『カイヴ、ここだわ!』
知らせると、窓を透過して部屋の中に入り込み、カーテンの影に留まる。
その部屋は、ルーリス王国の人間が来ることを意識してか、青と金で彩られた部屋だった。青の間とか名前が付いているのではないかしら? でも海を描いた絵がいくつも壁画のように掛けられているから、海の間かもしれない。
晩餐会から戻ったコンラート王子は、ソファにぐったりと腰かけて、ルーリスからついてきた中年の従者に気遣われていた。
「大丈夫ですか殿下。お酒を過ごされすぎたのでは……」
「少し飲みすぎた……。ちょっとアルテの酒はきつかったかもしれない。水がほしいんだけどアドルファス、水」
「はい、こちらをどうぞ」
従者がグラスに注いだ水を飲み、コンラート王子は息をつく。
「この調子だと、リンゲルドに行ったらますます飲まされそうだな……」
「あちらは、なんとかルーリスと繋がりを作りたいようですからね。条約についていくつか提示の書簡が先に来ていましたのですよね?」
「そうなんだよ……。しかし弱いとわかってしまったら、酒を飲まされ続けて、うっかりと変な約束をさせられかねないし。それぐらいなら仮の婚約でもしておいた方が楽な気がしてきた」
「リンゲルドの王女は、まだ10歳でしたか」
「借金の担保ということにしておけばいい。ルーリスもそれ以上要求しなくなるだろうし、一人娘という切り札をそのうち使いたくなるだろうからな、向こうからある程度の返金の申し出と一緒に、婚約を取り消してくれと言ってくれると思うが」
ため息をつくコンラート王子を見ながら、私は今更ながらに彼の婚約の真相を知って、驚いていた。
婚約は、リンゲルドに融資した担保だったのね。だから婚約が無くなっても、少しも悲しそうではなかったのだわ。
『でもそうなると、嫌なことを避ける手段だった仮の婚約を、グレーティア王女のために放棄してくれるかが問題よね……』
その後は、コンラート王子は早々に眠ることにしたらしく、重要な会話を聞けそうになかったので私はラフィオンの元に戻った。
協力してくれたカイヴに手を振って別れた後、私はラフィオンにそのことを報告する。
『とりあえず、お酒は勧めない方がいいと思うの』
『……だな』
まずはコンラート王子の心証を、良くすることが先決な気がする。




