そして彼はやってくる
私が魔力を使う練習をしては、ちょっとエリューの葉を齧ることを繰り返し、もらった一枚の葉を食べ尽くした頃。
『マーヤ』
ラフィオンの呼び声が聞こえた。
呼び声にはすぐ応える。落ち着いた声だったけれど、ラフィオンがどういう状況かわからないから、心して移動してみた。
でも移動してみると……なんだか緊張感はあるけど、危険はなさそうな様子。
ラフィオンは煉瓦で舗装された綺麗な港に来ていて、叙爵の時に見たものよりは簡素な赤いマントを羽織っている。隣には真面目な顔を作ったサリエル王子と、ややこわばった表情のグレーティア王女が並んでいた。
港は、小さな船が軒並み離れた場所に接舷されている。
ラフィオンの目の間にあるのは、一隻だけ。
空よりも青い帆と白い帆が掲げられた大きな帆船だ。
青い帆に描かれた紋章を見て、私は息をのむ。これは、まさか……。
『ルーリスの王子が、来たの?』
『海が時化っている時期が長くて、一か月遅れたが。間違いなくルーリスの王子が乗った船だ』
説明したラフィオンは、やや気遣うような感じで続けた。
『マーヤも、見ておきたいだろう? それにグレーティア王女とくっつけたいと言っていたから』
『ええ、もちろんよ!』
私がまだ12歳の頃のコンラート王子は、もう16歳。グレーティア王女とは年齢のつり合いもいいし、まとまってくれたら私は死ななくて済むのよ!
手紙作戦がだめだったことで、私が生き残るためには、婚約者候補にならないことが絶対条件だとわかったわ。
そうである以上、グレーティア王女にはぜひあれをやってほしい。
『ラフィオン……私心配なの』
『何がだ?』
私の言葉に、ラフィオンまでやや不安そうになる。
『グレーティア王女に……あの王子を殴ってもらえるのかしら?』
『は!? 殴る?』
『私ね、コンラート王子を間違って殴ってしまって。それから変に執着されたの。仕返しのためだけに結婚しようとするくらい……。だから、もしグレーティア王女のアタックが上手くいかなかったら、そういう手を使った方が確実かもしれないと思って』
絶対に、二人に結ばれてほしいのだ。グレーティア王女も兄と争うことになるくらいならと、コンラート王子に標的を定めてくれた。この機会を逃さないためにも、色んな手を打てるだけ打ってほしくなるものよね。
しかし話を聞いたラフィオンの反応は、ちょっと予想外だった。
『コンラート王子は……変態か?』
『意地悪をされたのだと思うのだけど……』
相手は王子だから。二人きりで話しているつもりでも、どうしたって誰かが見守っているのよ。
そんな場所で要求通りに殴ったり、踊っている最中に足を踏んだりしたら、私はしばらく社交界にも出られなくなってしまったでしょう。家の評判が下がれば、妹の結婚にも響いてしまうわ。
あの子だけでも、もう少し穏やかに暮らせる人と結ばれて欲しいのに。
するとラフィオンが少々腹立たしそうに言った。
『普通、相手に打撃を与えたいがために結婚をするとしたら、自分が多大な借金を背負っていてどうしようもなくなっている状態か、悪評が立てられている状況で、そこに巻き込もうというのでなければありえないだろ、マーヤ』
続けてラフィオンが宣告する。
『だからコンラート王子は、殴られたりすることに喜びを覚えるタイプの変態だ。君は目をつけられたんだよ、変態行為の相手として』
『そんなまさか』
なにせコンラート王子は、私以外にそんな要求をしているだなんて話を聞いたことがなかったから。
でもラフィオンが言うこともわかる。確かに王子が私と結婚しても、私が個人的に怖がる以外の嫌がらせはできないのよ。
嫌いなら、結婚してもほとんど顔を合わせないだけになるでしょうし。
ラフィオンはさらに追撃してきた。
『こんな話はなかったのか? コンラート王子が部屋に鞭を持ち込んでいたとか。召使いを叱るようなことをしたこともないのに』
『…………ひえっ』
ちょっと心当たりを見つけてしまったわ。最近、乗馬用の鞭にこだわるようになって、何度も職人を呼んでは作らせて……という話を、耳にしたことがあるの。
何個か作ったものの、結局は元からの鞭の方が使い勝手がいいから、それが壊れるまでは保管しているとかなんとか。
『その鞭、間違いなく部屋にいくつか常備しているぞ……主に、いつか誰かが自分に向かって使用してくれることを願ってな』
私は身震いする。コンラート王子は、本当に変態さん?
『でもそうしたら、やっぱり結婚を確実にするためには、グレーティア王女に王子の性癖を目覚めさせてもらうのが確実か……』
私の横で、ラフィオンは眉間のしわは無くなったものの、詳細の検討を始めてしまう。
『グレーティア王女には、踊っている最中に足を踏むところから始めてもらうべきか……。いや、それだとグレーティア王女がダンスが下手だと評判を下げてしまう。やはり身内だけが警備をしているところでこう、がつんと』
『がつん……』
思わず私は反芻してしまう。それからラフィオンを制止した。
『それはほら、最終手段にしましょうラフィオン? まずは普通にコンラート王子が、気に入ってくれることを願って……』
まだ本当に、王子が変態だという確認もとれていないのですもの。
そうして待っていると、ようやく船からコンラート王子が降りて来たようだ。
桟橋を、きらびやかに装った騎士や従者に挟まれて歩いて来る黒髪の青年は、金と宝石の装飾がついた青いマントの裾を翻しながら、サリエル王子の前に立った。
「初めてお会いする。ルーリス王国第一王子、コンラートだ。よろしく」
握手のために手を差し出したコンラート王子は、それは爽やかそうな人に見えた。




