崖の上でお話し合いは危険です
強い風が吹いていた。
嵐が近づいているのだから当然だ。
私の萌黄色のドレスも、ベージュブラウンの長い髪も真横に靡いて、前を向いているのも辛い。
ごうごうと鳴る風に負けない声で、目の前にいる少女が言った。
「あなた邪魔なのよマーヤ・ロディアール」
冷たい言葉で言い放つ彼女は、子爵令嬢ミルフェだ。
彼女とは友達だと思っていた。
だからこんな天気の夕暮れに、誘いの手紙を受け取ってやってきたのだ。
歩いている途中で、多少様子がおかしいとは思った。けれど穏やかな気性の彼女が何かするとは思わず、王族の離宮の一角にある、海に面した崖まで歩いて来てしまったのだ。
でも友達だと思っていたのは、私だけだったらしい。
「殿下はわたしを選ばなくちゃいけないの! あなたはそのための踏み台だったのに、どうして殿下はあなたまで! なんで優しくしている私じゃなくて、冷たくしているはずのあなたにばかり殿下はかまうのよ!」
そう叫ぶミルフェに、私は崖の先端へ追い込まれる形になっていた。
婚約者候補を決める今回のパーティーで、王子が私とばかり踊っていたから、他の令嬢達が目を吊り上げていたのは知っていたわ。でもミルフェは暖かく見守ってくれていると思っていた。
そして今日、王子が婚約者候補に選びたいという意味で、花を送ったのは二人。
私と、ミルフェだ。
「私にだって理由はわからないわ! 間違えて叩いてしまった時から、どうしてかもう一度殴ってくれって言うようになって……」
心の底からわけがわからないの。
偶然起こった出来事を許して下さったのは良かった。さすがに王子を叩いてしまっただなんて、醜聞もいいところだもの。
けれど、その後も変な要求をしてきたのよ。実は私を許していなくて、わざと不敬を働かせようという罠じゃ? 疑っているわ。
「嘘つかないでよ! 殿下がそんな変態なわけがないでしょ!」
金の髪を振り乱したミルフェ嬢は、短剣を持っていた。
護衛から借りたのか、親に始末をしろと言われたのかしら。家の紋章なども入っていない短剣。これで刺されたら、誰が殺したのかもわからなくなるでしょう。でも。
「今ここで私を殺したら、あなたが真っ先に疑われるわ、ミルフェ様」
親の命令で仕方なく動いている私と違って、ミルフェは王子に心酔していたはず。疑われるようなことがあったら、何があっても王子は彼女を選べなくなるのではないかしら。醜聞持ちを妃にするわけにはいかないもの。
「大丈夫よ。あなたがわたしを襲ったことにするから」
「そんな話を誰が信じるの?」
「目撃者は用意してあるわ」
ミルフェが視線を向けた崖近くの庭園の木の側に、いつの間にか二人の令嬢と従者が立っていた。令嬢二人は顔見知りだったし、こんなことには加担しない人だと思っていたのに。
「それに、みんな騙されてくれるわ。あなたは元々、プライドが高くて冷たい人だと評判だもの。見下していた子爵令嬢まで婚約者候補に選ばれたのが不服で、この短剣で私を殺そうとしたという筋書きなら、みんな信じるでしょう」
「そんな。あなたを見下したりなんか!」
「わかっているわ、お優しい侯爵令嬢様」
ミルフェは天使のように可愛らしい顔で微笑む。
「あなたがあまりにも清廉潔白なものだから、わたしも苦労したわ。時々、あなたと会った後に泣く真似をしてみたり、他の令嬢に、あなたにいじめられて悩んでいると相談をしたりするの、結構大変だったのよ」
「な……」
最初から、ミルフェは私をそういう形で利用しようとしていたのね。
貴族令嬢ならみんな、王子が他国の王女との婚約が破談になった二年前から、虎視眈々と王子妃の座を狙っているのはわかっていた。
けど、私はずっと「あなたが選ばれたらいいのに」って言っていたのに。昨日のパーティーでも、あなたが王子妃になってと懇願したのに。信じてはくれなかったのね。
「だから安心して死になさい!」
金切り声を上げて、ミルフェ嬢が私に突進してくる。
直前に、刺されて死ぬのは痛いから嫌だ、と思ってしまった。
私は短剣の切っ先を避けて……そのまま崖から落ちた。